BIGBANG~じよんワールド2~ -7ページ目

BIGBANG~じよんワールド2~

今年もまだまだじよん狂・・・ブログもパート2突入ですw


僕は真っ赤に燃え上がる太陽になりたい、だから今でも僕を燃やす







①ステージでは誰も騙すことはできない





後輩らのモニタリングをまんべんなくするSE7EN兄

僕が好きで尊敬する師匠の中の1人だ

兄は練習生時代から、個人別のフィードバックペーパーを作って配るほど、丁寧にコーチングをしてくれた

忙しい日程をこなしながらも必ず事務室に立ち寄って後輩らの練習動画を見て几帳面に教えられた

今でもSE7EN兄は時々ステージをモニタリングしてメールをしてくださる

その内容があまりにも細かいから、そのメールをもらったら、"本当に上手と認められることは難しいんだな​​"という気がする

SE7EN兄は遠まわしに言わないで第三者の立場で加減なしに率直に言う

僕を傷つけないようにと気持ちのいい言葉で癒したり、賞賛することが、
むしろ僕にとって毒になる可能性があることを分かっているからだ

短所をはっきり理解して変えていかなければ、結局、後にステージに立った時、その短所を観客たちがそっくりそのまま見つけてしまう

観客は決してだますことができないからだ

今でも舞台に立った時、僕が最も重要だと思うのは"上手く出来た出来なかった"という感じでなく自分自身満足なくらい嬉しかったかという点だ

ステージに立った時のあの震えが好きで、その震えと死にそうなくらいの恐れに勝った自分自身が満足で誇らしい

しかし、ステージというのはいつでも"偽物はすべてバレてしまう場所"だということもよく分かっている

だからより恐くて震える

僕はレコーディング中でも声が気に入らなければ、すぐにボーカルトレーナーの先生のところへ走って行って問題を解決してやっと気が済む

このように一つでも気に入らない事があれば周囲の人に数十回聞いたりするので
時々皆に"もういい加減にして!"と面と向かって叱られたりする

だけど、僕はとても小さいことでも何か一つでも気になり始めれば、
それが完全に解決されるまではその考えから抜け出すことが出来ない

不快で気になって我慢できない

誰かは僕は主観があまりにもハッキリしているので、他人の話にもっと気を遣えと言われることもあった

その話にすぐ"僕はこう思うのに、なぜあの人はあんな風に考えるのだろうか?"と、納得できない部分を無視しないで食い下がってしまう

だから世の中のすべての心配や悩みを一人で全て抱いて生きると時折メンバーにからかわれることもある

僕が練習生時期を厳しく過ごして分かったとても大切な教訓一つは、世の中にタダなものは何もないということだ

大体"うまくいくだろう"と思ったことは期待通りうまくいったことがなくて、僕が予想したより十倍ぐらい精魂を込めて努力してこそ得ることができた

僕は何でも底まで完全に空にしてまたてっぺんまで自分の力でぎゅうぎゅうに詰め込む方が好きだ

それでこそ一瞬輝くのではなく最後まで長引く力が生まれると信じているから










②いくら99度まで温度を上げても結局水を沸かすのは最後の1度





同じように努力してもその結果が同じように帰ってくるのではないようだ

死ぬほど勉強しても成績はそれほど伸びない人がいるように、
100の努力が必ず100の結果に戻らないというのは誰でも分かる事実だ

才能がどれほどあるのかはさておき、努力というものも一定の限界値を越えてこそ実が結ばれるようだ

ある本でみた内容だけど、水を加熱する時0度から99度までいくら一生懸命温度を引き上げても
99度では絶対沸騰しないという

水を沸かす力は最後の1度なのに、大部分の人が99度まで一生懸命努力しておいて最後に"これではダメみたい"と諦めてしまうという

単純な科学的常識だけど、直接経験してみたら世の中のたくさんの事がそうだと思う

もしそうなら、1度の差はどこから生まれるのか?

僕は1度の違いをダンスの練習する時、そして運動する時よく感じる

10回練習したなら、8回まではそれなりに一生懸命にベストを尽くす

ところが必ず最後の2回はいい加減にしたくなる

8回も練習したので体も心も疲れ果てたし、今は手を抜いても上手にできそうな自信過剰も芽生える

"もうやめようかな? "と誘惑が段々生じる

"一時間運動をしなくちゃ"と決心した時も、一番ツライ瞬間が最後の1,2分だ

筋力トレーニングをする時も、計12セットを持ち上げる場合も最後の1,2セットが一番つらい

"本当にやりたくない"、"もうやめようかな?"、"誰も見てないでしょ"という思いが頭の中にちょくちょくよぎる

だけど、そういう時結局最後まで諦めないでやれば必ず良い結果でお返しが帰ってくる

諦めてしまいたい瞬間、手を抜いてしまいたいその瞬間にどんな風にするかによって結果が全く違うのだ

時々そんなことを感じるごとに鳥肌が立つほどだ

練習生の中でも己惚れたり怠惰にならないで、"最後の一回"を最後までねばり強くやり遂げる仲間が実力がだんだん伸びているのを確認したりする

8回までは誰でもやる

問題は最後の2回だ

最後の1回の動きまでも本当に気に入るまで適当にしないでねばり強く食い下がること、
僕にはそれが重要だった

幼い頃、ピアノ学院に通う時もそんながむしゃらな根性は少しあったようだ

ピアノ学院に行くと先生が"ここからここまで5回弾いて"と宿題を出されて小部屋から出て行かれる

すると友人はたいてい3回程度練習曲を弾いて、先生には5回弾いたと言いピアノレッスン手帳にハンコを5個もらったりしていた

しかし、僕はそれが本当に嫌だった

'どうして5回みんな弾いてないのに5回弾いたって言うんだろう?'

