『大人の時間はなぜ短いのか』 | 宇宙とブラックホールのQ&A

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2019年6月6日にYahoo!ブログから引っ越してきました。よろしくお願いします。

書評です。
一川 誠 著 『大人の時間はなぜ短いのか』 集英社 集英社新書0460G 206頁 2008年9月発行 本体価格\700(税込\745)
http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0460-g/index.html
↑は集英社新書のサイトで、試し読みができます。また、色彩順応の例示があって面白いです。

一川誠さんは1965年生まれなので、今年43歳。現在千葉大学文学部准教授。ご専門は実験心理学。

私も時間という看板を掲げている以上、いずれは心理学的時間についても触れてみたいと考えてはいたのですが、この分野ではこれまで書評を書きたいと思うような本には出会いませんでした。
書評で取り上げた本の数も50冊を超えたので、ここいらでそろそろ心理学的時間論も取り上げたいと思い始めたところ、たまたま本書が出版され早速手に取ってみた次第です。

本書は時間論と心理学のいわば交点に位置するわけですが、時間以外の心理学の研究成果や他の学問領域の時間論も紹介しており、さらに終わりの方には応用的な内容も含まれているので、学問的広がりを感じさせます。
これは、あとがきで触れている山口大学時間学研究所との交流によるものなのでしょう。

全体は7つの章からなります。
「第1章 時間って何だろう?」では、他の分野での時間論をまとめていて、全体の導入部となっています。
冒頭で触れられるのは、よく聞く、年をとると一年が短く感じられるという命題です。
これは国を問わないようで、フランスの学者親子が1928年に「感じられる時間の長さは、年齢と反比例的な関係にある」という仮説を立てました(ジャネーの法則)。
しかし、これはその時点では実験で確認したものではなく、直感に基づくものだったということです。
本書の表題はここから付けられています。

その後で、アウグスティヌスの時間に関する有名な指摘、物理学的時間、哲学における時間(特にマクタガート)、時計の時間がいずれも要領よく紹介されます。
著者は、物理学的時間と哲学における時間がいずれも一方向に進行する時間の実在を否定するのに対して、時計の時間というのは時計の針が刻む客観的で公共的な時間だといいます。
しかし、時計の時間として具体的に触れられるのは日時計や原子時、世界時などで、著者の主張に反して物理学の時間と区別するのは、私には無理なように思えます。

さて、以上のいずれとも異なる「体験された時間」が心理学の対象であり、本書の主題です。(本書の後のほうでは「生きられる時間」という言い方もしています。)

「第2章 私たちは外界をどのように知覚しているのか」では、時間から離れて、私たちの知覚や認知が外界の実在からいかに大きく乖離しているかを、空間的な錯視の例を多数使いながら示します。
大変面白い内容で、特に紙に印刷された図形が動いているように見えるオオウチ錯視は一見の価値があると思います。

「第3章 時間にかかわる知覚はどのように処理されるのか」では、知覚にかかわる生理学的機構がテーマです。
神経細胞の情報伝達時間や反応時間の測定法が紹介されます。
・聴覚刺激の処理の方が視覚刺激よりも速い。両者の差は0.04秒。
・時間知覚には独自の感覚器官がない。
・人間の体内時計の周期は平均でおよそ25時間(ただし個人差はかなりある)
・身体的リズムを調整しているのは、脳の視床下部にある視交叉上核(SCN)

第4章と第5章が狭義の心理学的時間論で、本書の中心といえます。
まず「第4章 人間が体験する時間の特性とは?」
・遠方にある音源と光源が見かけ上一致している(と見える)とき、実際には音と光が到達する時刻が同時であっても、光のほうが音よりも先に提示されたと知覚される。
・「同時性の窓」:実際には同時に生じていない出来事であっても、その出来事がある一定の時間内に生じたときには、それらの出来事がまるで同時に生じたように知覚される、その時間的な幅のこと。
ペッペルの実験によると、聴覚では約4.5ミリ秒、触覚では約10ミリ秒、視覚では約20~30ミリ秒。
つまり、時間に関しては聴覚の方が視覚より細かく識別することができる。
・空間に関する事象についての判断(音源や対象の位置など)では視覚の方が聴覚よりも優位に立つが、時間に関する事象では聴覚の方が視覚よりも優位に立つ。
たとえば、光を1回瞬間的に提示するのと同時に短い音を2回提示すると、光が2回提示されたように見える。
・視覚の中では、色の変化の方が動きよりも処理が速く、その差は80ミリ秒。
・「注意」は視覚処理に大きな影響を及ぼす。
視野の中で特定の部位に注意を向けるとその部位の処理が速められ、逆に注意を外された部位の処理は遅くなる。
・フラッシュラグ効果:たとえば、サッカーでゴールに向かって走っている攻撃側の選手と静止している守備側の選手とが、実際には並んだ位置にいたとしても、審判には攻撃側の選手が守備側の選手よりもゴール寄り、つまりオフサイドの位置にいるように見え、誤審の原因となる。
・心的回転操作(メンタル・ローテーション)にも、その回転角度に応じた時間を要する。
図に描かれた2つの物体が回転すれば重なるかどうか判断するとき。
・サッケード抑制:人間の視点は観察対象の中でも特徴のある点に数百ミリ秒留まった後、別の点に高速で跳躍する。その視点跳躍の動きのことを「サッケード」という。
サッケードの間は、視覚的な情報処理は遮断される。
これは、鏡の前で自分の視点を移動させ眼球の動きが見えるかどうか調べれば簡単に確認できる。
・同じ対象についての知覚が継続する場合、その鮮やかさは時間の経過とともに失われていく。
これを「順応」といい、その情報を処理する過程が疲労とともに不活発になるためと考えられる。
・錯覚は知覚のいい加減さを示しているのではない。
それは、個人差はあるものの、誰にでも共有されている。また、一定の規則性がある。

