BIGBANG~じよんワールド2~ -8ページ目

BIGBANG~じよんワールド2~

今年もまだまだじよん狂・・・ブログもパート2突入ですw

また訳し直しました←暇人

読んでない方はぜひ読んでみてください♥









正直な努力はどこでも輝く



疾走本能 テヤン


駆け上がってください
本来の場所に留まっているのは魅力的でないから.
昨日と違った今日だけが希望に満ちた明日の条件口だ
そしてその希望に満ちた明日のために僕たちは今日も今日の汗に耐えるんだ
紹介します.僕の恥ない汗の記録を




#1 僕の運命はまるで偶然のように訪れた



①スリルあるワイルドロードに向かって!





高校の友人の中に狂ったようにゲームが好きな奴がいた.

本当にゲームに狂ったとしかその子を他の言葉で表現する方法がなかった.

一晩中ゲームしても足りなくて朝学校へ来る直前までネットカフェでゲームをすることも日常茶飯事だった

ただ"好き"のレベルを超えて、そいつのゲームの腕は超感覚的で動物的だった

プロゲーマー イム・ヨファンはそうだったのか?

新しいゲームが発売されれば一番最初に読破してバグ(プログラム作成者が行った作業のミス)まで捜し出して資料を作って回すほどだった

ある日、そいつとたまたま話をする機会があった

ものすごい練習生生活を続けるのに学校に行く日より休む日が多かったけど友人と話すことだけは僕の短い学生時代の大切な思い出を作る事だったから、いい加減にしないようにと努力した時だった

"おい、お前の夢は何だ?"

ゲームがそれほど好きで運も良く、ものすごく上手いと感じるからその情熱と実力に似合った返事が出ることを期待しながら僕は尋ねた

"ん? あ..... そりゃもちろんネットカフェの主人だよ! そしたらお金を出さないで思い切りゲームできるだろ."

"何だと?!!"

もちろんあくまでもそいつの夢であるから合ってるとか違ってるという答えはない

だけどそいつの夢がもう少しもっともらしいことを言うと期待した僕は内心気力がなくなってしまった


おい...! お前なら十分できるのになぜもっと大きくてカッコイイ夢を持たないんだ?


だが、僕はそいつにどうしてもその言葉を言えなかった

その子にはその子の人生がある

そして自ら選択したことだけでも十分に尊重される権利がある

だけど、今でもチャンスがあるならその友達に勇気を出して言いたい


"世界的なプロゲーマーになり得る人がそんな小さな夢を見るのは明らかにで無駄で危険だと"




"歌手"という夢を具体化させ始めた僕は正直学校がつまらなかった

いや正確に言えば学校の友達や先生が嫌いになったのではなく僕たちの学校が持っている遅さに少し失望したという方が合っているだろう

目的と意味なく繰り返される無意味な学事行政、不合理で非効率的な勉強方法、不条理なシステムに対して内心不満もたくさんあった

だけど、何より我慢出来なかったのはその中に閉じ込められ、まるで明日がないようにのそのそと毎日を過ごす何人かの友達を見る時だった

幼い僕の目にはその友達が"一日"という人生の大切なカケラがとてもはかなくて目的なく過ごしているように見えた

美味しいもの食べて、先生たちににらまれないようにして、成績が少しでも上がれば喜んで自販機で飲み物選ぶように特に悩みなく進路を選んで...

僕は友達と一緒に味わうようになるかもしれない"安定した将来"と幸せな日常の楽しみを置いてきてしまった。

置いてきたということに対していつか後悔する日がくるかもしれない

だけど僕はその未練を後にしてもう少し早く井戸の外に出ていくことを選択した

少し退屈だが親切な標識がついている信頼性の高い道路、すなわち、他の人々が"スタンダード(Standard)"と呼ぶ黄色い舗装道路から抜け出して僕は茂みが茂ってどこにのびているかも分からない"ワイルド ロード(Wild Road)"を選択した

一つの道を選択した瞬間、他の道に行くチャンスはなくなった

僕は友達が楽しむことを楽しめなくなり友達は僕が楽しむことを楽しめなくなるだろう

運命的な僕の夢との遭遇はある日突然偶然のように訪れた






②"このどうしようもない胸の震えどうしたらいいの?"





誰でも人生でまるで映画の一場面のように鮮明に残っている記憶が1,2個はあるはずだ

その時代位の日常や友達、平凡だった毎日の記憶はまるでやや青く色あせた水の中の残像のようにかすめていくのに、唯一昨日起きたことのように鮮明に残っているある瞬間の記憶

僕はそんな場面がまさに人生で忘れてはいけない重大な'シーン'だと思う

衝撃的な体験でもあって僕の中にくすぶっていた願望が爆発した瞬間であって新しい人生のカーテンがパっと開いた瞬間でもあった

僕の人生初の重要なシーンはうちの兄の部屋で起きた

今でも僕がT.O.P兄の部屋にこっそり入るのが好きなのはひょっとしてその日のその経験のせいではないかと思う

机の上にドンと置かれていた兄の宝物1号のラジカセ

6才頃の僕にそれは現実とは違った世界への旅を可能にする神秘的なドアだった

僕より5才上の兄は当時小学校の高学年だったが音楽に唯一関心が多くて同じ年頃らに比べて選曲の基準が難しかった

今はミュージカル俳優をしているので、早くから音楽の好みが格別だったのだ

夜ごとヘッドホンをつけて頭とつま先を大きく動かして兄が聞く歌

僕はそれがあまりにも気になった

ある日、兄が眠る隙にこっそりヘッドフォンをつけてラジカセを入れたとき、僕はその場で固まってしまった

黒人音楽の世界へ入門させたマイケル・ジャクソン,当時の革命家ソテジとアイドルの音楽に僕は初めて目を開いた

アコースティックで、スポーティな動揺を聞かなければならない年齢に、ビットとフィーリングが僕を訪ねてきた瞬間だった

自然に僕の音楽の好みは、兄の系譜に沿って流れ始めた

先輩の話を聞いてみると高校生や大学生の兄たちの好みに応じてガンズ・アンド・ローゼズ(Guns N' Roses)やディープ・パープル(Deep Purple)の音楽を聞いてロックとヘヴィメタの本能に目覚めたという体験談が多いが、僕もそうだったわけだ

