雲蝶の出世作 日光神社本殿
沼田から国道120号線を日光・尾瀬方向に進み、吹割れの滝の先を右折、旧平川小学校の東側に日光神社が鎮座する。
神社は明治40年に諏訪神社、熊野神社、八幡宮、大山祇社、千島神殿の神明宮を瀧尾神社に合併して日光神社と改名したと利根村誌にある。
本殿は覆屋の中にあり、令和4年の「群馬県近世寺社総合調査」によると、棟札には建造年が天保13年(1842)大工棟梁は 群馬郡新井村 松岡出雲正藤原富盛、彫工 石河安兵衛とある。
大工棟梁の松岡出雲正藤原富盛は天保3年に沼田市町田の「町田坊観音堂」を天保6年には渋川市上白井の「空恵寺 本堂」を手掛けている。又、虹梁の鯖尻の独特の形状から林兵庫の大隅流の流れをくむと推察出来る。因みに「町田観音堂」と「空恵寺」の彫工は小林源太郎である。
彫工の「石河安兵衛」は、胴羽目銘板には「下野国足利住 石川安兵衛源信光」とはっきり墨書があり印まで押してある。この時期これほどはっきり銘を残す彫工は少なく、名前からしても石川雲蝶である可能性が高い。そこで、雲蝶調査の専門家で「越後の名匠 石川雲蝶」の著者、木原 尚氏に参加いただいて調べたところ、「石川雲蝶」であることがはっきりした。
本殿
本殿は一間社流造で正面に千鳥破風、向拝は一間、軒唐破風、本瓦棒葺である
向拝正面
兎毛通は透彫りの鳳凰、向拝の水引虹梁には林大隅流の上鯖尻が見られ、地紋彫りも施されている。目抜の位置には龍の丸彫りが置かれ、睨みを効かせている。上の梁桁にも細かい細工が施され、その上の麒麟までそろっている。木鼻は正面は唐獅子、側面は象である。柱には四面に地紋彫が施してある。色彩は兎毛通、目抜龍、麒麟、木鼻の彫刻に施し、引き立ててる。
東胴羽目 龍
東は龍、四神信仰の「青龍」を示している。
北胴羽目 亀
北は亀に松、四神信仰の「玄武」左下には信光(雲蝶)の銘板が見られる。
西胴羽目 虎
西は虎、四神信仰の「白虎」を示している。南は兎毛通の「朱雀」さらに五行思想から中央の「麒麟」を加え、五神としたものと思われる。
西福寺観音堂の「道元禅師・・・」の虎がそっくりの様な気がします。私は観音堂の彫刻は写真でしか見たことはありませんが、似ているどころか恰好までも同じ様な。少なくも同じ原画を利用している様に見えます。
脇障子と銘板
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脇障子は中国故事からの題材と思える。原稿になる絵があったのかどうかは分かりませんが、雲蝶20代半ばの作品になります。(中国故事のどなたかは分かりません、分かった方がいらっしゃましたらご一報お願いします)脇障子繊細で表情も豊か、胴羽目は堂々として力強く、とても20代の彫工の作品には思えません。自信をもって銘板を彫ったのではないかとおもいます。
海老虹梁と木階
海老虹梁は波の丸彫り、手挾は牡丹の篭彫り。この頃かた海老虹梁は凝った造りになり、龍を絡ませたり、籠彫にして中を空洞にするようになりました、これはその一過程でしょう。
木階(きざはし)の下を浜床、その下を浜縁といいます。浜床右の所は鯉の滝登りを彫る場合が多いのですが、これは鷹が獲物(兎)を狙っているところ、写真では先の兎が隠れてしまっているが力強い作品である。浜縁の下は白鳥でしょうか。どちらも下絵から雲蝶が描いたのかもしれません。若い頃の雲蝶(28歳)の才能を垣間見ることが出来ます。
神社名 (沼田市)日光神社(にっこうじんじゃ)
所在地 群馬県沼田市利根町平川 甲777
主祭神 田心姫命(たこころひめのみこと)
文化財指定 なし
建造年代 天保13年(1842)棟札
工匠彫工 石河安兵衛(棟札)石川安兵衛源信光(銘板)石川雲蝶・花輪系彫工(推定)
工匠大工 松岡出雲正藤原豊盛 (棟札)林大隅流の形式がある
神事 春祭(4/3)、夏祭(8月最終日曜日)秋祭(11/3 お供餅)
(本殿は覆屋の中にあり窓にはビニール梁の為見にくい、神事の時に見学が可能である。午前中がお勧め、写真もOK)
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(彫工の作品は建物の一部であるため取り外しは出来ず、出来ても、一点ものです。したがって商品として取引されるものではなく、正当な持ち主以外が持っていたらそれは、「ほぼ盗品」です。例え落ちていたもの拾っても、窃盗に問われる場合もあるし、知らないで買ったり貰ったりしても、罪に問われる場合があります。)







