ポルトガルというと、むかし沢木耕太郎の「深夜特急」を読んだとき、アジアから旅をはじめた主人公が最後の方で辿り着いた、大西洋に面した綺麗な街の情景描写が印象的で、行ってみたい国のひとつなのですが、残念ながら未だにその機会に恵まれていません。イベリア半島の西側、スペインに押されて窮屈そうな国に思えますが、かつて15世紀のヨーロッパの国々による大航海時代の先駆け的な国で、アフリカからアジアへとその勢力を伸ばした国であることは、敢えてここで説明するまでもないでしょう。

 

日本にとってポルトガルは、戦国時代に種子島へ鉄砲を持ち込み、キリスト教伝来とともに日本の歴史を変えた国で、日本に大きな影響を与えた国と言っていいでしょう。同じようにアジアの各地、インドネシアにもポルトガルの足跡を見ることができます。

 

前に「第2話 多様な音楽」で書きましたが、インドネシア独特の民族音楽クロンチョンはポルトガルの影響を受けていて、伴奏には西洋楽器が並びます。アフリカ東部タンザニア沖、ザンジバル諸島の民族音楽にもポルトガルの影響が見られ、ポルトガルは音楽という足跡をそこここに残しています。これはインド洋を中心とする当時の経済圏の東に位置するインドネシアから、西に位置するタンザニアまで交流ルートが築かれていて、大航海時代のポルトガルがこれにうまく乗って行ったことがわかります。

 

(クロンチョンのライブ@ソロ)

 

2002年にインドネシアから独立した東ティモール民主共和国は、16世紀からポルトガルの植民地だったことから、1974年にポルトガルが主権を放棄した際、インドネシアが進出してきたのに抵抗し独立に至りました。東ティモール国民の99%近くがカトリックのキリスト教徒で、イスラム教徒がマジョリティーのインドネシアとはソリが合わなかったようです。東ティモールの近く東インドネシアのマルク(モルッカ)諸島一帯は、かつて香料(スパイス)諸島といわれ、ナツメグや丁子を求めてポルトガルが進出しました。同時にカトリックが伝わって、「第118話 くじらびと」の舞台となった東スラウェシ諸島の村もカトリック教徒が多いところでした。

 

長崎名物のカステラはポルトガルが持ち込んだお菓子で有名ですが、インドネシア中部の街ソロのあるパン屋さんにカステラに似たお菓子がありました。最近日本でも流行っている台湾カステラなども、私の個人的見解ですがルーツはポルトガルではないかと思っています。

 

            (カステラに似たケーキ@ソロ)

 

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