それ以来、一晩中音楽を聞くことも頻繁になった

昼間には身動きもせず兄がカセットを独占しているから仕方なく夜間自習が続いた

英語を知らないから、その意味が何かも知らずに、スタンドの光を頼りにラップの歌詞をハングルで(?)書き留めるだけで一緒に歌いもした

音楽が漏れていないかと思って布団までかぶってね

今でも大好きなBrian Mc-NatのR&Bをはじめとしてソウルポップ ロックンロール ヒップホップまでジャンルを問わず多様な音楽を聴きまくった

特にスティーヴィー・ワンダーやポイズ ツーメンの音楽は数百回ずつ繰り返し聴いてその後テープがすべて引き伸びた状態だった

その時までは歌手になるという思いは夢にも思わなかったが音楽というDNAは僕の血の半分程度を侵していった













③ヒョン、ジヌションの子役やってみる?




小学3年の時少しの間叔母様のお宅で過ごしたことがある

両親2人とも皆忙しかった時期なので叔母様にしばらく任せたようだった

当時共に過ごしたイトコが演技学院に通っていたので見慣れない町内と一人で遊ぶことも退屈で別にすべき事もなくイトコについていって江南に行って一緒に演技学院に通うことになった

10才頃の僕は人なつっこさもなくて恥ずかしがり屋で内向的な子供で、当然演技には全く関心がなかった

音楽を聞く事やピアノを弾くこと以外はこれといって好きな事もなかったし、誰かが将来大きくなったら何になりたいの? と尋ねられても顔を傾けながらその時その時勝手に言い逃れたりした

そんなある日、友達の一言が僕の人生を丸ごと変えた

演技学院で親しく過ごした友達がいて1歳年下だったが関心事も似ていて性格もよく合って兄弟のように親しく過ごしたヤツだった




"ヒョン、オーディション出てみない?"

"オーディション?何のオーディション?"

"うん ジヌションの...ヒョン分かるだろ?"

"その歌手の子役なんだけど僕がジヌの子役に合格したよ"

"それでね、ションの子役が1人さらに必要なんだって"





ジヌションという言葉に耳がパッと反応した






"ジヌションの子役? それって何をするの?"

"うん。 その兄たちが出てくるミュージックビデオで兄たちが幼かった時の姿で出るんだって"





その友達はただ話のついでで一度やってみる?という感じで薦めた

だが、その瞬間、頭の中ではピカと電流が流れた

他の歌手でもなく僕が本当に好きなジヌション兄たちだなんて!

小学生でも兄と同じ年頃らの音楽ばかりにハマって生きてきた僕にとってジヌションはそれこそ崇拝の対象だった

歌詞やラップ、踊り、動作まで完ぺきに暗記している我こそは準備された子役に違いなかった

演技学院に通う仲間は大ブームのドラマや広告CFに出演するのを目標にしてるから音楽を特別に好んだり特にヒップホップのようなジャンルの音楽を楽しんで聞く子たちがあまりいなかった

ダンスや似たようなものにも関心があるわけがなかった

僕は生まれて初めて何か強烈に欲しいものをつかみ取ると決心した

ゾッとして躊躇すれば永遠にもう訪れないチャンスだった

恥ずかしがり屋な子供、自分が何をしたいのかよく知らない子供が、心が指す方向に向かって走っていく子供に変身した瞬間だった

僕は全力でオーディションを準備した

動作を身につけ、ラップを再び完全に覚えて、ション兄とは全く違う容貌だったけど表情までも同じように真似して、まるで僕自身のソロ舞台を準備するようにオーディションを準備した






そして...僕はオーディションに合格した

当然の結果だったのかもしれない

似ている子供は見つけることができたかもしれないけど才能と情熱を持ったションの縮小版を探すのは難しかったはずだから

今、振り返ればその時から僕は情熱と執念だけ持てばやり遂げられないことがないという信念を持ったと思う

演技学院で誰も注目しなかった子供で恥ずかしいことが多くて何でも上手にしたり、説得力がなかった子供は、そのオーディションをきっかけに生まれ変わった

期待に満ちて着いたミュージックビデオ撮影現場は僕が経験してなかった別の世界だった

音楽が好きで聞くことだけに満足した僕は直接音楽を作って表現する楽しみを間接的ながら味わうことができた

バスケットボールを観戦することとバスケットボールのコートに直接飛び込むことははっきりと違う

よどみなく四方に弾ける汗と爆発しそうな心臓の鼓動、手に触れれば火傷しそうな熱い体温が本物だ

直接ミュージックビデオで着用ヒップホップ衣装を選んでラッパーの表情や身振りを表現しながら、僕はアーティストになるという楽しさ、そのスリルある生臭い空気を軽く吸ってしまった

たとえ僕の声が入ることはないけれど僕は本当に歌手になったように小さい手と足と口をこまめに動かした

その瞬間’歌手’という運命的な魂が僕の手と足と口を通じて僕の中に流れて行った

それまでの僕がいて人生というものは与えられたように、地道で誠実に歩けば、いつかは足を踏み出すことになる未知の世界だった

周りが尋ねるたびに礼儀上答える僕の夢はピアニストや音楽の先生だった

母はほんの少しの才能を見せる僕にピアノを買って下さったしバイエルとチェルニ教本を実力が向上する速度に合わせて着実に供給(?)してくださった

それまで僕にとって人生はそんなピアノのレッスンのように両親の言葉も聞いて着実に進めていけば、一段階ずつ上がることができる階段のようだった

ザクザクと高いところを2~3段ずつ跳ね上がるなど小心な僕としては想像もできないことだった

だが、この世界は僕が作っていくことができる世界だった

指定された階段をつかつかと上がる程度でなく僕が創り出して僕が作り出すことができるワンダーランドだ

そしてその世界のドアを開けるのは全て僕の役割だった

僕はその日ミュージックビデオ撮影の瞬間の胸のときめきを体の奥深く刻んだ

そして今まで一瞬もその感じを忘れたことがない













④"社長、練習生にしてくれなきゃどうなるか分からないよ!"





