前回


…のあらすじ

義母の老人ホーム入居準備したよ


*   *   *


2024年1月12日金曜日。

あい病院から預かった書類を届けに、ゆうホームに行こうと支度をしていた。

そんな中8時40分過ぎに電話が鳴る。

ゆうホームからだった。


義母の件かなと思ったが、それにしては時間が早すぎる。

出ると、施設の看護師を名乗った。


義父さんですがここ最近風邪症状があってこちらで様子を見ていたのですが、

今朝酸素飽和度が下がっていてこちらでの対応に限界がありますので、

今から救急車呼びますね


( 'ω')ファッ!?


まさかまさかの急展開。

そもそも義父がこのところ具合が悪かったことも知らされていなかった。


提携先の病院はあるのだが、問い合わせたらコロナ患者が増えてきて満床だと断られてしまったらしい。

搬送先が決まったら向かってほしいという。

まぁ…元々義母の件で伺うのはアポ取っていなかったから、

行先変更になっただけと思えば問題は無い。


待つ間に、搬送先が決まり次第夫にメールを送れるように準備をする。

生死に関わるようなら職場に電話するが、どうもそうではないようなので忙しいこともありメールにとどめた。


1時間ほどでまた電話が鳴る。

今度は施設スタッフの女性だ。


「義父さんを今からしい病院に搬送します」


出戻りかい!!!

と電話を切って叫んでしまった。

しい病院というのはちょうど1年前に義父が救急搬送で入院し、

硬膜下血腫で治療を受けていたところである。

退院以来9ヶ月半ぶりに、しい病院に行くことに。

夫に先程のメールを送ってから出発。


到着して、近くにいた係員に事情を話し、

救急外来前のベンチに案内してもらう。

程なく看護師が来た。


義父は肺炎症状があるため入院となった。

どうも誤嚥性肺炎のようだ。


感染症の検査を待つ間に入院手続きをしてきてほしいと言われ向かった。

昨年と同じ場所で同じ封筒を受け取り、同じ書類を書くよう言われる。


その間、ゆうホームから何回か電話があったが、

説明を受けている最中で出ることはできない。

留守電が入ったので聞いてみると、

「病院に着いたらご連絡ください」

とのこと。


再び救急外来に戻り、ゆうホームに電話しなきゃ、

と思った矢先にまた電話が鳴った。

夫からだ。

私が電話に出ないから、ゆうホームから職場に電話がいったらしい。

送ったメールも見たそうで状況は理解していた。


とはいえ今すぐ夫に駆けつけてもらうような状況ではない。

ひとまず私が対応することにして、夫には引き続き仕事に専念してもらうことになった。


先程の看護師が来て、

封筒の中から書類を1つ出しクリップボードに挟んで、

義父について書くよう言われた。

既往歴や生活習慣、家族構成に連絡先などだ。


既往歴には念の為昨年の硬膜下血腫を書いた。

困ったのは、義父は若い頃に肺結核を患って完治したというのを、

朝ドラ「ブギウギ」で村山愛助が結核で倒れたシーンを見た時に夫から聞いていたが、

いつのことだかはわからないという。

愛助さぁん…( ;꒳​; )