3回を5回と言って、最後までちゃんとやらずにごまかすのは自らを騙すようで嫌いだった

今思えば子供にふさわしくない'原則主義者'だったのだろうか?

悪く言えば融通の利かない子供だったのかもしれない

だけど、自分自身を騙さない正直さがもどかしく見えても、それが正解だと思う僕の考えは今でも変わらない











③このステージが最後でもいいから・・・









"ベストを尽くせるようにして下さい
このステージが最後でもいいから、僕が持った全てのものを出せるように助けて下さい"





ステージに上がる前、僕はいつもこんな祈りを捧げる

いくら緻密に計算された音楽と照明や振りつけ、パフォーマンスがあったとしても、
それをステージの上で実際にやり遂げる事はまだ難しくて震える

だけど僕は震えて緊張した感じがとても好きだ

僕が一生懸命練習したことに対する達成感や満足感も感じて、観客らと直接感じ合うことにも確かに中毒性がある

歌手がステージを離れることができない理由がまさにそうした事ではないだろうか?

もちろんステージはそれだけ難しくて厳しい場所だ

練習ではなく、本番の一瞬間も緊張を緩めることが出来なくて実力がそっくりそのまま表れるからね

だけど、僕はそうした点さえ楽しい

ステージ経験が僕を変わらせたように、僕が立てた目標も僕を変わらせる

まだ20歳そこそこだけども、10代の時とはハッキリ目標が変わった

未来をもっと具体的に描くことになったというか?

以前はただ'良い音楽をする立派な歌手にならなくちゃ'という漠然とした夢だったけど、
今はもう少し鮮明で具体的な道を見つけ始めた

どんな勉強をどんな風にして、どんな点をどんな風にもっと補って、
どんな情報を見つけなければいけなくて、誰に助けを求めて・・・

こんな風に将来の計画が段々具体的に変化するから、意欲も大きくなって何をしても楽しくなる

BIGBANGの活動の後にステージで大きく変わったという話をよく聞いた

やはり100回の練習より1度の本番が良いのだろうか?

経験というのは木の年輪のように僕の体と心にそのまま残るみたいだ

だから経験は怖いもののようだ

経験というものは苦くても甘くても僕に残って、人生の模様を作りながら僕を大きくして丈夫にしてくれる

具体的な目標ができてから一人で色々とたくさん考えるようになった

원하는 모습에 가까워지기 위해서 나 스스로 그에 걸맞은 환경을 만들어나가야겠다는 생각도 많이 한다.
望んでいる姿に近づくために自らそれにふさわしい環境を作るべきだと言う思いもよくする

全ての事が一人で出来ない

僕を助けてくれる周りの人と僕の夢を共有して、僕の望みを伝えしながら進むことが夢に近付く唯一の方法だと思う

そのたびにクリスチャンの僕は祈りを捧げたり手帳に願いを書く

必ず祈りはなくても自らに暗示を与える言葉にはとても大きい力がある

頭の中だけに留まっていた思いが言葉になって口の外に出てくれば、その時から言葉は途方もない力を持って僕をその願いに向かって引っ張っていく

一種の'自己暗示効果'というだろうか

実際、練習生時期には将来がまっ暗で、いったいこの道の終わりに何があるのか漠然なだけだった

そのせいか願いもただ'歌手になりたい'程度だった

それじゃあ、どんな歌手?という質問を自分問いかけたところ、その時の僕の心から出た答えはただ'良い歌手'あるいは'良い音楽をする立派な歌手'のような曖昧なことばかりだった

もちろんそれもハッキリとした目標だから、ないよりは良かった

だけど、もう少し具体的な言葉で自らに催眠をかけたなら、今よりもっと具体的な結果をより多く得ることが出来たのではないかと思ったりする















④走ったり止まったり、とにかく両方とも勇気が必要だ







練習生の時は”デビューしたら色々な困難はなくなるだろう?”とたくさん期待したが?実際にデビューしてから練習生の時に全く悩む必要がなかった数多くの問題が新しく生じた

大変な峠を一つ越えたらさらに大変な峠に出会った気分だ

結局どの場所どの位置にいようが何の緊張なくただ楽しくなるという事がないみたいだ

無名の練習生でも、世界最高の歌手でも、誰でも痛みがあり困難がある

一段階一段階上がりながら出会う、新しい状況にはまた他の困難と悩みが待っていることを今は少し分かる

しかし重要なのは、それと共に僕たちは日々、自分も知らないうちにどんどん成長して発展するということではないか?