ミュージックビデオ撮影は僕の人生の二番目の'シーン'になった

僕はその場面でもう一度勇気を出した

その日ミュージックビデオ撮影現場に所属会社のYGエンターテインメントのヤン・ヒョンソク代表が訪ねてこられた

普段ならば会うことも当時の僕としてはあえて真っすぐ見つめることもできない"天のような方"だった

神がくれたチャンスを逃せなかった

撮影が終わればションの子役という役割も終わってYGとの縁も切れる状況だと、僕の頭の中の回路が"今動かずにじっとしていてはいけない"と僕を操縦したのかもしれない

僕はジヌションの2人と会話するヤン代表の前にスっと出た

出せる力をみな絞り出して勇気を出したが実際にその前に立つとどれくらい緊張したのか膝から顎までそれこそブルブルと震えた






"社長!僕も歌手になりたいです。"




僕は震える声で"抱負"をはっきり言った

小学生の子供が向こう見ずに言い出したのでヤン代表の立場的には可愛かったりとんでもなかったりしただろう

社長は、かすかな微笑を浮かべて一言で状況をまとめた




"近いうち連絡するから家に帰って待ってて。"




今思えば、撮影現場の熱気に興奮し、瞬間的に下した決定くらいに受け入れられたんだと思う

子供がなんら根拠もない要求をしたから、ただなだめて送り帰されたのだ

だけど、僕はその"近い将来"という根拠のない約束に無限の期待を抱いたまま無計画なヤン代表の連絡を待った

この上なく和らぐことなく、ぴったり一ヶ月が過ぎた

僕にとっては10年にもなるような長い時間だった

これ以上待てないと判断した僕は何も考えずにYG事務室に踏み込んだ

社長と約束もしていない状態で社長室のドアを開け不意打ちで敢行したのだ

そしてしっかりと尋ねた

"社長!なぜ連絡を下さると言われて何の連絡もないんですか?"



突然の子供の登場だけでも戸惑うのに借りた金を返せぐらいのやり方でいきなり問い詰めた

瞬間的に言葉を失った社長はする必要もない謝罪までしてくださった


”ん? ん。そうだ!君、君だね。 あ...ごめん私忙しかったんだよ。”


僕はその隙を逃さなかった


"それでは練習生にさせてくれるのですか?"


気持ちを整えた社長は快く"やりなさい"と許諾してくださった

僕の才能や素質より勇気に感心したようだ




"初めは子供が来てそんな事言うから、ただ後ほど連絡するとだけ言ったが本当にこのちっちゃな子が事務所まで訪ねてきてなぜ連絡しなかったのかと問い詰めた。
ちょっと慌てて忙しくて連絡をできなかったと謝ったんだけど...
とにかく幼い子がそんな風に勇敢にドアを開けて入ってくるのが簡単ではなかったはずなのに勇気が感心して見えたよ。"


そうして僕のYG練習生生活のつらくて楽しい6年間が始まった
数年前、 GDと成功の話をしたことがある。
その時、彼は"ビルボードに興味ない... "と通り過ぎるように呟いた。
意外だった。
デビューと同時に韓国とアジアで最高の人気を享受したアイドルスターの口から出た言葉だったので、よりそう思った。
欲がないのか、それともあえて冒険をしたくなかったのか私は分からなかったし、理解できなかった。
今になってその理由を尋ねると、 GDは"ビルボード、上がれば嬉しい。だけど、確実にそれを見て音楽をしません。韓国でも1位になろうと思って音楽をやっていません。
1位になれば嬉しいし、ビルボードに上がったら嬉しいですよ。
嬉しくない人はいないでしょ?”と、またどうでもいいといった無関心な返事が返ってきた。
今では世界がより近くなり、それだけアメリカ進出は、夢のような話ではない。
GDのツアーのクリエイティブディレクターとして共にしたステイシー·ウォーカー( Stacy Walker )と トラヴィス・ペイン( Travis Payne )は" GDの曲の中の' Heartbreaker "と ミチGO "のような曲はアメリカの市場に持っていっても成功に値する。
GDの音楽は、体を動かしたくなる力がある"とアメリカ進出を積極的に評価した。
そのツアーを終え、ミッシー・エリオットと一緒にステージに上がってファレル・ウィリアムス( Pharrell Williams )との作業のオファーを受けたGD 。
長い間、着実にアメリカの市場に参入するために努力してきたYGビジネスの実質的な受益者はGDになるという予想ももう難しくない。
GDのようなアーティストが持っている会社としてYGも新たな成長期を迎えていて、 GDもそのシナジー効果を満喫できるだろう。
GDは別に"進出"というのは、たとえそうするにしても行って、学んで、感じて、見て、見せることは良いことだと言った。
今までしてきたことの延長線、そしてもう当然のこと-これが彼が眺めるアメリカ市場進出に対する立場だ。





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Q.アメリカ市場進出のための準備ができていますね、色々な面で?

確実にそうではありません。
ステージに上がる準備はされています。
だけど、言葉が正確じゃなければいけないのに、そうでないから。
音楽をしてもその国の言葉を覚えることが最初の準備だと思うがそれが不足しています。



Q.音楽の中では言語がなくてもかまわなくないですか?

もちろんPSYの場合は英語が上手なので、たくさんのチャンスを得たと思ったりしています。
うーん、PSY兄の場合はよく分からないです。
韓国的なものを持っていくのが合っていると思います。
だが、音楽というものはちょっと聞いて、話すことではないでしょ。
歌詞の楽しさがあって、その歌詞が愛に対することならどんな状況でも癒される人もいるはずだから、それが出来ないなら?
初めは新鮮に感じることはあります。
だが、音楽として何かを伝えなければならないのがアーティストじゃない?
音楽を聞く時、歌詞の部分までも全て受け入れなければなければならないと思います、僕は。




Q.そんな部分において準備ができないというのですか?

