音楽 | 娘が自殺…母への恨みを残して・わが子を死に追いやった悔恨の日々

娘が自殺…母への恨みを残して・わが子を死に追いやった悔恨の日々

19歳のひとり娘が自死・残された母のこの世の地獄・生きる希望を求めて・それとも後を追う?

今年に入り、何の心境の変化だろうか…主人がいきなり音楽に「はまり始めた」。

 

ミーハーな音楽趣味しかない主人は、今まで楽器には何の興味も示さなかったのに、今年にはいり、いきなりアルトサックスをやりたい、と言い出した。

 

言い出すと、もう止まらない。毎日中毒患者ように、口から出る言葉はサックスに関することしかなく、それしか頭に浮かばなくなり、とにかくしつこい。

こちらとしては、人生の最後までの短い時を楽器という高級な趣味を持つことに異論はないけれど、工学部出身のガチガチの融通の利かない性格の主人がダダをこね始めるのは目に見えている。

 

予想通り、楽器を手にしない前に、「練習する場がない」「音を出す場所を探す」「レンタル部屋がいる」等々…グチグチと1月の初めから、なんでも苦にして文句ばかり言い、家族にあたる性格の悪さが目に余ってきた。

 

確かに、子供たちの吹奏楽部の練習は学校以外にはできないようで、家に楽器を持って帰ることはない、と聞く。

まして、大人が個人で始める場合、どこで練習するのか、というのが最初の段階で「躊躇する」理由の一番大きい問題のようだ。

 

毎日、ネットでサックスの楽器や、練習場所や、いろいろな情報ばかり見て、グチグチとうるさく言うので、先週楽器店に行ってみた。

ピカピカな金色に光るサックスは、かっこよく見え、憧れの存在に見えるらしい。

さすがにいきなり購入…という勇気もないものの、店内を見ていると「サックスの電子楽器」が目に留まった。

うちには、通常のピアノ以外に電子ピアノもあり私の夜の練習用として置いてある。昔母は高価なエレクトーンも所持していたので電子楽器の便利良さ、面白さ、というのは理解しているので、電子サックスも本物を購入するよりも音量の心配もなく、「これは理想的」と思った。

 

即金で買うにはかなり高いけれど、とにかく毎日うなされるほど、しつこくサックスに憑りつかれて愚図る主人に早く楽器を与えないと、こちらはトバッチリで何の被害があるかわからない。

 

楽器をする、ということについて、その意味についてを一言だけ提言して、即日購入を決めた。

「楽器というのは情操的に良いのだから、けっして楽器に当たり散らして壊したりしてはいけない。楽器をする上で、練習しないと弾けないのは当たり前ということは理解している?上手くならないからということで、かえってストレスから怒ったりするなら止めた方がいい。心を癒すことにならないなら本末転倒。その場合は、楽器は売ろうね」と。

 

ネットで買えば周辺機器もついてかなりお得であることも知っていたけれど、そんなことより一秒でも早く主人に楽器を手にさせなければ、とにかく当たり散らされて毎日ノイローゼになりそうだ。

 

購入から二週間…

練習時間は、初日は毎日乾電池の交換が必要なほど、おもちゃに熱中する子供のようだったが、だんだんと、その興味が「周囲」に広がり、部屋や収納場所、収納するための箱、布?、移動するはずもないのに、楽器を入れるケース、さらに楽譜立てから楽器立てに至るまで、「楽器を弾く能力」よりも環境の方に広がっていった。

それがだんだんと揃ってくると、今度は楽譜について気になりだした…やたらに欲しそうな態度で楽器店に何時間もへばりつき、それでも最初に「初心者向け」として一冊購入し、現在はそれを練習し始めたばかりなので他は当分必要ないはずだから、楽譜は眺めても「買わない」。

長時間、本屋のように粘る客は他には誰もいないので、店員さんに怪しい人間のように見られているだろうと思う。

 

私の経験では、楽器を弾くことそのものよりも、その「周辺」ばかりが先になる人間…楽器に対して装飾的、あるいは見栄、流行的な興味本位だけ…な人間は、「上手くはならない」。

私の生徒で、今まで、屁理屈ばかりこねる生徒はほとんどいなかったが、ひとりだけ「理数系」の男の子は、ピアノの構造ばかりが気になり、ちっとも練習に熱が入らず、音楽に対しても熱意がなく、恰好ばかりを気にして、結局まったく楽器に「向いてない」性質の持ち主だった。

今は、もう大人になっているだろうが、おそらく、昔少し習ったピアノを恋人に自慢し、偉そうに「うんちく」を述べ、中身は薄いくせに見栄っ張りな人間になっているだろうと思う。

 

楽器を弾くと、国立理系の人間ほど嫌な種類はいない。

 

あー、やっぱりね、と思いながら、それでも、熱中するおもちゃに夢中になっている間は、少しは機嫌が良くなるのではないか、と姉と心を撫で下ろしている。

 

ロクに譜面も読めず、まだ4種類ほどの音しか覚えてなく、「一週間」という幼稚園なみの曲を「二週間」以上もかかって練習し、しどろもどろな上に、集中力も忍耐力も足りないのに、十数万の本物のサックスは欲しがるのには驚く。

先週は、電池が切れる、と文句を言うので、コンセントから電力を得るために高いアダプターや接続コードまで注文し、その問題がなくなると、新たな問題を考え出し、そのためにあちこち走り回り…「楽器を包む布やケース、収納ケースは何個も何種類も買い続け、「そんなにたくさん必要ではないでしょう」と言っても発達障害のせいか、やめる気配はない。

 

巻き込まれるのは避けたいので、距離感を持ちつつ…と思っていても、いちいち不満を言ってくるので問題解消に付き合わされるのが、なんだか奇妙に思えてくる。

 

亡き娘がこの状況を見たなら、どんなに驚くだろう…と。

昔、あの子が吹奏楽部に入りたがったのを私は反対した。

「一生続けるのに値する楽器はピアノ以外にない」と。

 

私の反対を押し切って入部したものの、彼女に回される楽器は数が足りずに「なかった」。

諦めざるを得なかったのだ。

そして、最後に少しだけ興味を持ったのがギターだった。

 

今、パパがサックスに夢中になっているのは、本当に不思議に思えてならない。

楽器など、まったく興味がなかったのに、なぜ今ごろ…??

信じられない…と、娘は言うだろう。

 

私の毎日のギター練習に触発されたのだろうか…

 

人生の終盤で、何か夢中になる物ができたことで、ひとり娘を失い先の希望がゼロになり、生きている意味さえなく幽霊のように一日単位でこの世にいる、という地獄を忘れさせてくれる…

 

主人もそれに気が付いたのかもしれない。

私が今、ギターにそう感じているように…

あの子が亡くなる前にギターや歌に救いを求めたように…