その上おまけに曖昧な夢が具体的な姿に変わると、夢に近付く道はさらに鮮明になり足取りもさらに軽くなるようだ

僕の夢は音楽の本土であるアメリカ、そしてもう一歩出て世界あちこちで"音楽で"認められることだ

歌手として僕だけのカラーがいっぱいの音楽をリリースして商業性と音楽性面で同時に認められたい

世界的なスーパースターになるのも良いけど、何より人が聞いて"本当に良い"と感動する、そんな音楽をやりたい

僕は黒人ではないから彼らのような感情と情緒、1つを表わして疎通しようとするなら
今よりもっと多くの経験と苦痛を経験しなければならないかもしれない

だから歌手の僕にとって傷と痛みはすぐに音楽的エネルギーになってくれると信じている

僕は100メートルを全力疾走するよりマラソンのように着実に走る方が合っている

何かが速く成し遂げれないせいでストレスを受けたり焦るスタイルでもなくて、
人生の速度や学習の速度、努力に対する結果が現れる速度、全てがそんなに速い方ではないようだ

そうしたせいか、むしろすぐに結果があらわれないと焦ったり、何でも速戦即決で決めてしまわないようにと努力する

アルバムでもステージでも一番完ぺきな状態になるまで時間とエネルギーを十分に費やしたい

いつまでも煮込んで骨の中にあるエキスまで抜き取っている




"心が揺れるときは静かに見守りなさい。"

ある先生が僕に言って下さったお言葉だ

リンゴジュースのように心を静かに見つめて落ち着きなさいとおっしゃった

そうするとリンゴジュースの具が下に沈んできれいなリンゴ汁だけ残るように、
僕が本当にやりたい事が何なのか、胸の中もその透明なリンゴジュースのように明るく見えると、
コンパスの針が揺れても、最終的に一箇所に向かって止まるかのように、自分の心も常に自分の好きな場所に向かっているんだろう?

今はそれが音楽だと思う

時々、"僕は本当に歌手になったのか?"という気がする

まだ学ばなければならないことがとても多くて、知らなければならないことが山積みのように前に積まれている

だけど、幼い頃に何も分からない状態で興奮と驚きを感じたように、
僕の歌で誰かが慰められて喜びを感じることが出来るならそれだけでも僕が音楽をする理由は十分だ

僕は音楽から大きなエネルギーを得る

僕の歌を愛する人、公演会場で一緒に熱狂する人が僕にものすごいエネルギーを与えてくれる

だから僕の夢は熱気球の風船のようにますます膨らむほかない

僕はその風船に乗って"もっと高くもっと遠くまで飛ばなくちゃ"と言う思いだけだ




夢は僕が自ら踏み出す一歩と同じくらい近づくのだ









end






 


1本の木ではなく森を作って共に行け




①一つでも多く学びたい人になろう!






練習生時代から僕は兄たちや先輩たちから、何か一つでも多くを学ぼうと努力した

特定の事や練習課題だけするのではなく、もう少し目を大きく開いて周りから習うことはないか探そうと努力した

だから一つでも多く聞いて一つでも多く学ぼうとした

'学ぶこと'こそ僕の最も大きいエネルギー源だ

世の中で知るべき事、学ぶべき事が多いととても楽しくなる

燃料タンクをいっぱい満たしてポイントを積み重ねると気持ちというだろうか?

優れた事を学んだら、それを自分ものに出来るからだ

有難いことにYGで僕を育ててくれた先輩は、僕の中にあるものをよく引き出して下さった

ちょっと難しくて困難でもただ安易に'答えを教えてくれた'場合は一回もなかった

僕の体で、僕の努力で身につけた感覚だけが、最後まで進むことが出来て、
もっと発展できる丈夫な土台になる事を教えたかったのだ

魚を与えるより魚の取り方を教えてくれて、基礎からきちんと一段階も飛び越えようとせず、
しっかりと固めて下さろうとしたのだ

何か一つでも多く学びたい人になるということは、それは単に "態度"の問題だけではないと思う

実際に学びたいと思うものが多くても熱望が強くなければならない

必ずしも言葉で表現しなくても、学びたいと思う多くの人々は、そばでそれが全て感じられる

そんな人には一つでももっと教えてあげたくてもっと指摘してあげたくなる

最終的に自分の能力を築いていくために非常に有利な条件になるだろう


考えてみれば学校も同じだ

先生が褒めて可愛がる生徒を見れば大抵はいつも徹底的に準備し、質問もたくさんする

いつも準備していると言うことを見せているんだ










②恥ずかしがり屋なジョークと暖かい一言の力!