まだもっとたくさん準備しなければいけないです。




Q.PSYの成功を見てどう思いましたか?

うわぁ、こんなにもなるんだな。不思議でしたよ。
PSY兄本人も不思議だっただろうね?
やれば、こんなチャンスが来るんだな。
その時や今も世界的なヒットソングがなかったし、音楽シーン自体が退屈でした。
人々もあまりにもたくさんの音楽が出てくるから、聞いて学んでも疲れたんですって。
そんな中、言葉が通じなくても聞いて楽しく遊ぶことができる‘マカレナ’のような‘江南スタイル’が愉快な楽しみをくれました。
それが音楽の力ですが、ものすごいなぁと思いました。




Q. GDのすべてが問題化されると言っても過言ではないんです。
スターとして大衆と疎通し、どのような責任感や道徳心を持つべきだと思いますか?

今はね。 ある程度はそうすべきだと思います。
もっと若かった時に起きたことは幼かったから解決することが出来そうだけど、もうそんなに幼くもありません。
今日のような音楽番組に来れば、活動するアイドルの中では僕が一番先輩じゃないですか。
あー、僕が先輩だったら、人が見るにもう大人だったら、それに合う品位は守らなければならないと思います。




Q.品位、良い言葉ですね。
 
代わりに音楽的に守るつもりはありません。
音楽は好きなようにするものの、普段は模範的な姿を見せるのが正しいと思います。
韓国だから。外国なら分からない。
とにかく韓国ではそんなことが影響をたくさん及ぼすでしょう?
僕も気づかない内に僕があまりにも大きかったようです。
人々を見る位置や見解みたいなものが変わりました。



Q.どんなきっかけがあったの?

見守る立場でも、ふと' GDにあんな姿があったの? "と思った瞬間が最近何度もありました。
それが1,2才ずつ年をとって行くということではないのですか?
別にどこで習ったとかどんなことで変化がきたとかではないです。
年齢とともに感じて、変わってきています。
似た人に会っても違うものを感じるように自然に。




Q.そういうものが積もって表面上では異なって見えるようですね。

はい、おそらく。少しずつ違ってくると思います。



Q.ビッグバンのリーダーとしてGDはどんなリーダーですか?

内では大変なリーダー、外で見るには良いリーダー. これが以前の自分の姿です。
メンバーたちに毒々しくするほど外で見る姿ははるかに整理されているのだから、それでそうだったと思います。(←ここ意味不明www)
今は皆、同じく年を取って他の分野のキャリアを積んでいるんですよ。
頻繁に会うのも難しいけど、実際に会えばアーティスト 対 アーティストっていうか?
リーダーとしてチームメンバーと作業するという感じよりコラボレーションをするという感じです。
だから、仕事をする時もメンバーたちに何かを言うだけではなく楽しく、お互いの意見に合わせていきますね。
周りから見るとどうか分からないだろうね。 とにかく変わることは変わりました。




Q.最近、スンリもソロで活動をしました。 スンリのサイン会にこっそりと行ってきたと聞いたが、なぜ行ったの? それもこっそりと?

落ち込んでいるようだったので。



Q.だから自信をつけさせようと思って?

自信をつけさせるよりは気持ち良く驚かせましたよ。
スンリは活動仕上げ段階で僕はちょうどカムバックする状況で、スンリ側は少ない数のスタッフが行って、ほとんどの僕の方に来ています。
こういったことがちょっと気に障ったんです、スンリは。
そんなせいで心が疲れているようでわざわざ時間内に行きましたよ。




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Q.その話を聞いて思ったのが、GDは前より余裕ができたな...

いっぱいね。
これまで前だけ見て走ってきたけど、今は後ろを振り返る余裕もできたと思います。




Q.作業、放送、公演、今まで時間を分けて使う忙しい日常ももう適応出来るようになったようですね。

そうですね。 もう何年目ですよ。




Q.ビッグバン デビュー以後で本当に多くのアイドル グループがデビューをしました。 何がビッグバンをビッグバンとして作られましたか?

ステージがビッグバンを作ります。
ビッグバンではない時でも各自の活動から出るいくつかの魅力があるだろうが、ビッグバンがステージに立つでしょう?
僕たち自ら感じるあらゆる大きな違いがある。
'何か'としか言えない力です。
お互い皆、異なり、その違いが長所になると思います。
その長所が磨かれるとビッグバンとして頂点に上がる。
今、全員各自活動しているけれど、ビッグバンで一緒にステージに上がった時のエネルギーはものすごいんです。
そのエネルギーが“ああ、ビッグバンだったな!”という印象を人々に与えるようです。
僕一人で大規模なツアーを終え、今回のアルバムが大ヒットになるといっても、ビッグバンに戻ると、 以前のすべてのことを忘れることができます。
そんなところがビッグバンを他のアイドル グループと違うようにさせるんです。
大衆的なパワーも起こせます。
ビッグバン5人が立ってこそ見せつけれるものがあります。





Q.8年が過ぎました。ビッグバンにどのくらい長続きできると思いますか?

うーん...わからない。
続きしたいけど、人の事は分からないじゃないですか。 いくつかの解決すべき問題もまだあります。



Q.問題?どんな問題なの?

