前回
…のあらすじ。
義父の老人ホーム選びと並行して、
義母の介護も動いてたんだよ頑張ってたのよ褒めて←
* * *
2023年3月26日日曜日。
介護付き有料老人ホーム「ゆうホーム」との契約である。
日曜日にしたのは、夫が学校勤務ゆえ休みだから。
夫の口座を登録する都合、本人がいる方が良いというのもある。
私の両親を呼んで娘と留守番と、
義母の昼ごはんをお願いしておいた。
義実家から判子を1つ持ってきた。
我が家の認印・夫の銀行印と通帳も持参。
夫は見学にはいなかったので、初めてのゆうホームである。
今回も施設長が登場。
紹介会社えぬ社の担当を通じて入居の打診をした後、
施設長直々にしい病院へ行き義父に会ってくれていたらしい。
その時の様子を教えてくれた。
契約書は枚数が多い上に、控えにも書いて押印しないといけない。
夫がひたすら書き、私は書けたものから押印していった。
入居の日をいつにするか、
これは決まっていて、この週の金曜日、
3月31日になった。
平日だが、たまたま夫が年度末で休みを入れていた。
その旨と、しい病院から直接入居となるため、
介護タクシーを手配することをソーシャルワーカーに伝えるよう言われた。
また入居費用を先に振り込んでほしいとも。
いずれにせよこの日は日曜なので、
すべて翌日に済ませた。
夫が午後から出張のため、午前は休みを入れていた。
春休みで助かった。
その後は入居の準備に勤しんだ。
服は義実家にあったもののうち、比較的綺麗なものを探し出す。
義実家は、良く言えば「物を大事にする」
悪く言えば「捨てられない」
多少の擦り切れなら直すけど、
大穴が空いても着続けるくらいボロボロの服が多い。
それでも比較的綺麗そうな服はいくらかあったので、
多少買い足したものの大きな出費にはならなかった。
しまむらやパシオスで十分だったしね。
名前は、書ける限りは書いて、
書けないものはテプラにした。
アイロン接着のテプラ大活躍。
病院用に買っていたものもあるので、
入居の時にそのまま持っていくことに。
家具家電は、テレビだけ持っていくことにした。
といってもさほど大きくなく、部屋の箪笥に乗る程度。
義母があまりテレビを見ない上に、小さいテレビもあるので、
1台減ったところで問題はない。
っていうふうに義実家に上がって準備しているのを、
義母が気にしてウロウロしている。
腰が痛いんだから来なくていい、と何度声を荒らげたことか。
夫が。( ˙꒳˙ )
そうして用意できたものを前日のうちにすべて車に積む。
テレビは後部座席にシートベルトをつけて固定しておいた。
そうして迎えた3月31日。
娘はまた私の両親と留守番である。
しい病院に向かい退院の手続き。
病棟入口で着替えと靴を渡し、
準備してもらっている間に夫は精算、
私はレンタル終了の手続きへ。
コロナの影響で患者以外は入れないというラウンジに入れてもらい、
そこで義父を待つ。
空の車椅子を押して入っていく男性がいたが、
それがソーシャルワーカーに手配をお願いしていた介護タクシーだった。
この先の動きを夫と確認する。
夫は義父と介護タクシーに乗り、
私は病院の荷物を積んで車で追いかける。
経路は事前に確認しており、
通ったことは無いが、大通りに出ればほぼ道なりという最高のルートだったので、
ちょっと楽しみにしていた。
そのうちに義父が、先程の車椅子に乗せられてやってきた。
私は1月の手術以来なので丸2ヶ月ぶりである。
随分痩せてしまったし、声も出しづらそうだった。
でもだんだん声は出てくるように。
夫が義父と話をしている間に、
男性看護師から、施設に渡してほしいと書類を預かる。
特に説明は受けなかったが、「渡せばわかると思いますので」とのこと。
荷物も預かった。