僕は人を観察するのが好きで、そうする内に世話して気に遣うことを楽しむほうだ

気が早いというよりは万遍なく心配する事が多くて、
この人あの人と世話して一人で安心して胸がいっぱいになるスタイルのようだ

周囲の人々とただうまく過ごすことは簡単だ

適当な線を引いておいて距離を維持しながら過ごせば良い

一生懸命近づく必要もなく、相手が自分の枠の中に入ってくる心配もない

だが、結局は必要な時に味方になってくれる人が誰もいなくて孤独になる

ただ笑って騒いで楽しく過ごすのではなく、本当の胸の内を開いて見せてくれて悩みを共有する間になるには、
お互いの努力が必要だと思う

照れくさい冗談の一言でも、関心があって真心があってこそ言える事だから

本気で心配してくれて、決定的な瞬間に味方になってくれることも、
日常の中の細かな配慮があってこそ可能だと思う

僕は長い間の練習生生活の末に得た熱心さと気さくさ(? )をもとに事務室の家族らの誕生日を世話したり、
心の管理用レーダーをたてて'ひょっとして何かあるのではないのか'とこっそりと尋ねたりもする

誰かがヘアースタイルを変えたとか、普段とは違った眼鏡をかけてきたとか、
顔色がちょっと良くなければ、必ず一言でも分かっている振りしてうまくやる方だ





"お姉さん、ヘアースタイルが本当によく似合ってますね。"


"お!その眼鏡本当に可愛いね。"


"兄さん、頑張ってください。"




誰かの小さな変化に気づいて、良い言葉で心を交わしてみるとお互いさらに強い味方になって難しいこともうまく解決するんだと思う

照れくさい冗談と暖かい言葉一言だけでも人と人の仲ははるかに近くて暖かくなる

真心がたっぷり込められた暖かい一言は寒い冬の夜に飲むココア味と言えるだろうか?

そんな僕にも最近一つ悩みがある

出来る事なら周囲の人たちに嫌味を言わない方なのに、最近になって'無条件に良い話をするほど無責任なこともない'という思いを時々聞く

できるだけ相手が傷つかないように話をすることも重要だけど、
本当に相手が大切で心配するなら重要な話はハッキリと分かるようにキッパリと真剣に、
時々は少し傷ついても厳しく話さなければならない

少し前にその点について大きく反省したことがあった

一度は通り過ぎたけど、後輩がダンスの練習をしているのを見て、いくつかの欠点を見つけた

あんな風に続けていたら間違った習慣が身について、後から直すのが困難になる事が明らかだった

それよりもっと危険なのは怪我をするという事

僕は悩んだ末にその後輩に話した



"練習見てたけど、本当に上手だね。"



そう切り出した後、'これはこんな風に上手にしてあれはあんな風に上手にして... 'と言って
しばらく褒め言葉を並べた

それから一番最後に話のついでのように一言付け加えた




"ところで、最後の動作はそんな風にしちゃケガするかもしれないから気を付けて。"



正直、僕が本来その後輩にしたかった話の核心はまさにこれだった

だけど、もしかしたら傷つくかと思って心配になって、一番重要な話を大雑把に話してしまった

そんな風に話しても分かるだろうと思ってしまったのだ

ところが数日後、その後輩が実際にその動作をして腕をケガしてしまったのだ

その後輩が僕の話を無視してそうなったのではなく、僕がもう少し強調して話をしなかったからだ

厳しく注意するべきだった


一番重要な問題だったのに良い事を言うのがいいと思って大雑把に言った僕は本当に無責任だった

今はチーム内で一番の小言屋になったけど、それでも最大限気を付けて話そうと努力している

人の本心はみな違って、僕みたいな丈夫な革のような人もいるし、反対に簡単に傷つく絹みたいな人もいるから

だけど、気持ちが傷つけられることよりも大切なことがある

今すぐではなく将来まで考えた時、相手が必ず知らなければならない事ははっきりと伝えることだ











③僕が持ったのは50だけ、残りは周りの人々が満たしてくれる!







YG練習室のあちこちには"練習生の手引き"が貼ってある

僕が練習生に初めて入ってきた8年前にもあったけど、時が過ぎ内容が少しずつ変わったが、相変らず練習生のルールであり行動の手引きになっている

一番上に最も大きい文字で書かれている練習生の手引き第1条はまさにこれだ


"歌手になる前に人になれ"



実力や才能がどれだけ優れていようが、まず人になってこそ歌手になれるというヤン代表の哲学だ

そしてその下には"人になる(?)"いくつかの方法が書かれているけど、
約束時間はちゃんと守る、挨拶はちゃんとする、掃除をちゃんとする、みたいな誰でも当然だと思うが、無視しやすいものである

めは"そりゃ当たり前だ"と気にしなかったけど、人になれ"という言葉は繰り返して考えるほどの原点(!)だ

どうして歌手になる前に人にならなければいけないのか、僕は8年も過ぎた今になって気付き始めた

僕が持ったものは多くても50だけだ

残りの50は周囲の人々と共に満たしていかなければならない

もちろん他の人々が僕の不足した部分を満たしてくれるのと同じくらい、
僕も人々を助けてあげなくてはならない

もらっただけ返すのは当然で、もらったことよりもっと多く返すことができるならば、
それはより大きな幸せだ

だから僕一人がいくら優秀でも周囲に50を満たしてくれる人がいないならば結局50なだけなのだ

人間関係で"残り50"があるという事実を僕はソロアルバムを作る時大きく痛感した

まだ一人でできることがあまりなかったけど、もし周囲の人々の助けがなかったらこんなアルバムを作ることが出来なかったと思う

僕に立派なMentorと良い同僚がいることがどれくらい驚くべきで感謝したことか時間が経つほどもっと深く悟ることになった
(※Mentor・・・優れた指導者。助言者。恩師。顧問。信頼のおける相談相手)










④称賛はもっと緊張して非難はもっと嬉しく受けろ!