まだ軍隊に行ってません。その問題がどのような変数になるのか分からないです。
また、各自始めたソロ活動でさらに場所を掴みつつあります。
前はビッグバンじゃなくてはいけない人なら、今は率直にビッグバンじゃなくても生きていける力があります。
こんな状況で各メンバーがどれくらいビッグバンに気を遣うかがカギになるとと思います。
着実に気を遣うことができるならもっと長続きするし、そうでなければ他のアイドルグループが解散するように色んな問題に巻き込まれることもあるでしょうね。





Q.非常に現実的な話ですね。

幸い今のところは全く問題がないです。
だけど、今後3~4年さらにつきあってみてこそ、僕たちの未来が見えると思います。




Q.率直に話すなら、GDの今回のアルバムがビッグバンへの道を困難にさせると思いました。
去るアルバムは‘ビッグバンのリーダーが出したソロ アルバム’のようだったが、今回のアルバムでGDはソロアーティストのレベルにぐいっと上がったね。
軍隊のような外部的な問題でなくGDがソロ アーティストとしての道を行くことになれば、それこそチームの運命に決定的な影響を及ぼす事もあったり。

僕はそのような部分は気にしません。
メンバーの嫉妬がものすごく多いですね。
他のメンバーがどんなことをしてもその達成度に対する他のメンバーの嫉妬があります。





Q.GDが多大な影響を及ぼしたでしょうね、そんな部分は。

僕がすること自体がメンバーに見せるためのものだから。
僕が今、こうしたじゃない?
次にアルバムを出すメンバーも、そうではないビッグバンのものでも‘以前のものより勝とう’というモットーが内部的にあります。
販売量のような数値で勝とうということでなく、最も近い人から認められたいということです。 僕一人でコンサートする時、他の誰がきても構わないのに、ビッグバンメンバーが来たらその日はドキドキします。
同様にステージに上がる仲間なので、もっと気になります。
前はステージに上がる時、僕は最高だと繰り返して何度も言います。
‘自分が最高だから、誰が何を言おうと関係ない’という思いを自分自信に注入するんです。
だからこそステージで最高な行動が出来るからです。
しかしビッグバンは初めからそのレベルも全く同じです。 話が別です。
僕は最高だけど、あの子たちも最高だから。
だから一番ドキドキして、負担になります。 最も近いけど最も恐ろしい?




Q.お互いの間違いを最も直接的に指摘できる関係なのでそうなのでしょうね。

その通りです。
他の人がうまく感じられないもの、あるいは感じるても言葉にしないことをお互い指摘することが出来ますからね。
僕もやはりそうですね。




Q.来月カムバックが予定されているテヤンも負担になることが多いと思います(笑)

気配を出さないけど、とてつもなく切歯扼腕(もどかしい思い、イライラ)しているでしょうね。
スンリも、僕もそうだったからです。 とても良い刺激です。
だから僕たちが違うチームより優れているなら優れることができる巨体です。
実際に他のチームはどうかよく分からないが、僕たちはサバイバルを通じて習慣のように身についた競争心があります。
歌手としては良い習慣だと思います。



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Q.昔、ソテジみたいなアーティストになりたいといったことを思い出します。 今はどうですか?

なって欲しいですか?


Q.既にそのレベルに来たと思います。いくつかの点で。

比較することではないようです。 僕は今、ロックスターになりたい。



Q.ロックスター?

実際にツアーに回って。
僕がコンサートを開くなら、とても遠いところに住んでいても十分にチケット代を出して行くほどの理由があるくらいの。




Q.今もそうじゃない?

まだ足りないです。
今はワールド ツアーとしてもアジア圏以外ではLA、ニューヨーク、ロンドン程度じゃないですか。
もっとたくさんの場所に行って、もっとたくさんの人々に会いたいです。
そんな世界中の人々が見にくることができるロックスターになりたいです。




Q.うん、それじゃあ、まずコンサートをもっとたくさん開いて、もっと長いツアーをすべきだと思います。

もっとツアーをしたら良いですが、とても忙しいことが残念ですね。 もちろん必要なことですが。
後で振り返った時、今のGDがどんな話をしたか記録されたら良いですね?
消えない記録を持っていたらいいです。
次世代にそれを破る人が出てこないといいですね。(笑)
文化の発展のためには破る人が出てきてこそ僕も楽しいですけど(笑)
PSY兄を見ながら‘あ、あの記録は自分は破れないだろう’と思うように、マイケル・ジャクソンのようにレジェンドに分類されるアーティストが彼らだけのものを持っているように僕にもそんなものがあったら嬉しいですね。
自分のキャリアが多くの人々が見た時、納得して認められるようになれることを期待しています。





Q.GDみたいなミュージシャンは努力してなれると思いますか?

十分になれます。



Q.持って生まれたものがあるのに?

それじゃあ努力をもっとすれば良いです。
最近、サバイバル番組が多いでしょ?
僕より才能がある子供たちがたくさんいます。
十分に努力さえすれば可能だと思います。
だが、僕には才能、努力、時間でなくて‘運’がありましたよ。
非常に多くのことが非常にうまくマッチしました。
僕が今、サバイバル番組に出たなら落ちますよ?





Q.ハハハ。

本心ですよ。
僕が今までしてきたことを振り返ったらね。
8年という時間の間、僕が徹底させてきたイメージ、実力、才能、ある程度好感を与える外見、そして人々が見ても納得できる力とYGというバックグラウンドがあれこれ一団となって、そこに運まであって良かったです。
色々なことがうまくマッチしたんです。
今すぐ、自分の全てを捨てて、サバイバルのサポートをしたら?
僕が思うに、ちゃんとやってもトップ10入れるかな?




Q.そんなサバイバル番組を通じてスターが作成されると思いますか?

率直に言って、いいえ。
しかし、レベルは確かに高いです。まあまあうまくやれば良い。
ただ特別に優れている上手な子がいないんです。
そんな卓越した何かを持っている人は、すでにどこかで何をしているんですよ?
じゃない人は何かをするために、ヤキモキしているところだったり。
生まれたときからそんな風に異なる人がいたりするんですよ。
僕も6歳からダンスを踊ってたでしょう?
12、 13歳で上手くする子たちは、それよりも子供の頃に才能を見つけた子たちとは別の道を行くしかありません。




Q.最近YGでと新しいサバイバル番組が始まりました。
同様のプロセスでデビューをしたので感慨が格別だと思う。

ビッグバン以来、初めて出てくる新人グループだから上手にしてくれればいいけど、まだ下手で心配です。


Q.たくさんアドバイスをする方ですか?

