猫好きな方は読まないでください。
昨年からずっと猫の被害に悩まされ続けている。
買ったばかりの車に乗り、爪のひっかき傷、泥足跡が続き、こちらの対抗は、トゲトゲシートをボンネットに…というところから、忌避スプレーや超音波、ついにそれでも「シートの隙間」の数センチでさえ突破し、屋根やガラスに足跡や傷…先日は、もう我慢の限界がきて、隣の夫婦に「猫に餌やりや水やりしないでください、ノイローゼになりそう」と涙ながらに訴えたものの、まったく意識されず…ついに頭にきて、先日は庭の周囲に鳥獣除けの網張り…
それでも、やはり足跡はつき続け…道路に沿った作りの車庫であるため、まったく外部からの侵入を防ぐこともできないので、カーポートの中の車自体を保護する作戦しかできず…
先々週、車と家の壁の間部分を「網」で覆う、という作戦をしてみた。
猫は下から飛び乗る、というのを防げばいい、と気が付き、車のドアの高さのところと地面に並行して網を張った。
昨日、Nちゃんが来たので、猫を飼っているので行動に詳しいので、いつもアドバイスをもらっているが…早速ダメ出しをもらってしまった。
「網の上、平気で歩くよ。これでは網を伝って車の屋根の上に行けるよ」と。
案の定、その通りで、やはりやられてしまった…
それで、先ほど、三千円分のトゲトゲシートを買い、車ドアと家の間の地面に敷き詰めた。
先日、ネットニュースで、「農家経営死者が猫被害に悩み、数匹を捕獲し池に沈めて殺し、逮捕された」とあった。
正直、公言は控えた方がいいかもしれないが、
私は、内心「気持ちはじゅうぶんわかる」
殺人…殺猫するほど憎んでいたのね…
被害者なんだね…人権よりも猫権を重んじられる国だしね…
まさか捕まえて殺しはしないが、捕獲し遥か遠くの山の中で誰も被害に遭わないように捨てたい…という衝動と常に戦っているから、殺したいほど憎む気持ち、よーーーーーーーーーくわかる。
この殺意、猫被害に遭っている被害者にしか理解できないだろう。
あ、ワクチンと一緒か…
皆、所詮他人の幸不幸などどうでもいいのだな…とハラワタが煮える、怒りでいっぱいになる。
農家や家庭菜園の被害者たちは、うちの場合と違い、農家は畑で猫に排泄を習慣的にやられてしまうと、商品として売れない…つまり死活問題…また、丹念して世話をし、収穫を心待ちにしているのを獣にしてやられる、というのはどんなに心が砕けるだろうか…うちの庭の花壇も、今年春、花をたくさん植えこんだ翌日に猫に糞尿され、今ではその場所は枯れてしまった…とても傷ついた。
察するに難しくない。農家ではその比ではないだろう。
対処しても対処しても工夫しても、お金もかかり、忍耐も切れそうになる。
どんなに他人に被害を訴えても、解消されない猫被害。立ちふさがる動物愛護なんたら、の天下の悪法。
怒りも殺意になっていくのは、ホントに理解できる。
猫の本当の愛好家である飼い主は、他人に被害があることを知っている。
決して猫を家の外には放さず、管理をしている…それはお互いのためであり、猫を入れて三者が一番幸福な方法だ、ということを知っている。そういう人こそ、猫の飼い主になるべきであり、外で猫が何をしようと責任をとらない、というのは間違っている。
犬にはそれが絶対に許されないのに、なぜ猫だけが?
野良猫であろうとも、被害があるなら捕獲すべき。殺せとは言わないが、譲渡会や猫愛好家に任せるか、避妊処置をして一定場所に収容する、など方法はあるはずだ。
福岡のある「猫被害を無くす会」NPOの責任者は「生類憐みの令以降の最大の悪法」と言い切るほどだ。人権よりも猫の権利を優先する間違った法だ、と。
まだうちの隣の無責任夫婦の猫餌やりによる、悪党猫の被害は続く気がする。
私の対処は、実際あれから毎日のように「対策会議」を自分の中でやり続け、「いつ堪忍袋の緒が切れ、もし運よく…いえ運悪く、あの憎き猫を捕まえてしまったなら、自制心を保つことができるのか」心配だ。
その場でひっかかれようと噛みつかれようと絞め殺してしまうかもしれない…という自己の中の長年の恨み…怒り爆発が心配なのだ。
天下の悪法生類憐みの令により、逮捕…という馬鹿げた法律により悪党猫を成敗して近所に内心感謝された、としても、狂った現代の法によって人間よりも猫の方が守られる、という不条理、理不尽に泣く人間のひとりとなってしまう…。
本当にこの世は狂っている
猫そのものの存在が嫌になり…これは犬に噛まれた人の思いも理解できるので、猫嫌い犬嫌いに差はないと思っている…猫の置物などを始末することにした。
昨日、Nちゃんと一緒に訪れたお母さんが「ホントは犬を飼いたいんだけどね、世話を考えると…」と言っていた。そのNちゃんに、家にある縁起物の「招き猫グッズ」…娘亡き後、少しずつ他人の協力や助けが欲しくて買い求めた置物や箸置きなど…をすべて「もらってもらった」。
もう猫は、ただの「物」であっても存在を思い出すだけでも不愉快だ!
むしろ縁起が悪く思えてきた。
猫という生物そのものは子供の頃より「嫌い」ではあったが←一度子供の頃拾った猫が爪をたて、懐かず、可愛いと思うところがひとつもなく、ただセーターが爪であちこち糸がひっかかり出てすっかり嫌いになったことがあり、その時から猫には何の愛も感じない。
その、何の恨みもなかった時代に好意的に集めた縁起物であるから決して「縁起悪い呪われた物」ではない。物に罪はない。罪があるのは生きた猫だけだ。
猫好きのNちゃんが飾ってくれたなら本望だ。
あゝ、ああ、アア、(`艸´;)、嗚呼、清々した!(内心)