僕が一番好きで尊敬するスターの中の一人がバスケット選手のマイケル・ジョーダン(Michael Jordan)だ

彼は持って生まれたバスケットボールの天才でもあるが、とてつもない努力家としても良く知られている

遠い昔、本で読んだ話なのに、そこに出てきた彼の言葉を長い間覚えている


"私は賞賛を聞いたら、無条件にバスケットコートに走って行ってフリースローを300回以上練習した。そうするだけで気楽になる。"


初めは理解出来なかった

"バスケットボールの神様"としてあがめられる、彼にとって賞賛や歓声は当然のことじゃないか?

非難や叱責でもなく、せいぜい称賛の一言でどうしてそこまで自身を苦しめるのだろうか?

ところが最近は称賛がもっと恐ろしいということを少しは実感する

誰でも称賛や賛辞に慣れてしまったら油断したり怠けたりする

マイケル・ジョーダンのような完ぺき主義者が称賛一言でもっと不安に思ったことは当然のことだ

少しでも揺れたり怠けたりするかと思って心配で、より一層練習にしがみつくしかなかったのだ

誰が見てもバスケットボールの天才の彼さえも称賛にうぬぼれないようにと自らを鞭打ちしたなんて...

僕はその話に本当に感動を受けた

自分自身でそのように徹底するという事はそれだけ正直で粘り強さだという意味ではないか?

僕がマイケル・ジョーダンから習おうとしている点はすぐにそんな粘り強さだ

マイケル・ジョーダンのように常にトップで1等で走らなければならない人は、
はるかに苛立っていて不安だろう

前には追いつかなければならない先頭走者がいなくて、四方からどんな競争者がどんな姿をして飛び出してくるかも知れない緊張の連続だ

この前TVに出てきたバレリーナのカン・スジン先生も似た話をしていた

"毎日十時間ずつ練習をすれば常に毎朝全身が痛いです

ある日は足が痛くてその次の日は腰が痛くてその次の日は肩が痛いです

ところが、ある日どこも痛くない朝を迎えたら突然怖くなります

昨日は私が運動を疎かにしたんだなあと思って

だからその日ははるかに強力な訓練をします

精魂を傾けて練習します

それが習慣になりました

それでこそ気楽になれます"


厳しい練習のせいでほとんどカエル足のように奇形になってしまったカン・スジン先生の足写真がしばらく人々の関心を引いたが、この話を聞いて理解できた

こういう話を聞くたびに気を引き締めて粛然になる
(※粛然....真剣な気持ちで受け止め、つつしみかしこまるさま)



YGの練習生はあまりにもライオンの子(?)みたいに育てられるから、怒られ叱られることに慣れている方だ

称賛とか拍手はかえって当惑する

ヤン代表はいつも僕たちにこう話す



"称賛は毒で非難は刃だ"



幼い時から本当にこの言葉を耳にタコが出来るくらい聞いた

称賛は人を怠惰にさせる毒で非難は意志と可能性まで切り捨てる刃になり得るから、
二つとも注意しなさいと言う意味だ

多くの人前に立つ職業だから何をするにも称賛と非難が後についてくるけど、賢明な人はそれに動揺したり流されない

だから僕は自分が受ける称賛の中に隠れた致命的な毒素をろ過してエネルギーにして、
非難という刃を持って自分の傷んだ部分を慎重に切り取ろうと努力する

⑤"お前が選択したのなら、責任を負うのもお前の役割だ!"