はい。
少なくとも尋ねられればすべて答える方です。
僕がその立場だった時をとてもよく覚えているんですよ。
僕のまさに上の先輩がドンウク兄(SE7En)だったが、兄は本当によく面倒を見てくれました。よく食べれない肉も買って食べさせてくれたり。
そんな風に面倒を見てくれて僕はここまできたので、僕も少しでも後輩たちに激励をすることができる言葉を掛けてあげようと思います。





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Q.恐い先輩だと思ったが(笑)

今までは恐ろしくしなかったんですよ。
そうしなければならない状況ならそのようにすることが僕の役割ならやります。
楽しみだけど、もう少し期待できるような子たちが作られたらいいですね。
今のところ、ビッグバンの次に出てくるチームですから関心があるだけで、実力的には期待を引き出せませんね。




Q.GDも普通の男性たちが夢見る夢を抱きますか?

普通の男性たちは何の夢を抱くの?


Q.まぁ、結婚をして、自分の家族を持つみたいな?

そうですね。
ビッグバンのメンバーともたくさん話します。
僕たちの中で誰が先に結婚するだろうか? こんな話.。
男の子たちが会えば話す女性のことも同じようにたくさんするよ。




Q.GDに会うと言うとF.OUND家族が普段のGDはどんな事をしながら過ごすのかと知りたがっていました(笑)

あーご存知でしょうね。 全く同じです。


Q.スタジオ、家、家、スタジオ?

はい。 それでも今は酒を飲むことも少し知って時間あればお酒も飲むこともしますが。
本当に時間がもっと出来れば映画も見たり、短いけれど旅行にも行ったりします。




Q.本当にあまりにもつらい時、作業も何もかも無理だと思う時はどのように解消しますか?

しゃべります。 作業をすべて中断してTEDDY兄と12時間騒いだこともあります(笑)


Q.GDの人生の次の章にはどのような話が書かれているでしょうか?

次の章の物語はもう少し単位が大きくなりそうです。
今まで韓国とアジアだったら、次の章ではもう少し大きな背景でより多くの物語が繰り広げられなれないかな?
さっき話が出てきたアメリカやヨーロッパの方ももっと行くつもりです。
音楽で、ステージでもっとたくさんの場所に行ってみたいです。

Human Adrenaline
G - DRAGON






"見ているだけで良くない? "

ヤン·ヒョンソク社長が尋ねた。
GDのワールドツアーファイナルコンサートが終わった直後'クーデター'のミュージックビデオの話をするところだった。
疑問形だったが、返事を望む質問ではないようだった。
わずか数ヶ月前に同じことを聞いた場合、答えの代わりに'どのように言えばいいか分からない"という表情で笑ってごまかしただろうが、もはやそんなことはなかった。
3時間前、GDはファイナル ツアーソウル アンコール公演で新曲‘クーデター’と‘ピタカゲ’のミュージックビデオを公開し、その両方"見ているひたすら良い"そんなレベルであることを私は否定することができなかったからだ。

そんなGDが帰ってきた。
ものすごいサウンドとビジュアルを入れた2番のソロアルバム<クーデター>を持って。

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最近、私は軽薄な音楽の流行の雑念を続けていた。
すべてが早すぎて末梢神経ですら反応する時間がない、魂のない音楽がうんざりした。。

もう少しかっこよく、体を動かしてビットに乗れるグルーブ感のあるヒップホップの音楽が懐かしいと、 8月、ある週末のクラブでぼんやりと座ったまま考えていた。
そうするうちに'クーデター'を聞いた。
いやミュージックビデオで初公開されたので"見た"という言葉が正しい。
9月1日、 GDのワールドツアー最後の公演が開かれた体操競技場で私は再びぼんやりと座っていた。衝撃だった。
重くて遅いビット、そして節制されながらも破格的な映像が入れられたミュージックビデオの中には新しく生まれたGDがあった。
公演翌日に公開された4つのトラックと、続けて公開された残りの音楽も同じだった。
いつも大衆的ながら進歩的なアティテュードのヒップホップを持っていたGDが、今回のアルバムでは優れたビット感を持っていた。
以前のアルバムよりもシンプルだが、パワフルで同時にきれいに洗練された感じ。
昨年ミニアルバムを発売して間もない時間で完成したアルバムとは思えないほどだ。



<クーデター>アルバムを聞きながら、私はずっと前にマドンナがアルバムと一緒に' Frozen 'のミュージックビデオを出してセクシーなポップ歌手の時代のアーティストへと成長した換骨奪胎(新味を加えて独自の作品にすること)の瞬間を何度も思い出した。
GDは、既存の自分を完全に変えないながらも賢く、新しい服を着る方法を選び、デビュー8年目のこのアイドルスターは期待よりも早く進化の結果を出した。
自分を相手にしたクーデターの成功。
GDのGDらしく作る挑戦の結果である。







Q.どう過ごしてます?忙しいでしょう?
活動が始まったので、すごく忙しいんです。
その前はツアーしながらミュージックビデオまで撮ったからずっと忙しく過ごしました




Q.2番目の正規アルバムですね。どう思いますか?
すっきりしています。



Q.コンサートで'クーデター'を公開した直後に"今回のアルバムの満足度が非常に高い。一番のお気に入りのアルバムだ "と言いましたね。どんな面がそう思いますか?
まず、最も最近のアルバムだからです。準備も長くしました。
一曲一曲の完成度も高いと思います。
トラック数を合わせようと入れたのが一つもなく、すべてタイト(ぴったり密着している)に作られた曲です。
前は僕が大好きでもアルバムに入らなかった曲もあったが、今回はそうでもなかった。
その上、この曲らが愛されるととても嬉しいですね。
個人的に満足度が高いです。



Q.準備を長くしたんじゃないみたいだね? が出るとすぐにビッグバンツアーを行い、続いてソロツアーをしながらアルバムを作ったんじゃない?
今、このアルバムをミニアルバム前から準備したからです。
本来、ミニアルバムは計画になかったし、正規アルバムとして出てきていなければならなかったのですが。
その頃ディテールを完成できなかった曲がかなりありました。
公開してもかまわないレベルのものだけ選んだらミニアルバムになったのですが、実際にはより多くの曲を作業していたのです。
" Runaway "、 "Who you'、 ' Window '、 '늴리리야(ヌリリヤ)"などは、すでにトラックが出来ている状態であり、 "세상을 흔들어(世界を揺るがせ)"は、 2年前からやってきた曲です。
もちろん、今の<クーデター>に入れられたものは何度も変わったバージョンです。




Q.アルバム出す度に宿題検査を受ける気持ちだと言ったが、今回の宿題の提出はちょっと自信があったでしょう?

