書評です。
新城 道彦 著 『朝鮮半島の歴史』 新潮社 新潮選書 367頁 2023年6月発行 本体価格¥1,750(税込¥1,925)
『朝鮮半島の歴史―政争と外患の六百年―』 新城道彦 | 新潮社 (shinchosha.co.jp)
副題は「政争と外患の六百年」。
新城道彦さんは1978年生まれなので、今年46歳。
専攻は東アジア近代史とのことですが、ご著書の表題などをみる限り韓国・朝鮮近代史です。
現在、フェリス女学院大学国際交流学部教授。
本書は、2023年に「サントリー学芸賞(思想・歴史武門)」を受賞しており、私はその点を参考にして購入した次第です。
なお、私が購入読了したのは電子書籍の方ですが、紙版とはページ数の違いなどがあるようです。
目次は次の通り。
はじめに
第1章 朝鮮王朝の建国
第2章 華夷秩序の崩壊と朝鮮の危機
第3章 終わりなき政争と沈みゆく王朝
第4章 清・日本・ロシアの狭間で
第5章 朝鮮半島の分断
おわりに
あとがき
参考文献
本書は、朝鮮半島のこの六百年にわたる歴史を叙述したものです。
長期的に十四世紀の朝鮮王朝の建国にさかのぼって、国内の政治闘争や周辺国のパワーバランスに着目しながら、二十世紀の分断に至る長い歴史を叙述しています。
「政争」と「外患」をキーワードにそれぞれの時代に生じた政治力学の因果関係を見出して歴史を繙く試みといえます。
歴史書というものは、その性質上無数の人名の登場が避けられないのですが、主要な登場人物については興味深いエピソードや性格描写があって、比較的読みやすいと感じました。
ただ、読めない漢字も結構あるのはし方ありませんね(^^;
ここからは本書を読んで私が思ったことを交えながら、朝鮮と日本の歴史を対比し、また相互の関連を見ていきます。
最初に指摘すべきことは、朝鮮王朝あるいは李氏朝鮮は、1393年に建国され1897年に大韓帝国と国名を変えるまで約500年間存続した点です。
日本史では、1392年に足利義満により南北朝が統一され狭義の室町時代が始まっています。
一方、明治維新が1868年なので、1897年は明治30年となります。
日本史は通常、古代、中世、近世、近代と区分しますが、その中世から近代にまたがっているわけです。
この間、日本史では激動の時期と平和な時期が何度か訪れ、前者の時期に政治体制が劇的な変革を経てきています。
狭義の室町時代から戦国時代、江戸時代、明治へとその都度大きく変わったことは明らかです。
一方、朝鮮史では副題の通り「政争と外患」、特に外患による国難の時期はありますが、それでも朝鮮王朝の支配が変わらず存続しています。
朝鮮王朝が理想の政治体制だったのならそれが長く続くのは良いことでしょうが、現代の韓国民を含めおそらく誰もそうは思わないでしょう。
次に、同時代の日本は単純化すれば武士の時代であり、朝廷は存続していたにしろ室町幕府、戦国大名、江戸幕府といった武家政権が支配していました。
それに対して、朝鮮は文人政権であり、武人の地位は相対的に低かったのです。
前王朝の高麗から朝鮮に変わったときや朝鮮王朝内部の政争時には、もちろん武力を使っています。
しかし、平時には科挙により文人官僚を集めて統治していました。
同じ東アジアに位置し中国文明の影響を受けた隣国どうしといいながら、国家のあり方は対照的だったといえます。
第3に、日本は明治維新まで大名の領地ごとに分かれる分権的封建国家だったのに対し、朝鮮は国王を頂点とする中央集権的官僚国家であり続けた点も対照的です。
朝鮮では、野心のある優秀な人材はすべて中央に集中し、基本的には中央で政争を行っていたのです。
しかし、国王を頂点とする中央集権的官僚国家といっても、王族間の争い、また貴族や官僚の派閥争いにより、朝鮮王朝の政治は決して安定していませんでした。
日本の江戸幕府の治世の方がずっと安定していたと思います。
第4に、この期間、日本では外国勢力が国内に攻め込んできたことはありませんが、朝鮮は近代以前でも、日本(秀吉)の侵略、清の侵略と朝鮮の属国化という外患がありました。
朝鮮は外国の侵略に対する危機感が薄く、しかもいざ侵略されたときには国王以下がすぐに首都を捨てて逃げ出しています。
秀吉の最初の侵略時には、逃げ出した国王に従う者は100名に満たず、逃避行中には下人たちが食料を奪い合ったので、国王の食事にさえ事欠くありさまだったといいます。
王族や貴族、官僚など国家のトップが命をかけて国を守るという気概に欠けていたのです。
(中央の権力闘争に敗れて地方に戻っていた者たちが侵略に対して戦うことはありました。)
そのくせ、内部の権力闘争では相手を平気で殺したり死罪にしたりしています。
また、そういった外患の後も、再び侵略を受けないよう国を守る体制を真剣に考えたり構築したりはしていません。
P.125>ちなみに、(k:国王の死後に付けられる)廟号には「○祖」と「○宗」があり、「○祖」はより徳の高い、秀でた功績のあった王に付けられた。
