天国と地獄はどう違うのかと云えば、第一に天国とは、一人の喜びが万人の喜びとなっている世界でもあり、地獄へと行く霊は、一に自分、第二に自分と、徹頭徹尾自分を上位に置こうとする人間である。

そのため彼らは天国への可能性を閉ざし、あくまでも自分への思いのみの中に閉じこもることとなる。

天国と地獄の違いは歴然としているが、それは根本的で決定的な違いでもある。天国は分かち合いの場所であるのに対し、地獄は霊(人間)同士が互いに相争い奪い合いの場所でもある。

実は、私たちのこの現実界の世界でも、この二つのことは体験している。その人の生きてゆく世界を見れば、その人がどれほど天国あるいは地獄の傾向を持っているかが、一層はっきりすると思われる。

人が生まれ変わり死に変りしてゆく中で、生活(食べて)して行かなければならない、一定条件下のなかで、この現実界がいかに学びの場所になっているかが分かる。

食べて行くために,否、より良い生活を望むばかりに、他人と争ったり、又は人をおとしいれたり、他人から搾取したりと、地獄的な生き方をすれど、人のためになり、人と協調し分かち合い、愛に満ちた天国的な生活が、如何に容易なことではないか・・またそのような人間でなければ、天国へと行く資格はないことでもある。・・・次は⑥で

死んだ人間(霊)は基本的には天国であろうと地獄であろうと、好きな所へ行く。否、自分に合う場所へ行かざるを得ない。何故なら自分にとって、落ち着きの場所に他ならない.

霊は自分の好きな場所へ行くのではあるが、その前に"生涯の事跡簿"の関門を通らねばならない。(現実界に於いてもプロ野球の選手を選択したとしても、その前にスカウトの目にかなわなければならないのと同じことだと言える)

それを調べる検査の天使は,霊の顔をジッと見、それから両手の指を調べ、体全体へと調べてゆく。ある人のやった行為は、全てその人の神経組織の中に書き残されているのだと云う。

その時、彼が悪行為をしていたからと言って、天使が地獄に落とすような行為はしない。すべて自分自身が納得し自分の選択で行くこととなる。ではなぜ検査をするのかと言えば、自分自身の行為を明確にするのと、天国に行くことを選択した霊は、その世界についての予備知識を得るために天使による教育があるのだという。

反対に地獄へと向かう霊は、自分のことを知ると同時に自ら愚鈍の世界へと転落してゆく。彼らは自分の心自体の傾向を益々強めて地獄へと落ちて行くのだと云う。

一方天国へと向かう霊は、他人の役に立つ者でいたいとか、一緒にいるために努力する。と云った気持ちがある。これにより霊は天国の方へと顔を向けるのである。・・・・次は⑤で

人間死ねば何の拘束や束縛からも解放される。

そのようなると益々人間の本性がむき出しになってくる。何の拘束や束縛もなくなるとは、仕事もしなくてよいし、第一に食べなくてもよい。

また、この世にいた時のように何のしがらみもなくなる。たとえ人殺しをしようと、盗みをしようと、警察もいないし監獄も無ければ裁判官もいない。

この世にいた時のように、食べていかなければならないのであれば、それなりに世間体や周囲の目などを気にしながら生きていくことになり,本性を出すこともなく生活を送ることとなる。

しかし、死ぬとそのようなものは何一つ無くなり、何もしなくて、食べたければいくらでも食べ(思っただけで食べ物が出てくる)、寝たければいつまでも寝ていて構わないし、ボランティアをしたければ、毎日ボランティアに力を注ぎ込めばよい。

このように、何の拘束も束縛を受けることなく、しばらくの間生活していると、本当の自分の姿がはっきりと分かってくるのだという。

この世にいた時に、その内面が正しかった人間は、理性的で賢い人間として振る舞う。否、この世にいた時よりも、もっと賢くなっている。

しかし、この世にいた時邪悪だった者は、この世にいた時よりも、いっそう愚かで狂ったように行動する。

しかし、前にも言ったがこの行為を注意したり咎めようとする人間は一人としていない。そればかりか周りもそのような人間ばかりである。

この世にいた時には正気に見え、理性ある者のように装っていたとしても、外面の衣装が取り去られて人は本性や狂気をあらわにしていくのである。・・・次は④で

自分は天国と地獄に歩み入ることを許された、とスエーデンボルグは自ら語っている。

ダンテは天国と地獄を描いてはいるが、それはあくまでも伝説や神話にもとづいたたものであり、私の場合は天使の導きにより、自分の眼と耳で、天国と地獄の様子を見たり聞いたりした。