実際に終了する前ならそうだった。言葉通り"何が合っているのだろうか? 'とたくさん悩みました。
あまりにも長い間持っていたアルバムだからそう思ったんじゃないかな。
僕は僕。
いつもこう話すけど、人々は僕が感を失ったというかもしれません。
僕は自分の音楽が大好きだけど、人々が聞いてそうではないのなら、それは感覚を失ったのでしょう。
僕が良くしようと出すアルバムといっても、結果的に出てくるもので評価を受けるじゃない?
元々そんなにこだわらないのに、今回は悩みましたよ。
このアルバムの反応が良くなくて、チャート上でもさほど良くなければ"ああ、これから僕は意図的でも大衆の好みに合わせて音楽をするかもしれない"と思いましたね。
だから難しかったんです。
しかし、幸いにも僕が見るに難しかったものも愛されていますね。





BIGBANG~じよんワールド2~



Q.難しいと思っていた曲ってどんな曲でしたか?

‘늴리리야(ヌリリヤ)’。
それと‘クーデター’も聞きやすいと思っていないです。



Q.簡単ではないでしょう。非常に遅く、重いビートじゃないですか。

はい。 だから難しいと思いました。
今のアルバム全体を見ても大衆的に聞けません。 だけどもうレベルがすごく高まりましたよ。



Q.GDが? でなく聞く人が?

聞く人です。
ジャンルに対する理解が広がったと思います。
この歌は、こう聞いて、あの歌はああ聞く方法をご存知のことと思います。
それが本当に嬉しいです。



Q.上手く作ったアルバムですね。ディプロ( Diplo )との仕事はどうでしたか?

DiploとはGD&TOPの時から親交がある。
韓国に来るたびに会って、普段でも友達みたいに過ごします。
今回のアルバムの作成を始めて、ビートを受けたかった、元々"세상을 흔들어(世界を揺るがせ)"はDiploのトラックに合わせて書いたものでした。
Diploのダウントラックだった。



Q.ビートがとても早いね?

断然、早いね。
そのビートに抜け目なく(歌詞を)書いたけど、うまく溶け込めなかったんですよ。
そんな風に欲しがってばかりで終わらせられない状態だったから、Diploがそのトラックを他の人に与えてしまいまして?
その曲は僕と縁がないんだ。
結局"세상을 흔들어(世界を揺るがせ)"は、あっけなくなくしてしまいました。
後ほどDiploがBaauerと再びトラックを送ってあげると言った時は、" Harlem Shake 'が
出てきた直後だったので、そのような似たトラックが来るだろうと思いました。
しかし、すごーいヒップホップを送ったんですよ。
とても気に入って"세상을 흔들어(世界を揺るがせ)"に合わせる代わりに、最初からまた作業しました。
トラックが非常に強い感じだから最初に聞いたときに思いついた言葉が "クーデター"でした。
最終的に"세상을 흔들어(世界を揺るがせ)"は、後で個別に作業をしました。
ラップメイキングもまたやって。



BIGBANG~じよんワールド2~


Q.以前、F.OUNDでDiploをインタビューしたことがあります。
その時も非常にスマートな人だと感じたが、今回の "クーデター"トラックを聞いて天才だとオーバーに振舞っていましたよ(笑)
こんな音楽にミュージックビデオが増した作品が出ましたね。

嬉しいです、僕も。


Q.今回のアルバム作業中、3日昼夜をスタジオで過ごしたという噂を聞きました。
どんなトラックがそんなに悩ませたのですか?

特にあるトラックのせい、ではなかったです。
アルバムの発売がずっと延期されたじゃないですか?
正確には今日( 9月11日GDのアルバムは9月13日に正式発売される)まで出てこなかった。
その理由が仕上げ作業がまとまらなかったせいなんです。
延期になって待っている人たちもつらく、僕もつらかった。
ほんのもう少しだけ、もっとやれば全て出来ただろうけど、作業してご飯食べて、スケジュールをこなしてきたらもう夜12時、午前1時になって結局スタジオで使える時間は4時間程度しかなくて….
こんな日々が繰り返されると出来ない、スタジオから出ていくのはやめよう。
だからパジャマを持ってきてスタジオで寝て、会社でご飯食べ、作業し続けました。
そうしたら出来ました。 時間も短縮されて。




Q.今回のアルバムに共同作業した人々のうちにはTEDDYと一番長く作業したんでしょ?
今はGDの位置がたくさん変わったのでまた他のシステムだと思うけれども、今回の作業はどうでしたか?
アルバムのクレジットに特にTEDDYの名前がたくさん見えますね。

今回変わったことはそんなになくて、むしろ以前、TEDDY兄が韓国にずっと戻ってきて変わった点はあります。
アメリカでビッグバンの‘Always’や‘Remember’を作業する時はTEDDY兄が全て作っておけば僕たちがラップの歌詞を書く程度でした。
少しずつ通話して、ウェブ上で話しながら進めたけど、僕たちはTEDY兄と一緒に作業するのが、ただ嬉しいばかりでした。
僕のソロの作業をして、兄とより多くの作業をし始めました。
その時は僕もやはりプロデューサーという名前を前に出すためにたくさん努力しました。
TEDDY兄が"これどう? "と一つ投げかけてくれれば、僕が作業してまた聞かせてあげて、
兄がアドバイスをしてくれるくらいシステムが変わったんですよ。
今は共同作曲家のような感じがします
家族よりもよく会う人だからとても親しくて、一緒に曲をたくさん書く以外ないですね。
もちろん僕にとっては、メント(人を助ける良い助言者)みたいな兄です。
してもかまわないこと、してはいけないことを第3者の立場でばっちりとつかんでくれています。
そんな目があるので僕が限度を越したり越えなかったり、その中心を維持しながら作業することができるようです。
最近では兄とトラックを一緒に書いたら、ディレクティング(やり取りを最適化し成果を最大にする)自体を僕がするように言われるんですよ。
以前はディレクティング済みの作業をまた聞かせるのも、ものすごいドキドキしたんですよ。
今はそのような作業をとてもたくさんやったせいか、曲一つ終わらせた時、お互いの作業を気に入ってする場合も多いですね。
パートナーって感じで頑張っています。
もちろん僕は相変わらずたくさん学ぶことがあるでしょうね(笑)




Q.アルバム発売前に‘늴리리야(ヌリリヤ)’をミッシー・エリオット(Missy Elliott)と共に公演したでしょ?ステージの準備しながらどのような話をしましたか?