事大崇明の理念に執着して日本や後金(清)の侵略を招いた(k:第14代)宣祖や(k:第16代)仁祖に「祖」が付き、逆に朝鮮の安全保障を実現した(k:第15代)光海君が正当な王として認められずに「宗」の廟号すらないのは皮肉といえよう。 <
第5に、特に近代の西洋列強との関係です。
日本は江戸時代に鎖国を行っていたにもかかわらず海外情勢を把握しており、幕末には多数の政治主体が危機感をもち、海外からの侵略の恐れに迅速な対応を行うことができました。
そのためには、国内の政治体制を変革することも厭いませんでした。
それに対して、朝鮮は正確な情報収集も情勢認識もできず、教条的な排外主義にとらわれて、海外からの侵略の恐れに現実的な対応ができなかったのです。
第6に、これは著者の新城さんも強調していますが、朝鮮はずっと独立国ではなく、中国の歴代王朝を宗主国とする属国だったことです(冊封体制)。
朝鮮王朝の初期は事大崇明(事大は「大に事(つか)える」で小国が大国に付き従うこと、後半は「明を崇(あが)める」)がモットーでした。
日本の植民地支配から解放された戦後まで、独立国だったのは大韓帝国となった1897年~1910年だけです。
ソウルに残っている独立門は、清からの独立を記念して建てられたものです(p.225)。
ところが、独立門の「独立」を日本からの独立と勘違いしている韓国人が多いとのことです。
これに対して、日本は中国などの外国に臣従していた期間はありません。
朝鮮は中国に近く、また地続きであったため、政治面文化面におけるその強力な影響を直接受けています。
例えば、儒教、科挙、易姓革命などです。
これに対して、日本は海を隔てていたために、独自の政治的文化的発展を遂げることができたものと考えられます。(この点の指摘は昔からあります。)
第7に、朝鮮は儒教の影響が強かった、強すぎたことです。
儒教の解釈をめぐる対立でいくつもの党派が生じ、それらの間で激しい党争が生じるという弊害がありました。
政策をめぐる争いなら理解できるのですが、王妃が喪に服する期間の論争なんてどうでもいいようなことで政治が混乱するのは馬鹿げているとしか思えません。
逆に、朝鮮となってからは仏教は何度も弾圧されています。(この点は本書ではなくwkiによる)
このため、現在の韓国では仏教信者の数は(プロテスタントとカトリックを合わせた)キリスト教信者の数よりも少なくなっています。
日本でも江戸時代、儒教は幕府に政治的に重用されましたが、宗教としては寺院檀家制度として体制に組み込まれた仏教や神道が存在し、朝鮮のようなことはありませんでした。
第8に、朝鮮には良人(民)と奴婢を区別する厳格な身分制が存在し、人々はそのいずれかの身分に世襲的に属しました。
儒教による嫡子と庶子の差別が、その維持拡大の背景となっています。
ハングルの発明などにより現代韓国で最も評価の高い第4代世宗(1418-1450)も、身分制に関しては廃止どころか奴婢を増やすような制度改革を行っています。
奴婢の人数は、17世紀中葉で全人口の4割に達したという推計が載っています(p.37)。
万人に開かれていたとされる科挙ですが、奴婢にはそもそも受験資格がありませんでした。
実際に科挙を受験できるのは、経済的に余裕があり学習環境に恵まれた最上層だけでした。
つまり、良民の内部も分かれていて、その最上層が特権をもち科挙に合格して中央の文人官僚となれる士族≒両班(ヤンバン)だったです。
秀吉による侵略のときも、初期には民衆の間に身分差別に対する不満があったため朝鮮側はまとまった抵抗ができなかったのです。
日本でも、江戸時代には士農工商という身分制度が存在しましたが、明治維新により消滅したことは周知のとおりです。
部落差別は戦後も残りましたが、人口比ではずっと少数と考えられます。
第9に、日本の植民地統治はずっと赤字であり、日本側の持ち出しが続いたことです。
実際の朝鮮王朝は、韓流ドラマで描かれるような絢爛たる豊かな国ではありませんでした。
朝鮮王朝末期にすでに破綻の危機にあったのです。
日本は、自国の負担になりかねない国をわざわざ併合して植民地統治を行ったわけです。
この点、伊藤博文は十分理解できていたために日韓併合には消極的でした。
それに対して、山形有朋に率いられた陸軍閥は、当時の国際情勢をにらんで日本の安全保障の観点から併合の必要性を主張していました。
結局、伊藤が暗殺されたために、山県らの主張が通ったことになります。
韓国は日本の最も近い隣国であり、古代からさまざまな形での交流がありました。
ただ、隣国どうしではあっても、以上で見てきたように国のあり方は対照的と言えます。
韓国人は、日本人が歴史を知らないと批判しますが、独立門の件で見られるように韓国人も必ずしも自国について正確な認識を行っているわけではありません。
相互理解は、正確な認識を共有することから始まると思います。
韓国に少しでも関心をもつすべての方に本書を推薦します。