初めにボルグは人間の本質または本性について次のように言っている。・・・・・ほとんどの人々は、天国に行きたいと思っていて、また行けるものと信じている。何故ならこの世にいた時に、ほとんどの人々は常識的(モラル)にかなった生活をしているものだと思い込んでいる。人間は邪悪な人も善良な人も、表面的には同じように、他人に良いことをしてあげたり、教会へ行って説教を聞いたり、祈りをしたりと云ったようなことをするものだということを考えてもみない。(分かりやすく言えば・・・善人でも悪人でも、神社や仏閣または宗教などで説法を聞いたり、表面上、人に良くしてあげたり又祈ったりしているのであって、その様な行為をしているのだから、自分は善人であるといった思い込みをしている)と云った意味になるかと思います。

しかし、このような外形的(表面上や表面的)な行為や敬虔さが霊界では、何の役にも立たず、役に立つのは、その行為を支えている自分の内面から出る感情又は気持ちであるといったことにあまり気づいてはいない。・・・・次は③で

幽霊は本当に要るのか?霊界は本当に存在するのか?などは愚問である。人は死ねば幽霊になり、おしなべて霊界へと行く。

死とは肉体を脱ぎ捨てて魂の状態となり、永遠の生への旅立ちとなる。しかし「わたしが言ったからといって信じてはいけない。自分で真実を確かめよ」とはブッタの言葉である。

このことは誰も教えることはできないし、本当か嘘かは死んで確かめるしかないし、否、当然死ねば分かることでもある。

その場合、天国と地獄は割と早く、あまり時間はかからずに行くのだといっている。しかしほとんどの人達の場合は、自分自身、良い人間なのか又は悪人なのか、はっきりと分からず、しばらくのあいだ中幽界(本当の霊界ではない)で本当の自分とはどのような人間かを確かめるために,又、本当に自分が行くべき霊界が自分自身で分かるまで留まるのだという。

墓場へ行き冷たい墓石に住むわけではない。あのようなさみしく暗い所に住めと言われても、他の人はどうであるか分からないが、私は御免である。墓地や墓石は先祖をしのぶ場所である。"千の風になって"かな?

と言った歌がありますが、あの歌の通りだといえます。

では本当に天国と地獄があるのなら、どのような所なのか、どのようにして出来たのか、またどんな風な仕組みであるのか等々、スエーデンボルグが記述していることを参考に書いてみたいと思います・・・・次は②で

高次元の霊には低次元の霊は見えるが、低次元の霊からは高次元の霊は見えない。それはちょうど太陽に向かい物を見ている状態と似ている。高次元の霊はあまり言葉で話さず、きわめてシンボリックであり、人間の自由はどこまでも尊重してくれ,そして高次元の霊から流れ出るものは人を静かに導くものがある。

高次元の霊(天使又は神)は低次元の霊に対して、ある程度の支配力を持っている。時には高次元の霊は患者に力を貸すことも出来るが、しかし患者がそのようにあって欲しいと願うほど、強い力(支配力)は示さないものである。患者又はその人間が本来持ち合わせている力以上のものは貸さないのである。

このことは私達が高次元の霊(天使又は神)を考えるときに参考になる言葉である。

患者がそのようにあって欲しいと願うほど、強い力(支配力)は示さないのは、人間は精神又は肉体的な病や,又はどのような困窮であったとしても、それらすべてが自分自身の選択での結果であり、それらのことで学習しようとしていることでもあるので、高次元の霊達がむやみに手助けしないのである。

仮に手助けするようであれば、本人の選択の自由を奪うからである。そこには高次元の霊達の愛に満ちた考えと深い知恵がある。

従って高次の者達は患者(人間)と同一化する程度の応援しかしないし、また出来ないのだという。このことは宇宙の法則でもあるのです。

(神等が手助けする場合はその人に気づきと導きを与える)・終・・次は天国と地獄について


高次元の霊(天使又は神)のしゃべる言葉は知恵に満ちあふれている。何故なら彼らの最も内なる考えから発しているものだからである。彼らの内なる考えは知恵であり内なる感情は愛である。

その愛情と知恵が一つとなって言葉になっている。

だから彼らの言葉は知恵に満ち溢れ、彼らの一語をもって人間が数千語もっても言い表せないようなことを表現できる。

彼らの考えの中には人間に考えられないような事が沢山含まれている。彼らの住んでいる天国界で見聞される事が人間の眼で見たり聞いたりしたことのないことばかりだと云われているのは、人間の言葉では表現出来ないことばかりであるからだと云う。

博士も、天使達と同じ状態の中に導かれ、その中で彼らと話をした。その時には彼らの言っていることを理解出来たが、ふたたび現実界(自然的な精神状態)にもどると、その時に彼らから聞いたことを思い出そうとしたが、どうしても思い出すことが出来なかったと云う。