他の家もどこでもみな似ているだろうが、僕のご両親も兄や僕は大きく医師や判事、教授みたいなそれらしい職業を持つように願われた

だが、兄と僕はみんながやりなさいという勉強よりは音楽に興味が多かった

両親はそのような職業を持つことができないならピアニストや音楽の先生になるのを望まれ,僕もそんな両親の期待が僕の希望であるかと思っていたこともあった

着実に両親の言葉に従った子供がある日突然'企画会社の練習生'になると言うから、両親はとても驚かれた

芸術や芸能分野が本当にそんなに良いなら、歌手になることよりはいっそ役者になる方が'安定的'ではないかと僕を説得された

どれ一つ簡単な分野があるわけがないけど、少なくとも'歌手'という夢は'僕がちゃんとやりたくてちゃんとできる'ことだった

僕は初めて両親の言葉に逆らって、僕のこだわりを実現させる計画を立てた

僕の両親を説得させた方法は家出をしたり、ご飯を食べない話さないという反抗的なものではなかった

自分の夢を叶えるのも重要だったけど、関係を壊して他人を傷つけながら、その道に進みたくはなかった

ありがたいことに、少なくとも僕の両親は頭の固い方ではなかった

用事は全て引き受けて、掃除は基本で、両親が言わなくても何かしてあげれば喜ぶようなことばかり探していた

これから練習生になって歌手になっても、優しくて真面目な息子の姿は失わないという暗黙の約束だった

そして暇が出来るたびに出来る限り真剣に僕の気持ちを伝えた

もしも両親の強い反対に遭遇して手に負えない時を過ごしている人がいたら、僕の経験を共有したい

自分が切実に望むものがあるのに周囲の人と意見が違う時、むくれた顔で口を閉ざせば説得するチャンスは永遠に逃げてしまう

自分の頭の中にはハッキリとした考えがあって確信があるのに、まだ若かったり経験が少なくて確実にこうだと言う説得の言葉が思いつかない時があるよね

その時そのまま諦めてしまったり'両親は僕を理解してくれない'と背を向ければいつまでも思いを永遠に理解してもらえなくて、自分の夢を支えてくれる強い味方を一つ失うことになる

それがその時、僕が感じたことだった

衝突するのではなく、両親の本当の胸の内を察しながら、静かな声で説得すること

それが僕が考えた解決法だった

結局、半月ほど説得した頃、両親はついに許可してくださった

だが、それには条件がついていた




"そうか、お前がそのように本当に望むなら、やりたいことをしなさい

だけど、お前が選択したのだから、お前が最後まで責任を負わなければならないよ

一度始めたら必ず最後までやりなさい

お前がそこで失敗をしても挫折をしても、後から言い訳をしたり無茶な事を言うのは許さないから。 "



そしてもう一つ条件があった




"練習生活動をするという言い訳で学校生活を疎かにしないこと。

特に'今のレベルの成績を維持しなさい'と"




両親との約束と共に、僕は僕の"夢のワイルドロード"に本格的に入り込むことになった







⑥真っ暗なトンネルの中で毒気を抱いて、丈夫になる







小学校6年生から中学校3年生までの4年間は、議政府にある家と学校、そして、弘大前の練習室を毎日行き来しながら、
学校生活や練習生の生活、そして次男の役割を兼ねなければならなかった

全てが漠然としていたけど、何が何だか分からない時だったので大変さも分からず、
ただ楽しいばかりだった

後になって聞いた話だが、僕がその長い道のりを死ぬほど行き来することが母が見るには開いた口が塞がらないほどだった

それも一日も欠かさず、文句も言わずだ

"そんなにやりたいなら一度やってみて"と、しぶしぶ許してくれたけど、
痛ましくて胸がしびれたことが一、二回ではなかったと最近でも目頭を濡らされる。

練習生として生きることは多くの人々が想像するように'とても楽しい'そんな経験ではない

汗を流して僕がしたい練習だけすれば良いから幸せだったと話せば嘘になる

一日一日が不安で、僕の境遇が哀れな時も多かった

だけど、そんな時にも僕は
"練習生とはすべてそうなんだ。"
"大変じゃなきゃ、それはおかしいだろ"とマインドコントロールをしながら耐えた

正直、その方法しか他に出来ることがなかった

ビッグママのお姉さんたちが言うように"練習生たちは何やってもつらい

誰も気を遣ってくれず、ほとんどの時間"放置"されている感じだ

ある時は何も分からないまま、ずっと本当に待たなければならなくて
数年何月何日までこれだけ練習すればその次には歌手になれる"と知らせてくれる人もいない

明日の計画も、未来の絵も分からないからひたすらできることをただ'一生懸命にする'しかない

練習生の僕はだからもっとたくさんもっと長く我慢しなければならなかった

自分自身を信じて全てのものを肯定的に考えるしか方法がなかった

まるで武侠映画に出てくる老師の弟子のように、'いつか自らが立ち上がれるまで'もっと強くならなければならなかった

準備する人の心構えはそれしかないと思う

だから、つらくなるたびに内心つぶやきながら心に強く決めた三つの約束があった




'挫折しない','諦めない'. 'ひねくれた考えをしない '




自分との約束だった












⑦"挫折したって変わるものは何もない"





ある日学校があるのに事務所から電話がきた



"ヨンベ、スケジュールが狂ってしまってお前が代わりにステージに立たなければならない。
○○電車駅にすぐに来て。 "



練習生時代、時々、先輩が出演しなければならないステージに代打で出る場合があった

電話を受けて慌てて会場に駆けつけた

ちょうど期末テスト期間なので授業を抜けても構わなかったが、問題は次の日にも試験は続くことだった

ステージに上がれるチャンスなんてそんなありふれたことでない

僕はあらゆる事を差し置いてイベント会場に駆けつけた

しかし駅に到着して電話をかけたのにオフィスのみんな誰も出てくれなかった

多分、イベント準備のせいで気持ちの余裕がなくて出れなかったようだ

結局どうすることもできなくて路上で連絡だけをひたすら待った

そうして3.4時間経っただろうか?やっとマネージャーと連絡が取れた





"ヒョン、○○駅の前なんだけど。 今もずっと待っています。"


すると兄はビックリしていた




"え?まだ待っていたと?"


