桐生市 医光寺境内社 赤城大明神 | 素晴らしき哉 寺社彫刻

素晴らしき哉 寺社彫刻

関東の寺社彫刻の写真を中心に載せます。

涌丸 赤城大明神 (醫光境内社)

 

桐生市黒保根町上田沢涌丸の醫光寺は弘仁11年(820)弘法大師空海により開山された古刹である。寺の境内には関口文治郎(文化4年 1807没)の墓もある。

 赤城神社の棟札が残されており、文化6年(1806)建造とある。しかし、工匠の所は消えてしまったのか初めから書かれなかったのかは不明であるが、文字らしきものは書かれていない。

文治郎の墓は近年になってから移されたが、当初は上田沢沢入の自宅付近にあった。

 醫光寺本堂は林大隅流の町田棟梁の下で延享4年(1747)に建てられた。本堂には宝暦3年(1753)の墨書が残る文治郎の出世作と思われる欄間彫刻がある。

 当赤城神社は工匠の名は不明ではあるが大隅流の特徴のある虹梁の鯖尻がある事からも本堂と関係の有る大工の作品とみられ、彫工は文治郎の弟子たちの作品ではないかと見られている。

 

 向拝の目抜の位置には司馬温公の瓶割り

 水引虹梁には若草の絵様が彫られその上には空間を一杯に使った司馬温公である。通常はこの位置には龍を彫るのが一般的であるが、子供と水の関係の深い「瓶割り」を使ったと思われる。

 細かいところになるが組物の先に鶏が彫られている。

 

海老虹梁と手挾

 海老虹梁の形式は19世紀初期の形式を示しているが、この頃より大胆な龍等を絡ませる事が増えてきた。これはその走りであろう。手挾は「牡丹の篭彫り」比較的多く使われる題材である。

 

妻飾り

 妻飾りは二重虹梁で波の絵様が彫られ、鯖尻には林大隅流の特徴がある。太平柄の位置は彫刻で充填されている。各支輪には鶴や波、植物が彫られ、蟇股には草花が彫られている他、組物には鶏が彫られている。

 

右胴羽目 菊慈童(きくじどう)

 菊慈童は、深山に流罪となった慈童という少年が、経典の言葉を写した菊の葉の露を飲み不老不死となった、という中国の説話。枕菊童(まくらじどう)と表記しているのもある。

 

 左胴羽目 中国故事 許由・巣父(きょゆう・そうほ) 

 許由は陽城槐里の人でその人格の廉潔さは世に名高く、当時の堯帝(三皇五帝時代の聖王)がその噂を聞き彼に帝位を譲ろうと申し出るが、それを聞いた許由は潁川(えいせん)のほとりにおもむき「汚らわしいことを聞いた」と、その流れで自分の耳をすすぎ、箕山(きざん)に隠れてしまったという。

 

背面胴羽目 中国故事 許由・巣父(きょゆう・そうほ)

 高士として知られる巣父も、帝位を譲る申し出を受けた一人であり、まさに牛にその川の水を飲ませようとしていたが、許由が耳をすすぐのを見て「牛に汚れた水を飲ませるわけにはいかぬ」と立ち去ったという。

(一回ばらしたものを組合せしたが、貼付け場所が狂ってしまったようです。)

 

脇障子 中国故事 太公望 呂尚・姫昌(ろしょう・きしょう)

 

 紀元前11世紀頃、古代中国「周」の文王(姫昌)は猟に出る前に占いをしたところ、獣ではなく人材を得ると出た。狩猟に出ると、落魄して渭水(黄河の支流)で釣りをしていた呂尚に出会った。二人は語り合い、文王は「吾が太公(祖父のこと)が待ち望んでいた人物である」と喜んだ。そして呂尚は文王に軍師として迎えられ、「太公望」と号した。

 こんな逸話が残されていることから右は釣りをしている、「呂尚」左は向かい入れた「文王(姫昌)」ではないかと思われる。

(中国故事に関することは龍元洞さんのブログを参考にさせて頂きました)

 

木階と右腰羽目

 

 

背腰羽目と左腰羽目

 

 向拝の柱には三方に地紋彫。浜床と浜縁の付いた7級の木階、大床も烏帽子高欄になっている。浜縁、浜床にも地紋彫りが見られるが、やや彫が浅いのか経年劣化の影響で薄くなっている。右腰羽目は吟八唐子から「凧揚げ」左腰羽目は「漁どり」が彫られている。(吟八唐子とは妻沼の聖天堂の腰羽目に彫られている唐子遊びで吟八系統の彫工に彫られていることから便宜上使っています)背の腰羽目は唐子が草を追いかけている様な感じであるが草が大きく、同様の物は見たことない。よく見ると草の陰に唐子が隠れているのが分かる。これは吟八唐子には見られず、他でも見られないことから、オリジナル作品ではないかと思われる。

 下の腰羽目には兎が彫られておりまっすぐ前を見ているもの、止まって正面、振り返っている物と、何か物語がありそうな感じである。詳しく調べると何かあるのかもしれない。

 

神社名 (医光寺境内社)赤城大明神(あかぎだいみょうじん)

所在地 群馬県桐生市黒保根町上田沢涌丸2238

主祭神 大巳貴命(おおなむちのみこと)

文化財指定 

 

建造年代 文化6年(1809) 棟札

彫工 不明 関口文治郎の弟子達 (推定)

大工 不明 (林大隅流の形式がある)

神事

(5月9日の物を大幅に訂正しました。) 

 

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ ←よろしかったらポチっと
にほんブログ村

 

(彫工の作品は建物の一部であるため取り外しは出来ず、出来ても、一点ものです。したがって商品として取引されるものではなく、正当な持ち主以外が持っていたらそれは、「ほぼ盗品」です。例え落ちていたもの拾っても、窃盗に問われる場合もあるし、知らないで買ったり貰ったりしても、罪に問われる場合があります。)