「戦後日本の出発」 元宮内次官の証言① (国体護持) | 魁!神社旅日記

魁!神社旅日記

神社を旅した日記感想等をつけていこうかと思ってます

終戦直後の処理に当たった宮内省関係者の証言の記録を入手しました。

 

現在の皇位継承問題、皇室制度にも関わる非常に重要な証言であるのでここに抜粋引用してご紹介させていただきます。

 

【加藤進】

明治35年、北海道生まれ

大正15年、東大政治学科卒

会計検査院を経て

終戦当時、宮内省総務局長

昭和20年、宮内次官(~昭和23年)

 

(以下抜粋引用)

 

問 「国体護持」ということについて、当時宮内官の方々はどう考えていたのでしょうか

 

加藤 天皇が国体の中心であることはもちろんですが、実は天皇を如何にとらえるかの点で陸軍、海軍、宮内省その他で非常に考え方が違っていたようです。陸軍の場合、8月15日の反乱に象徴されると思いますが、彼らは日本は神国であり、現在の天皇がそうした神国としてしての国体にふさわしくない天皇の場合、お諫めする、もしくは御退位ねがわなくてはならないといった考え方でした。つまり、この人たちは天皇機関説を否定したけれど、実に機関説的に天皇をとらえていた訳です。一方、海軍は、いまある天皇があくまで皇室の中心であり、現在の天皇を中心に国のことを考えていくといった、大変広い考え方、現実的な考え方だったと思います。

(中略)

終戦についてはこれで意見の収拾がついたのですが次に議論となったのがは、それでは日本や皇室はどうなってしまうのかということでした。これについては、陛下の哲学という、次のようなお考えを陛下はお持ちだったようです。

陛下が課題とされたことは、たとえ自分の身の上はどのようになろうと

「神武天皇以来の歴史」

「明治天皇様がおつくりになられた国家体制」

「現在の国民」

の三つを守ることでした。そして、このことは連合軍も認めてくれるだろうと陛下は確信されておられるように拝見しました。

 

 

問 終戦も継戦もその前途には大変な危機感を感じておられたと思いますが、殊に陛下の御身や皇室のご存在についての危惧はありませんでしたか。

 

加藤 もちろんありました。

(中略)

当時の宮相、内相、侍従長の命令でとにかく松代の視察を行ったことがありました。いずれ松代へ御移り願うことは仕方がないことと考えられました。松代はまいりますと充分にお住まいはできると思ったのですが、肝心の神器を奉安する三殿がありません。陛下がお移りになるとなれば三種の神器をお移し申し上げねばなりませんが、陸軍にはそうした考え方はまったくなかったようでした。私はそのことを陸軍に話し、更に宮相や侍従長にも報告しました。

 一方、終戦が決定しますと私は今後の事態について様々な点から憶測して、次のようなことを考えていました。

ポツダム宣言によれば日本の形態は日本人の自由な意思によるとなっているが、もしそうなら最終形態はやはり日本は皇室を中心とした国となるであろう。しかも天皇と国民の絆の非常な強さを認識するならば、如何に占領軍でも天皇、皇室に手を出してくることはあるまいと考えたのでした。そこで、占領軍に対し日本国民の天皇を支持する声が如何に強いかを見せつければよいが、そのためにはどのようにすべきかを考えた訳です。その後の御巡幸には当時の宮内官のそうした考え方も大きく反映しておりました。