"はい."





あとに続いた兄の言葉にがっかりした



"イベントはもう終わったよ
お前が来ないと思ってそのままお前抜きでやったよ
ステージが終わったのがいつだったかな。 また練習室に戻って。"




どこに行っても練習生というものは運搬中に落としても拾わない荷物の固まりに過ぎない

何が上手くなるかも分からなくて、教えるのに苦心した努力全てをたった一度で飛ばしてしまうこともできる、
それこそ手入れされていない石の固まり

'僕を少し認めて下さい! 'と叫んだりひ弱な愚痴をする時間があるなら、
いっそ歌を一曲、ダンスをもう一度練習して実力を積む方がましだ

僕はこの待ち侘びるという肯定的な面”を一生懸命に探し始めた


幸い、次の日の試験は大部分が暗記科目の中心だった

どうせ電話が掛かってくるまで待たなければならない3.4時間の間、僕は試験勉強をした

人の多い場所で集中して覚えたけど頭の中にさっさと入ってくる感じだった

僕はまた自分に言い聞かせた




"幸いなことにその時に試験勉強をしたおかげで、今は戻って、練習を長くすることができる。
寒くて腹がへって少し惨めだけど、まぁこの程度ならなかなか良い状況じゃないの? '



デビューまでの時間は、自分自身をしっかりと作っていく焼入れの期間だった

鉄になるまで火で熱して槌でがんがん打ち下ろして、また冷たい水に入れて'ふう~っ'と冷ましてまた熱する時間....

膝が折れることはあっても、挫折して座っている時間はなかった

褒め言葉や励ましどころか無関心と無視の中でもずっと最大限に活用し続けて
ずっと肯定しながら実力を積むことが、練習生の最も重要な任務だからだ















⑧人は、正確に自分が選択した分だけ成長する







ヤン・ヒョンソク代表は"私たちは歌手を作るのではなくて君たちが持ったものを引き出せるように助けるだけだ。"という話をよくなさいます

だから練習をしてみると、その言葉の真の意味をはっきり理解できる瞬間が多い

僕は趣味で練習生になったのではなかった

この練習生過程の間、本当に充実してしっかりと成長して、結果を見せることができる職業人になろうとする

僕が行こうとするところは僕の人生をかけた、冷静なビジネスだ

当然プロセスなどは別に重要ではない


'一生懸命やったのにどうして認められないの。 'と言う甘えは通じない


誰もがみんな一生懸命やってる

骨折したって一度も休む人がいなく、安らかな睡眠もみんな取れるのに休む人はなく、寒くてお腹がすいたりもする

仕事であり、ビジネスであるため、訓練過程のフィードバックも冷酷で冷静だ

実力の評価を客観的に冷静に受け入れる準備ができていなければ、どんな仕事でも成功できないと思う

もちろん、人だから、感情のある動物だから、批判を聞くと落ち込んだり気が抜けたりする

その瞬間は本当に泣きたいくらい惨めになる

(リアルドキュメンタリービッグバン)を撮る時から話題になった話がある

ドキュメンタリーを見ていらっしゃらない方もいるだろうから説明するとこうだ



2006年6月にメンバー選定をめぐって、毎日のようにモニタリングとフィードバック(反省会)が続いたその年の5月のことだった

ある日突然ヤンヒョンソク代表が練習生たちを召集した。前日に提出した練習動画をすべて検討した様子だった

ヤン代表はいきなり僕に尋ねてこられた




"ヨンベとジヨンがした練習時間が似たようなぐらいだよね?
ところでヨンベはもっと歌が上手だと思ったんだけど、ん?
突然ジヨンの歌の実力が上がってきたぞ?
どうしたんだ、ヨンベ? ちゃんとしなくちゃ。
ヨンベ、お前は自分の一番大きい問題が何だと思う? "




僕はその頃、悩んでいたことを答えた

"はい、自分らしさがまだとても足りないと思います"

そしたらヤン代表が衝撃的な話をなさった





"私が見るに個性は十分だ。 フィーリングはとても良い。
何がダメかといえば音感がすごく落ちた。 非常に重大なことだ。
私がお前に問題が何かと尋ねた理由は、自分が自分の問題点を知らなければ絶対修正することが出来ないからだよ。
お前はずっとそのままだ。
ヨンベ、お前は実力が確実に伸びてないんだ。 お前の2年前にはこれくらい出来てたよ。 "




ショックだった。 2年前に比べて全く変化がないほど僕が成長していないなんて

一生懸命やっているのにどうして伸びないのだろうか?

その時、ヤン代表がスンリに向かって意見やアドバイスを言いながら最後に突き刺さる言葉を投げかけた




"小さいスンヒョン(スンリ),お前の問題点は基本がなってないんだ。
お前がずっとそんな風に練習してたらヨンベみたいになるぞ!"


ヨ.ン.ベ.み.た.い.に.な.る.ぞ!!!!


本当に恥ずかしかった。穴があるなら隠れたかった

6年も一生懸命準備したのに....