「第5章 時間の長さはなぜ変わるのか」
・感じられる時間と物理的時間の進み方の違いは、心的時計または内的時計と実際の時計の進み方の違いとして考えることができる。
・心的時計の進み方は身体的代謝に対応する。
身体的代謝は一日のうちで変動するため、起床後間もない朝の時間帯には心的時計はゆっくり進み、徐々に早くなって午後にピークに達し、以後次第にゆっくり進むようになる。
・緊張・興奮しているときは、心的時計は速く進む。
・時間経過に注意が向くほど、同じ時間がより長く感じられる。
・広い空間は時間を長く感じさせる。
大きな音が鳴っていると、時間が長く感じられる。
ここで影響するのは、物理的大きさではなく、感じられる大きさ。
・脈絡やまとまりが時間を短く感じさせる。
たとえば、相互に無関係な映像を次々と見せられるよりも、ストーリーのある映像の連鎖の方が短く感じられる。音声でも同様。
・難しい課題は時間を短く感じさせる。(これは思い当たる人も多いでしょう。)
・動作のペースが早いと時間を短く評価し、ペースが遅いと長く評価する。
・各人が心地よいと感じるテンポを「精神テンポ」という。
机を指で繰り返し叩く(タッピング)とき、1回あたりのタッピングは0.4~0.9秒の範囲に入る人が多い。
精神テンポは長い年月を経てもあまり変わらない。
作業のペースが自分のテンポと異なる場合、心拍数が上昇する。これはストレスを感じていることを示している。
・抑鬱状態、躁状態、統合失調症など精神疾患のある人は、それぞれ独特の時間感覚をもつ。
・心的時計の進み方は、加齢とともに遅くなる。
注意やワーキングメモリー(課題遂行のための一時記憶)の容量が加齢とともに小さくなること、身体運動能力が低下することなどによると思われる。
・時間評価には性差が存在するが、それは年齢によって異なる。また、個人差も大きい。

「第6章 現代人をとりまく時間の様々な問題」では、まず前半で現代社会、特に現代日本における生活時間の厳密化、高速化、等質化(無個性化)が指摘されます(高速交通、コンビニの24時間営業など)。
後半では、人間の能力を無視してスケジュールを詰め込みすぎるのは危険であること(JR西日本福知山線事故の例)、昼夜を無視することの弊害(たとえば睡眠障害の発生)などが指摘されます。

「第7章 道具としての時間を使いこなす」
・理念的、客観的な時間である時計の時間とは、道具としての時計と同様に人間の発明品であり、道具の一つともいえる。
ところが、現代生活においては、前章で見たように人間の発明品であるはずの時計の時間に人間の生活の方が合わせなければならず、それによって不都合が生じている。
それを解決するためには、人間が種としてもっている時間的な制約、人間によって「生きられる時間」の特徴を知らなければならない。
・具体的例示として、交差点で対向車が通過するのを待って右折しようとする車があり、また歩行者用信号が点滅し始め、ある歩行者は渡るのを諦め、別の歩行者は走って渡ろうとする状況において、どのような時間的錯覚が生じるのかを解説。
・第4章でみたフラッシュラグ効果によるサッカーのオフサイド誤判定は、VTRのような機械を利用すれば避けることができる。
ただ、スポーツ競技などにおけるタイミングについて、機械を使って時計の時間に基づいて判定するか、「生きられる時間」に基づいて判定するかは、それぞれの競技科目のもつ哲学に委ねられるべき問題。
・情報通信や移動の高速化によってやりたいことやできることが増えるのに対し、実際にできる事柄は「生きられる時間」によって決まるためそれほど増えないので、欲求不満や忙しさの感覚が以前よりも増している。
この問題に対処するためには、まず現状分析を行う。
何がしたいのかを列挙し、それぞれの事柄にどの程度の時間が必要なのかを書き出し、それだけの時間をどのように確保するのか考えてみる。
そして、優先順位を付けて整理する。

最後に、自分の「生きている時間」を知るために、たとえば自分で1分と感じる時間を計ってみて、時計の時間とあまりに違う時はさまざまな工夫をすることを推奨しています。


心理学的時間論の入門書として多くの方に推薦したいと思います。