跋
空谷下島先生の「井月の句集」が出るさうである。何しろ井月は草廬さへ結ばず、乞食をしてゐたと云ふのだから、その句を一々集めると云ふ事は、それ自身容易な業ではない。私はまづ編者の根気に、敬服せざるを得ないものである。
井月の句集を開いて見ると、悪句も決して少なくはない。天明の遣音は既に絶え、明治の新調は未起らなかつた時代は、彼にも薫習を及ぼしたのである。しかし山嶽の高さを云ふものは、最高峯の高さを計らなければならぬ。井月は時代に曳きずられながらも古俳諧の大道は忘れなかつた。「咲いたのは動いてゐるや蓮の花」以下、集中に散見する彼の佳句は、この間の消息を語るものである。しかも亦彼の書技は、「幻住庵の記」等に至ると、入神と称するをも妨げない。私は第二に烱眼の編者が、この巨鱗を網にした事を愉快に思はずにはゐられないのである。
が、私の編者に負ふ所は、これのみに盡きてゐるのではない。昔天竺の鹿頭梵志は、善く髑髏を観察し、手を以て之を撃つては、死の因縁を明らかにした。たとへば「是男子なり。衆病集つて百節酸痛し、命終を取る。是人死して三悪趣に堕つ」の類である。しかし世尊が試みに、優陀延比丘の髑髏を与へて見たら、彼は唯茫然として、「男に非ず女に非ず、亦生を見ず。亦断を見ず。亦同胞往来するを見ず。」と、殆答へる所を知らなかつた。無余涅槃に入つてゐた比丘は、「無終無始、亦生死無く、亦八方上下適くべき所無し」だつた為、梵志の神識も及ばなかつたのである。これは優陀延に限つた事ではない。井月の髑髏を撃たせて見ても、梵志はやはり喟然として、止むより外はなかつたであらう。このせち辛い近世にも、かう云ふ人物があつたと云ふ事は、我々下根の凡夫の心を勇猛ならしむる力がある。編者は井月の句と共に、井月を伝して謬らなかつた。私が最後に感謝したいのは、この一事に存するのである。
大正十年十月二日
芥川龍之介筆記
(「井月全集 増補改訂版再版」 下島勲 高津才次郎共編)