思ったよりミッシーは恥ずかしがり屋で、人見知りでしたよ。
ステージやラップを見たら、食ってかかる性格だと思ったが、とても静かで、笑い上戸なタイプ? 驚きましたよ。
公演を控えてアメリカに到着してすぐに会いに行ったが、ステージのためのアイディア会議を少しだけしようと言って、スタッフ全員追い出したんですよ。
本当に僕とミッシー2人だけ残って意見を交わしました。
近い人たちにもその過程を公開しないということでしょうね。
ミッシーは僕の曲なんだから自分の心のままにしなさいと言いました。
自分が合わせてついて行くというから僕はものすごく負担になりました。
こういうものをこのようにしたら良いだろう程度で話をしたが、“分かった。 まずは寝なさい。 私がダンサーと合わせておくから。 あとで見にきなさい”と言われました。
アメリカに着いてすぐミーティングしに行った僕がとても疲れているように見えたようです。
次の日に行ってみるとダンサーたちがとても揃っていて、ステージに上がりました。
一つ驚いたのはステージの下や、練習室ではそうでなかったミッシーがリハーサルステージから爆発的に変わったこと。
マイクを持つと昔のようにパワフルになりましたよ。
実際、ステージと関連したこと以外はあまり話せなかったです。
ファンだった、好きだった、こんなことは当然話しましたよ。
なんてたって、本当にファンだったから。



Q.そうですよね。
放送見ながらGDは昔を思い出すだろうね、本当に胸がいっぱいだと思いました。

そうですね。すごく胸がいっぱいですね。ずっと記憶に残ると思います。



BIGBANG~じよんワールド2~




GDとのインタビューは彼がの事前録画をした夜遅くに進行された。
‘クーデター’、‘ブラック’、‘ピタカゲ’等3曲の録画を進める間、私は時々、レコーダーをつけたり消したりして、そのたびにGDはメーキャップをして、衣装を着替えて、ヘアースタイルを新たに変えて。
慌ただしい控え室の状況に真剣な話が不可能だろうと心配したが、幸いGDの返事は短かったり軽くなかった。
また音楽の話が出てくればキラキラ。
彼が録画のために控室を離れた合間を利用して軽い質問は全部削除してしまった。
真剣な質問一つについてくるたくさんの内容を書き綴る方がもっと良いと思ったからだ。
幸運にも私の頭の中にそれに関連する、まだ文として書かないで寝かせておいた話も多かった。 その中には去る3月、ソロツアー開始直前にあった記者会見での記憶もある。
初のソロコンサートと2回目のソロ コンサートの違いを尋ねた質問に彼は“初のソロ コンサートの時はあまりにもアイドルだった”と答えた。
ある程度の予想だったが、直接その理由を聞きたかった。
だからまた尋ねた。




Q."あの時はあまりにもアイドルだった"と言った理由は何ですか?

今ソロツアーを終えて、また違う思いでもありますが。
4年前、初のコンサートはアーティストとしてステージに立つ気持ちではありませんでした。
その後も、人々が心地良い言葉で僕に修飾語をつけてくれたが、僕の中で"アーティスト"と言うのが確立されていない状態でした。
過渡期というべきか?
アーティストを夢見るアイドル、そして音楽を続けているアイドルだった。というのが正しいでしょうね。
そうするうちに音楽を作って、ステージを飾って、公演をしながらも同様にそのような曖昧な感じを消すことができなかったと思います。
ビッグバンのツアーをしながらもたくさん感じたが、今回のソロツアーをしてからはアーティストとしてステージに上がってツアーをするという自信があります。




Q.どんな変化のせいでしょうか?

アイドルのコンサートにはいくつかの枠組みがある。
パロディーものは無条件にある。
公演の合間に面白いものをします。
女装したり先輩歌手の歌を笑わせるように歌ったりもします。
ファンたちは面白いと言って、好んで下さるが、ある瞬間‘もうこれはダメだ’という気がしました。
僕だけでなく他のビッグバンメンバーも同じでした。
僕たちは同じようにやる必要がない。
この公演内容を持って外国に行った時、そこの人々は理解できないでしょう。
字幕で説明をしても限界があって。




Q.理解できない感情ではあります。私も理解できなかったが(笑)

理解出来なくて構いません。
僕たち自身が最初から最後までかっこいいだけでも、という気持ちが既にありました。
外国のアーティストたちの公演みてください。
楽しみやかわいい要素なく、最初から最後までカッコいいでしょ。
僕たち自身、こんな面で変わりましたよ。
コンサート舞台を準備しながら世界的に有名な監督らとする理由もこういう事を学びたかったからです。
こんな仲間とやれば外国アーティストがどんな風にショーを完成したのか学べるし、僕たちに何が足りないかを知ること出来ると思いました。
学び続けて、今回のソロツアーをしてまた気付いた点があります。
したがって、最初のコンサート時にはどうしてもアイドルという感じが強かったと言っていたのです。
その世界の中で生きていたからです。




Q.その時は音楽そのものよりも、他のエフェクト(効果や影響)に集中していたような気がします。

はい。あまりにもエンターテイメント的でした。
もちろん、今もエンターテイナーとしてステージに上がるが、その時はバラエティ番組かな?



Q.一人でワールド ツアーを回りながらたくさん考えましたね。

ビッグバンでワールド ツアーした時からたくさん感じました。
外国のステージは違いますね。




パート2はまた今度wwww