狂躁亭日乘・アメリカを怒らせた総理201601271700 | おととひの世界

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アメリカが 好きでも嫌いでも
いいんだけど、日本の国益を守るのは
日本の政治家の仕事だからね。
しかし確実に相手を怒らせるのは
約束を守らないか、 あるいは守れない。
そういうタイプ。

最近では 鳩山由紀夫 氏。
官僚総がかりで足を引っ張られたけど
もちろん それがあっていい事とは
思わないけど

そもそも 官僚機構を使いこなすだけの
統治能力がまったくなかった。
仮免で総理をやったようなもの。

現在の安倍首相も
閣僚経験があまりないんだよね。
その点では 鳩山由紀夫氏と
似てなくもないんだな。
だから 一度目はそれで失敗した。

2度も総理がやれる人って
めったにないからね。

保守本流がしっかりしていた頃
最低当選10回以上
大蔵、 通産は歴任していて
当たり前、その上で 能力
諸々の本人の実力がある人。
つまり 自分の派閥を
やりくりしていける実力者しか
総理大臣にはなれませんでした。

人気だけで総理になれる
というのは絶対に間違いです。
結局 ろくなことにはならない?

そういう人は外国との約束なんか
まずまもれないですよ。
政治的実行力がないから。


確信犯的に守らなかったって人も
いたよね。わざとダマシた。
佐藤栄作元総理ね。結局それで
沖縄を取り戻したから
大したもんだよね。しかも
殺されもしなかったでしょ?

ノーベル平和賞までものにした。

田中角栄氏なんかに比べると
本当に違うよね。誉める意味でだけど
佐藤栄作さん、本物の悪人だったです。
ある意味 政治家の手本だと思います。
絶対に本当のことを言わない腹黒さ ね。
人は悪いかもしれないけど
それがないとあれだけの事は出来ない。

吉田茂や兄貴の岸信介両氏の苦労なんか
見てたからなんでしょうね。
60年安保のときなんか
新入りの警察官がビビって
次々やめてしまい

首相官邸の警備
ものすごく手薄になっていた。
当時総理秘書官だった佐藤さん
遺書を書いてたっていいますからね。

あの時に警察官の給料って
かなり安かったのが上がったらしいね。
次々やめていたんで。

田中角栄氏は
その時から働いていたけど
そこまでまじかで見ていなかったわけで
それがあったらもうちょっと
違う対応ができてたかもしれませんね。

ただ 実行力だけが
めちゃくちゃにあったから
なんだできないじゃないかってことで
アメリカ側を怒らせることはなかった。

実行力がないか
もしくは融通がきかないか
それでよく怒らせていたのが
宮沢喜一さんだった。

日米繊維交渉の最中も
交渉ごとがうまくいかないと
1人でよく部屋で大酒呑んでいたと。
酒を飲んでよく人に絡むんで有名だった。
だから誰も宮沢さんと
酒を呑みたがらなかった。

そういう後始末を
ちゃんとやってたのが
田中角栄さんだった。
そういう信頼感はあったんです。

1971年8月15日
いわゆるニクソンショックの日
アメリカ側はあきらかに
その日時が 終戦記念日であり
しかも日本側が いわゆる
お盆休みの休日が続くことを
知っていて、わざとやった。

