前回


…のあらすじ

告別式終わって出棺。


*   *   *


2024年1月27日土曜日11時半頃。

市営斎場に到着。


担当はいさんが先にバスを下りて受付。

母の「遠かったねー…」という声が聞こえた。

同じ市内だが式場えむ斎場から1時間近くかかっており、

実は隣の市の火葬場の方が近い。


バスを下り、霊柩車に乗っていた夫と合流。

電動の棺を運ぶ台車(何ていうんだろあれ)が来て、義父の棺を載せた。

それに続いて中へ入る。


告別ホールで義父との最後の別れである。

この棺は窓がなく蓋が半分開くタイプなので、

先程閉めたはずの蓋は少し開けられて最後に顔だけ拝む状態に。


蓋を閉じ、火葬ホールへ。

代表3人までで他の方はガラスの向こうから、と言われたが、

我が家に義妹を加えて4人にしてもらった。


棺は炉の中へ。

私が持っていた大きい遺影と位牌は、取り違えを防ぐため炉の前に置かれる。

最後に合掌し、直ると扉が閉まった。

本当にお別れである。


火葬は1時間ほどかかるため、待合室で昼食を取る。

義妹が持っていた小さい遺影は陰膳用に置かれていた。


献杯の挨拶はお願いしていたとおり父が。

とはいえ身内だけなのでそんなに畏まることはない。

静かに献杯。


食事は「これで一番下のグレードなんですね」とネタばらしをしたら驚かれたくらい、

満足度の高いものだった。

娘は比較的大食いの方なのだがさすがに残したしその分は夫が食べた。

陰膳は持ち帰ることになる。


ある程度食事が進んだところで、

飲み物はもうお金のかからないお茶でとなったためそれだけ精算。

とはいえ人数は少ないしさほど開けなかったのであまりかからなかった。


本来なら今頃国技館で相撲見てたよね、と話す。

義妹も相撲好きなので話は通じやすい。

父方の伯父と従兄にチケットを譲ったので行ってくれたはずだが、

この日よりによって優勝争いに絡む横綱・照ノ富士は大関・豊昇龍の休場で不戦勝。

なんだか残念である。


トイレに行ったり、トリマの移動ログで通ってきた道を見返したりしているうちに、

そろそろ火葬が終わって呼び出しがかかるだろうとはいさん。

そのうちに館内放送で義父の名を呼ばれたため移動することに。


遺骨の確認は代表2人だというので、夫と義妹に行かせた。

娘がついていこうとしたので引き止めた。


収骨室に通される。

注文していた骨壷が置かれていた。

あれは海をイメージしてるんだよ、と母に話す。


母が、「お義父さんって骨がしっかりしてたと思う」と言った。

確かに手を見るとゴツゴツしていたので、

夫も骨太の方だし義父の遺伝だろう。


そのうちに夫と義妹、

骨になった義父が来た。

歯は焦げたが、それ以外はしっかり残っていた。

7人なので2人ペアで骨を収めていくと娘が余ってしまい、私のみ2回やった。


その後はスタッフさんの手で収められていく。

…のだが、骨がしっかり残りすぎてそのままでは収まりきらず、

箸でバリバリと粉砕し小さくしていた。

母、正解です。


最後に頭の骨を1つずつ入れていく。

前年の硬膜下血腫の手術で頭蓋骨に穴を開けており、

よく見たらその跡があった。


蓋を閉め、箱に入れられ、布で包まれる。

この遺骨を夫が抱え、バスに乗るのだ。

今度は位牌を私、大きい遺影を義妹、小さい遺影を娘が持つ。

(だから私と義妹逆だって…)


バスは往路とは一部ルートを変えてえむ斎場へ戻る。

娘はお腹いっぱいだし朝早かったしバスあったかいしで爆睡だった。

小さい遺影を落とすことはなかった。


えむ斎場に到着。

1階ロビーに遺影・遺骨・位牌を置く台があり、一旦そこに安置。

その場で夫が散会の挨拶をして、葬儀は終了。

両親と兄、義妹はここで帰っていった。

我が家3人はまだやることがあるため残る。


まず、今回義母の会員資格を使ってしまったため、

今度は義母のために夫が会員となるにあたり手続きをする。

いつ使うことになっても良いように、一括で支払ってしまうことにした。

その方がちょっとお得。


今回の葬儀費用は、後日振込用紙が郵送されるというが、

えむ斎場で直接支払うでも良いという。

その場の状況で決めることにした。


香典の返礼品を5つ持ち帰ることにしたが、

2週間以内なら返品できるという。

なお100個用意したが、実際出たのは30個足らずだった。


死亡届はそう社が代行してくれたが、

その時に市から遺族向けのハンドブックを預かってきたといい、それを受け取った。

これを見ればこの先何をしたらいいかがわかるという。

ただ、ライフラインと年金と保険証の返還は真っ先にやった方がいいとはいさん。

週明けにも忌引きを入れているのでそこでやってしまおう。


四十九日までに正式な位牌を用意しないといけない。

仏壇も無いので検討しないといけない。

そう社は某大手仏具店と提携しているといい、

そう社で葬儀をしたというと割引になるという。

ならば次の週末にでも行ってみよう、ということにした。


今後相続のことで相談することもでき、

専門家を紹介してくれるという。

四十九日を過ぎたあたりで考えていこう。


この場での話はここまで。

義父と荷物を持ち帰らねばならない。


先程の陰膳と返礼品、義叔父が贈ってきたフルーツもある。

余った会葬礼状と、お供えを盛り付けた茶碗と皿もある。

喪主の花を崩して祭壇用にした鉢が一対、

プリザーブドフラワーも一対、

そこに遺骨と位牌と遺影2種…


多すぎ!!!


でも全部乗った!!!(ドヤ)


位牌は娘が持つ。

「軽いけどおじいちゃんの魂が篭ってるからね〜」とはいさんに半分脅される形で持たされ、

「責任重大じゃん!!!」とビビってた。

遺骨は夫の膝、遺影は後部座席へ。


はいさんに

「昨日遅くまで今朝も早くからありがとうございました」

と伝え、えむ斎場を出た。

バスで熟睡だったはいさん、本当にお疲れ様でした。


義父、1年振りに帰宅。

前日はいさんが組んでくれた祭壇へ安置し、初めてのお線香をあげた。

…まぁ田中角栄邸の火災の原因が線香だというので、すぐ折ってしまったけど。


でも義父のことだから、

「危ないから消してよ」

って言いそうだよね。


そんなことを言いながら、

陰膳が紐引っ張ってあっためるタイプの弁当だと知って、

やたらはしゃぐ夕飯時の我が家でありました。


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◎なおこの後仏具屋でLED線香を買いました



◎無限に広がる青い空へと義父は旅立っていきました