書くべきか迷っていたら、呼吸器内科の若い男性医師が来た。

仮名なっぱ医師とする。


「若い頃に結核をやっていたと聞いてまして、それが再発した可能性も否定できないんですよ。

そのため否定できるまで3日間は個室になります」


あっそういや施設入居の時に夫が言ってたしそれがもう伝わってんのね…

大人しく書くことにした。


今後栄養を摂るのに胃ろうを造るか点滴にするかを夫と考えてほしいと伝えられた。

亡き祖母も誤嚥性肺炎で胃ろうを造ったので、少し知識はある。

祖母はその後1年は生きた。


この時、危篤に陥った時の延命治療について聞かれた。

これも旦那さんと相談の上、と言われたが、

ゆうホーム入居時にも、義母の入院時にも、夫は延命を希望しなかった。

そのことからここでも「無理に延命しなくていい」と伝えた。

後で夫に言ったら「それでいい」と。


なっぱ医師は、いつの間にか隣にいた女性に声をかける。

その女性が、救急車に同乗していたゆうホームのスタッフだった。

預けていた保険証を渡される。


ちょうど食事形態や排泄など書けない部分があったので、

それはこの方にお願いして書いてもらった。

風邪症状はあるがそれ以外は元気だという。

状況がわかったら連絡してください、と言って帰っていった。


書類を一通り書き終えたところで義父が出てきた。

ベッドに寝かされ点滴をつけて、

言葉にならない呻き声を発していた。

私には気づかなかった。


「一緒に病室に行きましょう」と言われついていったが、

結核の可能性が捨てきれないため同じエレベーターには乗れない。

反対のエレベーターで階層と病棟を伝えられたのだが、

昨年入院していたのと同じところだった。

義父は既に入ってしまったので、病棟スタッフに声をかけ、ラウンジで待つ。


じきに看護師が来て、書いたものを渡す。

この時身体拘束について説明を受けた。

認知症の傾向があるせいか既に点滴を外しそうな動きがあり、

今後ミトンをつけるとか起き上がったのを知らせる装置をつけるとかするという。

まぁ当然その方が良いので了承した。


そのうちに先程帰ったはずのゆうホームのスタッフが来た。

迎えのスタッフが入院に必要なものを施設から持ってきてくれたらしい。

おかげでこちらは何も用意せずに済んだ。


入院着とオムツをまたレンタルすることになるので、

その場で申し込み用紙を書いて院内のコンビニへ。

「去年もやってるんで」と言ったらウケた。

「てか去年もこの病棟だったんですよ」と言ったらもっとウケた。


しかしちょうどお昼時でレンタルの受付を停止していたため、

一旦ラウンジに戻って再開を待つ。

その間に母に電話したいとLINEを入れたのだが、

用事があってすぐには無理という。

入院の書類も書いたが、夫がいないと書けないしハンコも必要という書類があった上に、

介護保険証(それも更新で役所に返してから届いた仮のもの)も持っていなかった。


13時になり再度コンビニへ。

初回はその場でもらって病棟に届けることになっている。

病棟に戻り先程とは違う看護師に手渡して終了となった。


車に戻ってゆうホームに現状報告。

名乗ったら「ああー!」って言われた。

そりゃ救急車呼んでるんだからそういう反応だろう。

看護師に胃ろうについて確認したところ、対応はできるという。


帰宅し、帰りがけに買ったパンをかじっていたら、母から電話が。

事情を話し、もっと遅くなるようなら娘を迎える都合来てもらおうと考えていたが、

もう済んで帰宅したので今日は大丈夫、と伝えた。


この電話の最中に夫から着信があったSMSが入ったのでかけ直す。

公立学校勤務で担当する授業は終わったので今から帰れるよ、というが、

既にこちらは帰宅していて、今帰っても何がある訳では無いのでそのまま仕事を続けてもらった。


娘が帰宅。

病院の封筒を見て、昨年入院した時のものだと思っていたようだが、

実は今日入院したと言ったら驚いていた。

でも1年経って成長したのか、泣くことはなかった。


その夜、支払いの連帯保証人の欄を、稼ぎのある人というので夫に書いてもらう。

これを翌日持っていっても土曜日なのでその場で手続きができず進展がない。

月曜に持っていっても同じだという。

ならば今日出来なかったことを月曜にまとめてやってしまおう、と決めた。


次回、病院とゆうホームとサンキ。


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◎ヨドバシの福箱でスマートウォッチを手に入れたので通知のたびに手首が震える



◎ガラポンで木下大サーカスのペア招待券当てたんで冬休み明けの登校日の午後に娘と見てきたんだけど、あの時無理にでも行ってよかった…