たかだか弟らに'そんな風にしてたらヨンベみたいになる'という言葉を聞くなんて....

その瞬間本当に死にたい気持ちだった。

だけど、僕はその日の夕方、絶望を選択する代わりに、練習室での徹夜を選択した

それでも僕は、ヤン代表が怖いと言いながらも尊敬している

練習生たちのどの部分に突くと目に再び活気が戻って一生懸命にするのか鬼のように分かってらっしゃる

そんな優れた指導者(Mentor)がいるというのが涙ぐましいくらい有難い

批判や叱りを聞いた時、感情が傷つくのは当然だ

しかし、同じ刺激を受けても、それをエネルギー源として使う人がいるのと、毒薬もらい飲んで自爆してしまう人もいる

結果に対して自らが最も冷静に評価しているなら、周囲の厳格な意見より自分自身の結果を出すことができない方がもっとツラくて苦しい

問題が何なのか分かったら、解決はむしろ簡単だ

ジヨンはからかって"ヨンベは他の人が何か一つ問題点を指摘してきたら、宿舎に帰ってそれに対して百回は尋ねてくるよ"と話す

正確に言えばそれは僕が臆病なんじゃない。完ぺき主義者になろうとするからだ

僕は指摘を受けて気分が悪くなったり憂鬱になると、問題に再び焦点を当ててそれをバラバラに分けて一つずつ説明します

憂うつになる理由は普段不安なせいだが、その不安の原因を調べるのだ

状況の中に自分を置かないで、まるで第三者になったようにその状況を一つ一つ分析する

そのように客観的に状況を眺め始めたら、とても抽象的で巨大に見えてばかりだった問題が少しずつ解体されていく

そうしてその問題を解決する最も重要な輪になる部分がポンと! 現れる

僕が何かに没頭していたり沈鬱に見える時はイライラしているのではなく、問題を解決しているのだと理解してほしい

問題解決の方法をきちんと把握しないととんでもない方向で努力をするようになったり、無駄に時間と労力を費やすことになるからだ

















⑨傾いてた見方では何も捕らえることはできない










"不満"と "あきらめ"という言葉を自分の辞書から追い出した後、
僕が最も大切に思っていた部分は事物や形状を絶対傾いて見たり冷笑的(シニカル)に見つめないいうことだ

ひねくれた姿勢ではどんな飛んでくる玉も掴むことは出来ない

それが攻撃の球でも批判の球でも指摘という名前を持った球でも、謙虚な態度でそれを受け止めて僕の成長の栄養分にする方法しかない

'すねてやる! 'という気持ちでは練習生生活を耐え抜くことはできない

ものすごく降り注ぐ非難と叱責をエネルギーに変えて使っても足りないところに、
それをひねくれて受け入れ始めたらとうてい耐えられない

ひねくれた気持ちが込み上げてくる時もそれを我慢し、一時間過ぎた後またその状況に対してじっくり考えてみると全く違うように見える

これは僕が体験してみてよく分かっている

ひねくれているように振舞ったり、むやみに食ってかかるのも問題だが、
固い表情で、まったく耳を閉じてしまうことも全く役に立たない

感情を前面に出したところで、僕に戻ってくるのは鏡に反射された同じ感情的なフィードバックなだけだから

練習生時代を振り返ってみると、いろいろな寂しさと悲しさを克服することは僕にとって重要な訓練だった

険しくて厳しいプロの世界に自分自身の全身を投げ出さなければならないからだ

大衆に簡単にカットされず、その中で堂々と生き残る方法は、
まず積極的に近付いて自分をアピールする方法、必死に目標に取り組む態度のようなものは練習生の時に鍛えておくべきだ

存在自体が薄れていた一人の練習生が真っ暗なトンネルを出て、
世の中の光を見てステージの上に上がってスターになるのは、
ヨモギとニンニクだけ食べながら持ちこたえた熊がいよいよ人間になった心情と似ている
(※ヨモギとニンニクだけ食べながら持ちこたえた熊が人間になり、子孫が韓国を立てたという韓国の建国神話)


もっとカッコイイ姿で世の中に出るなら、まず洞窟の中でもっと熱心に磨き上げなければならない

だが、自分を磨き上げるのにも方法がいる

間違った方向に、方向性なく真面目にやる事は怠け者よりかえってさらに悪い結果をもたらす事もある


僕にとって、練習生時期は僕の十代を全て捧げた大切な資産だ

本当にその時は目をキラキラさせて'熱心にするんだ'という思いしかなかった

チャンスはたったの一度だけ

ここで出来なければ家へ帰らなければならない

先輩たちに叱られて指摘を受けるのは絶対恥ずかしいことではなかった

むしろ、実力を積むことが出来ず、後輩たちに追い越されて無視されるほうが恥ずかしいことだ



人生で10代20代は生涯をもたらす資産を作る時期だと思う

誰も僕たちの試行錯誤や少しの失敗に後ろ指をささない

やれる事は全てやってみて、輝ける一番きらやかな姿で生きよう!

その決意が今日も僕に新しいエネルギーを吹き込んでくれる