何故なら彼らの世界には人間の現実界の考え方にはなじまないことが幾千もあり、それは人間の言葉をもってしては、とても表現出来ない事だと言っている。

私も、瞑想中に幾度となく光を感じたことがある。それはとても強烈で体が一瞬何かに打たれたようになった。その光を胸で感じたとき一瞬にして "この世界は何もいらない世界なのだ" と悟りめいたことを感じたものだが、仮にそのような感じを言葉として妻にでも言おうものなら、私の妻であれば "あっそう、では今日から食事はいらないと言うことなのね" ときっとそのようにいうのであろう・・・・次は⑥で

天使(聖人又は神)や霊が人間と話す時には、その声は人間と人間が話すときのようにハッキリと聞こえる。

しかし、それは自分のすぐそばにいる人間と話しているのではなく、自分自身と話しているみたいであるのだという。

まず相手の話は人間の考えの中に流れ込み、人間の聴覚器官には内側から達し、耳にはそれが内側から聞こえるためであるからだ。

ある男性患者の体験では高次元の者が、一人の優しい女性の姿で現れ、数千ものシンボルを彼に見せて楽しませてくれ、彼に宗教や神話に関係した色々な知識を見せてくれた。

それは彼が今までに知っていることでは到底なかった。

博士が彼女(高次の霊)にあなたは "聖なるもの" ではないのですか、と言った意味のことを云ったところ、彼女はそうではない "聖なる者の女性的側面を持っている者" または "聖なる意を受けているもの" にすぎないのだと言った、と云う。

次に、酒に酔っては盗みをはたらいていた黒人患者の例である。

数週間にわたって彼には高次元の人物が現れ、少数民族に関して色々なことを教えた。そして彼は自分も少数民族のために何かをしょうという気になったというのである。・・・次は⑤で

10月8日~11月7日までが10月相場となります。今回もやはり節変わり付近で動きが出ました。まずは先月予想のおさらいですが、予想どうりあまり動きはなく、上げたら下げる展開となり日経平均株価もほとんど変わらない状態でした。

このところの世界経済の特徴はスコットランドやイギリス等々いろんな国が、独立や離反したいなどと経済が好調な時には考えられなかった事態が、次々に起こってきています。無論ヨーロッパ各国,中国経済、韓国、アルゼンチン等々を考えても、世界経済は衰退の一歩をたどっています。「米国金融株式会社」も自国の産業は上向いている。などと言っていますが、そのような産業位では改善の余地はなく、世界の金融が悪くなっている今、「米国金融屋」さんが何を馬鹿なことを言っているのかまったく分かりません。

お金があるのは一流大企業だけであり、経済の生態系が完全に崩壊の危機にあるといえます。どこの国も又一般庶民もノーマネーと言ったところなのです。

これぐらいにして今月の株予想ですが≪雷風恒≫≪初交変≫です。

恒は「恒久,恒常」といった意味で、〈四季の変化常にめぐる〉や〈平穏の中に変化あり〉などのキャッチフレーズがあります。

これらから導き出される答えは、≪雷風恒≫≪初交変≫は10月の株予想での卦ですので、9月と同じパターンを繰り返すか,または今までの繰り返しのようにと言ったことになるか。上げた分だけ下げる。下げた分だけ上げると言った相場が予想されます。

前回低次元の霊たちは人間(患者)の低次元の部分に憑くのだと言った。人間には誰にでも、善の部分と悪の部分があるのだと云う、または強い部分と弱い部分、明るい部分と暗い部分と云うように、人間の心は常に一定で平均的でなく開きがあるのだと云う。

分かりやすく言えば、人間としての最高点が仮に20点だとすれば、13点~7点あるいは12点~6点と云うように開きがある。当然13点や12点がその人にとっての善の部分で喜びや幸せの部分であり、下の7点や6点が悪い部分で悲しみや怒りや苦しみの部分でもある。

当然上が5点~1点といった人もいる。この1~2点の部分に低次元の霊が憑くのだと云う。

その人自身が喜びを感じれば現実界で喜びの人生を味わい,、怒りや憎しみ又は悲しみを感じれば、この現実界で怒りを感じる出来事や憎しみや悲しみに出会うこととなり、さらに悪くするとその感情部分に低次元の霊達が憑くのである。

この幻覚等には大きな特徴がある。患者の通常の状態のレベルの幻覚は決して現れることは無いのだと博士は言っている。どのようなことかと言えば、例えば家族で普通に食事をしてる幻覚や、普通に旅行や外出などの幻覚等は決して観ることはないのだという。

幻覚等はその患者の過ちや盲目さや愚鈍や恐怖心等を伴ったものでなければ現れたり又は見ることは無いのだという。また反対に患者の才能などよりも上の事柄が幻覚の中に現れ、それ等に気づき学びとなる現象であるのが特徴だとしている。・・・次は④で