「審神者」(さにわ)について | 魁!神社旅日記

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「審神者」(さにわ)についてさっそくスピチュリアル方面から反響があった。

 

宇宙人と交信してるとかいう人だが、審神者について否定的な見解を

 

述べていた。

 

強力な審神者が登場すれば神憑りの真偽、正邪、品格が判断されて

 

しまうので、今流の自問自答の神懸かり者には正体がばらされてしまう

 

脅威を感じるのであろう。

 

 

この審神者の役割は二者において行う神憑りの際の降りてきた神の判定だけが

 

役割ではない。二者以上において行う他感法による神懸かりにおいて

 

神を神主(霊媒)に降ろしているのはじつはこの審神者の力である。

 

 

したがってじつは神憑りにおいては神主(霊媒)の素質とともに

 

iいや、それ以上に審神者の霊力が必要なのである。

 

御嶽行法の帰神法である「御座」では審神者にあたる「前座」の方が

 

厳しい行を積まねばならないとも言われています。

 

 

女王卑弥呼の弟、竹内宿禰、本田親徳、長澤雄楯、浅野和三郎、佐藤卿彦など

 

は審神者の役割を主にしている。

 

優れた霊能力者には必ず優れた審神者がついている。

 

 

大本教で出口王仁三郎が存命中に鎮魂帰神法を危険として禁止にしたのも

 

浅野和三郎という優れた審神者を和三郎の退会という形で失ったからであろう。

 

王仁三郎は優れた霊能力者であったが審神者でなかった。

 

 

また渡辺勝義先生の後継者が育たず、本田霊学が絶伝してしまったと

 

見られるのも渡辺先生が神主(霊媒)であり審神者ではなかったからだ。

 

 

今後の我が国における霊学、霊性の復興のためにはこの優れた審神者の

 

再興育成が不可欠であろう。優れた審神者がいてこそ優れた霊能力者が

 

現れるのである。

 

 

この審神者たる者にはある身体的特徴がある。

 

それは眼光の鋭さだ。(常時とは限らない)

 

御嶽行法における神憑りの記録にも御嶽行法で審神者となる「前座」

 

は「目の鋭い」行者であることが研究者によって記録されている。

 

門弟一万、数々の霊能力者の産みの親である長澤雄楯も

 

「眼(まなこ)が異様な光を発する」のを目撃したと記録されている。

 

 

日本神話において神懸かり、審神者の方を現わしたのは

 

アメノウズメノミコトであり、その顕された神は猿田彦神であるが、

 

その猿田彦神の目はランランと輝いていたという話は役割は

 

反転しているのは顕幽の違いかもしれませんが、

 

何か審神者の特徴を連想させるものがあります。

 

 

優れた審神者が一人いれば多くの神主(霊媒、霊能力者)が養成

 

できることはすでに長澤雄楯翁に一万もの門弟とその後、霊能力者と

 

して名を挙げた数々の弟子の存在で証明済みです。

 

日本国の霊性復興、霊性回復のキーポイントは優れた審神者の登場

 

如何にかかっていると思われます。