お元気さま
からだ調律師 あらきゆたか です
すべてが快く、愉しく、悦びに溢れる今日を贈っていただくことをお祈り申し上げます
太字、アンダーラインは引用者
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Presented by 夜間飛行
“The Book Project 夜間飛行”では、次世代の「本」の形を提案します
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名越康文メールマガジン 生きるための対話(dialogue)
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2016年10月17日 Vol.134
2016年10月17日 Vol.134
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01【近況】天才は人を絶望させる
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全文はコチラから
という映画、みなさんはご覧になったでしょうか。
グラミー賞を受賞した、エイミー・ワインハウスという天才歌手の半生を綴った映画です。僕が印象的だったのは、16、7歳頃の、実際に彼女が歌っている映像です。
それを見ると、この時点で既に、彼女の音楽は完成されているということがわかるんですよね。僕はこれを見て「やはり天才に教育は必要ないんだな」と思いました。
いや、本当は天才だけじゃないですね。
すべての人は、持つべきものをすべて持った状態で生まれてきている。
才能が開花するというのは、生まれ持った才能に気付き、自覚する、ということに過ぎない。
後から覚えること(というより、身につけられること、と言ったほうが良いでしょうか)というのは、本当にごくわずかでしかない。じゃあ、学校には意味はないのか、教育の全てを否定するのか、というと、そんなことはありません。学校も、教育ももちろん必要です。
ただし教育の意味の多くは「人間を社会に適応させる」ことにあるのであって、才能を開花させることではないんだと思うんです。教育をめぐる議論の「ボタンの掛け違い」というのは、結構ここで起きているんじゃないかと愚考します。
多くの人がなんとなく、
「教育というのは、その人の持って生まれた才能を開花させるもの」と考えている。
でも、才能というのは「自覚する」ものであって、「学ぶ」ものじゃないんです。僕は、学校教育の少なくとも8割は、そのままでは社会に適応できない人間に、
曲がりなりにも社会生活を送れるようにするためにあるんだと考えています。
もちろん、その過程で才能が開花することはあるかもしれないけれど、
それはいわば副産物に過ぎない。いわんや「天才」を作り出す教育なんて、不可能だろうと僕は思います。
天才は生きる中で、自分の中に眠る天才性を発見する。
もし私たちの社会にできることがあるとすれば、
天才が自らの中に眠る天才性に目覚めるその日まで、野垂死にをしないように支えていく、ということでしょうか。
天才の多くは、その天才性ゆえに社会不適合を起こしやすいですからね。
皆様には呉々もご自愛くださいますよう
ご機嫌好う
ここまでお読みいただきまして
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