介護タクシー運転手に挨拶し、一緒にエレベーターに乗り込む。
閉まる間際、看護師が義父に「元気でね!」と声をかけてくれた。
私達も「お世話になりました」と返す。
救急搬送から2ヶ月12日、
義父、遂に退院。
ここで私は別行動。
まず車で、荷物の中から施設でも使うものを分けておく。
何故かティッシュ箱がビリビリになっていたのでこれは使えない。
履物は多少汚れてはいるがまだ使えそう。
留守番中の母へ現状報告のLINEを送る。
今一度ルートを確認する。
駐車料金を払う…
なんてやってて、しい病院を出ようと思ったら、
ちょうど介護タクシーも出発したところだった。
結局介護タクシーのすぐ後ろをついて行く形になった。
ドライブはちょっと楽しかった( ˙꒳˙ )
ゆうホームに到着。
台車を借りて荷物を運び込む。
夫は介護タクシーの精算をした。
ここでまずやるべきことは、全員のコロナの抗原検査。
荷物を部屋に運び込むため施設の中に入れてもらうのだが、
以前も言ったようにクラスター経験のある施設。
仮に外から来た我々がウイルスを持っていたとして、
それが施設利用者たる高齢者に感染したらまた大変なことに。
さすがに防疫を徹底している。
その結果が出るまでの時間を利用して、
これからお世話になるケアマネさんにご挨拶。
しい病院から預かったものを渡し、
ケアプランに署名と捺印を…と言われて、
判子を忘れてきたことに気付く…。
「じゃあ今からお部屋に向かいますね」
と声がかかる。
どうやら抗原検査は全員陰性だったらしい。
ここより奥は写真で見ただけの部屋。
やっと見られた部屋は明るくて広い。
介護ベッドと箪笥が1つ。
写真だけではわからなかったが、トイレの裏にあたる部分に洗面台もあった。
夫がテレビを、私が衣類などを設置。
それが落ち着いて、私は夫に義父の写真を撮るよう言った。
義母・娘・私の両親に見せるためである。
ちょうどお昼時になったので、義父の昼食が運ばれてきた。
本来は食堂でほかの利用者と一緒に摂るのだが、
これも防疫のために入居直後から3日間は個室対応となる。
このタイミングでお暇することにした。
翌日には判子を押したケアプランを持っていくついでに、
病院から持ってきたものの残り僅かになっていた歯みがきと、
恐らく病院で処方されたと見られる保湿剤を持っていった。
翌週には訪問歯科から抜歯の同意書がほしいという連絡があり、
それを書きに行くなどしばらくは落ち着かなかった。
コロナが5類に移行してから2度面会した。
これはまだ予約制かつ人数制限かつ回数制限とまだ厳しくはあるけども。
うち1回は夫と娘、もう1回は夫と義母組み合わせで行った。
銀行口座も、義父の通帳があっても判子がわからない状態だったので、
義父を連れ出し判子の変更手続きをしたこともある。
夫が200万以上立て替えてきたので、
引き落とし口座を変更するとともに、許可を得た上で義父の口座からちょっとずつ返してもらっている。
(贈与税のかからない範囲で…)
義父本人はやはり脳のダメージが残っているからか、
体が思うように動かなくなってきているらしい。
入居当初は車椅子だったが、頑固な義父のことだろう、
車椅子に頼らず自力で歩こうとしたんだろうな。
しかしそれで転ぶなど迷惑をかけてしまっているので、
今は大人しく車椅子を使っているらしい。
義父が倒れた時は、この正月に「あけましておめでとう」と言えないんじゃないかと思っていた。
そして今は、来年の正月は言えないんじゃないかと思っている。
正直、いつ何があってもおかしくないのだ。
とはいえ義父のことはこれで落ち着いた。
問題は、義母である。
次回、新章。
* * *
◎すごい時代になったもんだ
◎大ブレイク直前に羽生市でのイベントで見たのが私の自慢