『名古屋弁喜劇・フィガロの結婚』のアルマヴィーヴァ伯爵役の岩川均さんの名前がわかったのは、懐かしいというのもさることながら、地方の舞台で活動している役者さんが、舞台を観た30数年後にもまだ現役で役者を続けている、ということの嬉しさをひしひしと感じる出来事だった。
じつは先日、知り合いの女優さんが、引退を宣言した。劇団を退団し、役者もやめるという。驚いて本人に理由を訊いたら、
「今年で30になるので、節目かな、と思って」
とのことだった。30は確かに小劇団の役者さんにとりお肌の曲がり角であるが、30歳なんて、上記の『フィガロの結婚』で岩川さんが伯爵役をやったときには、まだ生まれてもいない時である。見切りをつけるにはまだまだ早すぎる。
……とはいえ、演劇というのは、やっている最中は周囲の物音も聞こえなくなって、あっという間に10年くらいたってしまい、ふとわが身を振り返って、その年齢に愕然となる、ということがまま、あるものである。
先日観た『瞬間光年』の舞台挨拶でも、主宰の女優さんが
「私、今年40になるんですよ」
と、自分で驚いたように言っていた。私も小劇場の舞台を追いかけてもう長いが、この年齢になってしみじみ思うのは、やはり小劇場演劇というのは若者のものだな、ということである。それは、小劇場の演劇が基本的に大劇場演劇のカウンターとして生まれた出自によるものであり、何でもありのアナーキーさ、新しいものを常に模索し続ける変形(へんぎょう)のパワーがその原点にあるからだろう。
若い頃には、ありあまるエネルギー、体制への反抗心を小劇場で発散させ、それから年齢が落ち着いてくるに従い、芝居で食っていける映像や、商業演劇の世界に進出して……というのが何となくこの業界での勝ち組コース、のように思われているが、こういうコースをたどれるのはほんのひとにぎりの数に過ぎないし、それが必ずしも成功の道、というわけでもない。小劇場にしかない自由度を、歳がいっても愛し続ける人は多いはずだ。
……とはいえ、ある程度の年齢になると、やはり飛躍の多すぎる作品にはついていけなくなる人が多い。人生の年輪を重ねるということは、常識というものが身体に蓄積してくるということだ。あまりに常識知らずであったり(反社会的行動を無批判に賛美していたり)、知ったかぶりだったり(戦争や歴史について半チクな知識をひけらかしていたり)、ストーリィ設定が幼稚だったり(アニメやラノベの模倣に終始していたり)する演劇に対しては視線が厳しくなってしまう。結果、別のジャンルの演劇に移行するならともかく、演劇鑑賞という世界から離れてしまう人が多いのはまことに残念である。
小劇場演劇ブームがあったのは80年代後半である。その時期に演劇の世界に足を踏み込んだ(演じる方も、観る方も)若者たちも、もう40代をとっくに越している。いまも演劇活動を続けている人たちは多いが、話を聞いてみると、“やめどきを失った”という惰性で続けている感覚の人たちがある一定数いることも事実だ。それらの劇団の多くは、80年代当時のままに、当時新しかった感覚がすでにレトロになっても、進歩も成長もなく、同じものの再生産を続けている。“変化”するにもきっかけとポテンシャルの高まりが必要なのである。
数年前から、「大人の小劇場」という企画をあたためている。商業演劇ほど通俗でなく、小劇場演劇のダイナミズムは大いに残しながら、大人の鑑賞に耐えうる内容の作品を厳選して提供するシステムである。高年齢層(たって40代からだが)に合わせた演出を考慮し、上演時間や椅子の座り心地など、肉体的にも負担のないような劇場を選んで公演を行う。2.5次的演劇も取り入れたい。往年の名作を取り上げることで、30代以上の観客を集めることが可能だろう。小劇場演劇を若い世代のものだけにしておかず、次のステージにと発展させていく、ひとつのきっかけにしたいと、さまざまなアイデアを練っている。どなたか、お力を貸してくださる方がいらっしゃらないだろうか。