○人身攻撃 といふ語は洋語より翻訳せられて以来長く世間に用ゐられしが吾は今に至りて稍〻其意義の上に疑を生ぜり。由来人身攻撃といふ語は悪き事に用ゐられ吾も亦しか用ゐたり。例へば某学者の学問浅きことを言はんとして其人の私行をも摘発し却て其私行の悪を以て学問浅きことを証と見せしむるが如き是れなり。然るに人身攻撃といふ語の濫用は終に悪人が自己を防衛するの盾となり、他人より攻撃せらるゝ時、被攻撃者自から「それは人身攻撃なり、人身攻撃は卑劣なり」抔と他を誹り返すに至りて、人身攻撃なる語は吾をして一種異様の意味ある如く感ぜしめぬ。若し人身攻撃なる語にしてありもせぬ悪行を拵へ出して人を罵るを謂ふとせば其如何なる場合を問はず人身攻撃とは悪き事なり。若し人身攻撃なる語にして他の政略、学問、技芸等を攻撃すべき所に他の悪行(実際在りたりし)を挙げて之を攻撃し是に由りて他の政略等を攻撃する手段となすを謂ふとせば其手段の卑劣なる点に於て人身攻撃とは悪き事なり。若し又人身攻撃なる語にして単に人の悪言悪行(実際在りたりし)を挙げて之を非難するを謂ふとせば人身攻撃は必ずしも悪き事に非るなり。此の如くんば人身攻撃は社会の制裁に於て徳義の制裁に於て必要なること屡〻之れ有り。例へばある新聞が其紙上に於て単に 政治家 詩人 商人の悪言悪行を挙げ之を非難したるに、ある者は之を人身攻撃として其新聞を誹る。政治家は政治家たる側に於て私行の善悪に拘らざるべし。詩人も商人も其詩人たり商人たる側に於て私行の善悪に拘らざるべし。故に政治家の政略を議するに私行を言はず、詩人商人の技芸商略を議するに私行を言はざるは勿論なり。されども政治家も詩人も商人も其社会の一人たる上に於ては一言一行の上に道徳上の責任を免るべきにあらず。社会も亦人間として同胞として宜しく遠慮なく彼等の悪を責むべし。彼等の悪を責むるは徒に彼等を貶するの目的にあらず、人間の安寧と社会の秩序とを保たんがためなり。然れどもある人は之を人身攻撃なりといふ。是に於てか人身攻撃なる語の意義に疑を生じたり。唯〻識者の教を乞ふのみ。
(「松蘿玉液」 正岡子規)