小5のNちゃん・命最期の音楽 | 娘が自殺…母への恨みを残して・わが子を死に追いやった悔恨の日々

娘が自殺…母への恨みを残して・わが子を死に追いやった悔恨の日々

19歳のひとり娘が自死・残された母のこの世の地獄・生きる希望を求めて・それとも後を追う?

3月が終わり、桜が咲き、満開になった途端に大雨に見舞われ、一週間も持たなかった桜の風景。

 

ただ、短い期間ながら、今年はお花見に3か所の名所を訪れることができた。

 

4月は、動かなければならないこと、切り替えなければならない重要なことをいくつも抱えているのに、精神的に落ちているために何もできない。

こうなると、行動力のなさに自分が情けない…

鬱っぽいのだろうか…

 

ただ…ピアノやギター、料理、美味しい物を食べたい、という「生物的に前向き」というのは衰えないのでその点は救いだ。

 

「落ちている」と思うのは、夜に見るドラマや音楽、自殺のニュースなどをきっかけに、夜中に娘の部屋のベッドの上で泣くことが増えているからだろうか。

 

ピアノを習いに来てくれる小5の女の子が最近の「癒し」だ。

 

Nちゃん 「猫も可愛いところがあるよ、噛んだり凶暴だけど、すり寄ってくるから癒しになる」

私     「ホントを言うと、あなたが私の癒しよ。あなたの年齢の頃の娘のことを思い出すのよ」

Nちゃん 「自殺しちゃったからだね」

 

その答えにちょっとドキッとした。

 

私  「ひどい話を聞かせてしまったけど、自殺は絶対にしないでね。お父さんお母さんを死ぬよりも辛い地獄に突き落とすことになるからね」

 

うん、というNちゃんの返事は、子供っぽいものではなく、私の「未来永劫、今だけではなく…」という念を押した言葉に対しても、はっきりと目に光を浮かべながら答えてくれた。

 

小学校高学年とはいえ、娘の自死について、誰にでもこんな話ができるとは思えないし、したことはない。精神年齢が高く、感受性が強く、生き物に優しいNちゃんだからこそだ。

昨年末のクリスマス会に誘って連れて来た「雪の中でも1年じゅう半袖半ズボン、を我慢して貫いている少年」を気遣い、「あの子は瘦せ我慢しているのよ…私はいいからあの子に何か着せてあげて」と、私が帰りに用意したコートを友達に譲ろうとしたのには驚いた。

 

抜群の人間力を示したNちゃんだから私は自死のことを忠告することができた…

 

同級生のいじめを心配したり他人への思いやりを忘れない人情味あふれる性格、というのは、年齢でも生まれ育ちでも血液型でもなく、Nちゃんが持って生まれた物、遺伝子、ご先祖様の中の誰かの善人の性質なのだろうと思う。

 

パティシエになりたい、というNちゃんは、お家では道具も材料もなく、あまりお母さんに我儘を言うことができないようなので、先日、私の家で一緒にチーズケーキを作って食べた。

「夜の歴史資料館」という特別イベントにも誘って行ったこともあり、昨年から「癒し」と、子供独特の存在エネルギーを家に持って来てくれ、私の心に命の光のようなものを照らしてくれているNちゃん。

 

亡き娘に、このような「対人間」としての「思いやり」や、本当の心の中を掴むことを私は「していなかった」と悲しく思い出す。それどころか…ガミガミとやかましく、嫌われることを恐れないあまりに、言いたい放題に叱り、私の好みや趣味に沿わなければ不快な態度で反対してきたのだ…

Nちゃんに対するような態度で接していたら…私を嫌いにならなかっただろうか…

 

今日の私の心に刺さる曲

 

悲しみに嘆くものの、心に一瞬浮かぶ「幸福な記憶・光」…瞬く速さで消え、また元の悲劇の中に戻り、死・静寂もあっという間に訪れる。人生の何と儚いことか…

 

そんな風に私には聴こえます。もう何の希望も未来もない私のような、死を待つだけのように生きていると、「命最期」の音楽に思えてくるのです。