役所も休みだった。
さすがの大蔵省も
ちゃんと予測していなかったんです。
だからその間ノーガードになっていた。

会計勘定で大損が出た。
大蔵官僚 もうろたえた。
そのあとしまつ、きっちりつけたのも
やはり、田中角栄氏。

危機管理で発揮された能力の信頼を
バックに、田中さんは総理になった。
単にカネの力でなったと
いうわけではありませんよ。

あくまで本人の能力です。

その力がありすぎた事を
警戒され、ああいうことになったので。

宮沢さん、福田赳夫内閣のとき
経済企画庁長官かな?
ちょうどカーター政権のとき
だったんだけど

最初の 本格的円高に。
本人かなり神経がまいったみたいで
やはりちょっとアル中じゃないかって
噂が立った。半端ない
酒飲みだったことは確かです。

あれだけの酒呑みだったのに
後でやっと総理になった時
なんと 主治医がいないことが分かった。

周囲は皆驚いた。
あれだけ呑ンベエなんだから
肝臓病や糖尿の一つもあるだろうと
ほとんどの人が考えてた。

ところが健康診断やってみると
ほとんど動物並みに 健康だった。
ちょっと血圧が高いかな位しか
問題点がない。

さすがに周辺の官僚グループ
あらためて、政治家 は、
人間ではないと思ったらしい。

80年代初めの鈴木善幸首相、
あの人は約束を守らなかったから、
アメリカにさじを投げられた
とよく言われるけど、

そうではない。

あくまで日本の国益を考えると
これこれはできないと
はっきり言ったから嫌われた
というだけです。

宮沢喜一さんの場合は
本人の性格が絡んでいた。
ともかく 自分より賢い、ものを知る
人間はいないと本気で思いこんでいる。
それを態度に出してしまう。

当選したばかりの
クリントン大統領にあった。
アメリカ は大不況だった。
日本はまだバブル崩壊が始まって
間もない頃で、ちょうど
今の中国みたいに
金持ち 国 として
もてはやされていた頃です。


クリントン大統領は下手にでた。
親子ほど年上の
相手をたてたわけです。

ニッポンの宮沢総理は
英語が得意だと、自他ともに認めた。
だから 外務省の通訳を
脇にやって 自分で話し始めた。


そこで 大統領に向かって
グレイブ コンシクエンスという
(grave  consequence)
言い方をした。重大事態という意味。

大変なことになるかもですよ、的な。

外交のプロトコルで言うと
最後通牒の二歩手前くらいの
警告的な言い方なんですよ。

とってもきつい言い方です。
日米の様な近い同盟国間では
めったに使われることはない。

はっきり言って喧嘩腰だからです。

クリントン大統領の顔色
その時、サッと変わったという。
その場にいた通訳は緊張したそうですよ。
総理は、大変なことを言ってしまったと。

それから あろうことか
戦前の大恐慌のさなかに
ロンドンへ留学した際
ジョン メイナード ケインズに
あったことなどなど
大統領に向かって講釈を始めた。

年下とはいえ
相手は超大国の大統領
やって良いことではないですよね。

それから ほどなくして クリントン氏
誕生間もない頃の新生ロシア共和国
ボリス ・エリツィン大統領にあった。
歯に衣着せぬ物言いで有名。
この人もしばらく前に
宮沢総理にあっていた。

ボリス・ エリツィン
クリントン氏を捕まえて 開口一番。

「宮澤のチビにあったんだって?」

そう切り出したという。
それに答えてクリントン氏。

「はい、あってきました」

「なんだか とても嫌な奴だっただろ?」

「はい 、とても嫌なやつでした」

米ロ首脳会談なのに
しばらく 欠席裁判をやっていたとか。
とても行儀が悪い話だけど
そうされてしまう側にも
問題があると思うんですよ。

結局 宮沢総理は末期に
内閣不信任案を提出・可決され
面目も政権も、失うことになった。

その直前に 、クリントン氏は
皇太子ご成婚の祝賀行事で
また来日していた。

そして 宮沢総理に叛旗を翻した側の
小沢一郎氏や羽田孜氏を
パーティーでわざわざ激励している。

どう考えても内政干渉であり
外交上の重大なルール違反ですけど
若い大統領に、そうさせてしまった
宮沢総理の側にも
責任があったと思いますよ。

あのあたりから
ニチベイ関係っての
カタチの上でもブッ壊れたまま。

かつてなく両国関係が
良好だったと言われている
小泉純一郎首相の時

この人は、あまり上手じゃない 英語で
コミュニケーションをとるのは
まぁ得意だったのですが

9.11テロのあとの
ブッシュ大統領に向かって

「We  are  fighting terrorists! George!」
・・と言ってしまった。

おそらく 小泉総理は
「 俺たち    一緒に
         テロリストとたたかって
              いるんだよね !   ジョージ! 」

そう言ったつもりだったのでしょう。

しかし そういうつもりなら
 fighting とterroristsのあいだに
      アゲンスト against   を置かないと

「俺たちって、
     戦うテロリストだよね !ジョージ!」

・・という意味になってしまうわけです。
実際、ブッシュ大統領は 一瞬
ギョッとしたそうですよ。

これには、さすがの外務官僚も
頭をかかえた。そして
かたき同志だったはずの
田中真紀子 外務大臣に頼んだ。

小泉総理の、アノ英語
ちょっと、何とかなりませんかね?

「なんとかなるわけないじゃないのッ!」

一蹴されたらしいですけど。