世界に君を叫べ よんべ編① | BIGBANG~じよんワールド2~

BIGBANG~じよんワールド2~

今年もまだまだじよん狂・・・ブログもパート2突入ですw

また訳し直しました←暇人

読んでない方はぜひ読んでみてください♥









正直な努力はどこでも輝く



疾走本能 テヤン


駆け上がってください
本来の場所に留まっているのは魅力的でないから.
昨日と違った今日だけが希望に満ちた明日の条件口だ
そしてその希望に満ちた明日のために僕たちは今日も今日の汗に耐えるんだ
紹介します.僕の恥ない汗の記録を




#1 僕の運命はまるで偶然のように訪れた



①スリルあるワイルドロードに向かって!





高校の友人の中に狂ったようにゲームが好きな奴がいた.

本当にゲームに狂ったとしかその子を他の言葉で表現する方法がなかった.

一晩中ゲームしても足りなくて朝学校へ来る直前までネットカフェでゲームをすることも日常茶飯事だった

ただ"好き"のレベルを超えて、そいつのゲームの腕は超感覚的で動物的だった

プロゲーマー イム・ヨファンはそうだったのか?

新しいゲームが発売されれば一番最初に読破してバグ(プログラム作成者が行った作業のミス)まで捜し出して資料を作って回すほどだった

ある日、そいつとたまたま話をする機会があった

ものすごい練習生生活を続けるのに学校に行く日より休む日が多かったけど友人と話すことだけは僕の短い学生時代の大切な思い出を作る事だったから、いい加減にしないようにと努力した時だった

"おい、お前の夢は何だ?"

ゲームがそれほど好きで運も良く、ものすごく上手いと感じるからその情熱と実力に似合った返事が出ることを期待しながら僕は尋ねた

"ん? あ..... そりゃもちろんネットカフェの主人だよ! そしたらお金を出さないで思い切りゲームできるだろ."

"何だと?!!"

もちろんあくまでもそいつの夢であるから合ってるとか違ってるという答えはない

だけどそいつの夢がもう少しもっともらしいことを言うと期待した僕は内心気力がなくなってしまった


おい...! お前なら十分できるのになぜもっと大きくてカッコイイ夢を持たないんだ?


だが、僕はそいつにどうしてもその言葉を言えなかった

その子にはその子の人生がある

そして自ら選択したことだけでも十分に尊重される権利がある

だけど、今でもチャンスがあるならその友達に勇気を出して言いたい


"世界的なプロゲーマーになり得る人がそんな小さな夢を見るのは明らかにで無駄で危険だと"




"歌手"という夢を具体化させ始めた僕は正直学校がつまらなかった

いや正確に言えば学校の友達や先生が嫌いになったのではなく僕たちの学校が持っている遅さに少し失望したという方が合っているだろう

目的と意味なく繰り返される無意味な学事行政、不合理で非効率的な勉強方法、不条理なシステムに対して内心不満もたくさんあった

だけど、何より我慢出来なかったのはその中に閉じ込められ、まるで明日がないようにのそのそと毎日を過ごす何人かの友達を見る時だった

幼い僕の目にはその友達が"一日"という人生の大切なカケラがとてもはかなくて目的なく過ごしているように見えた

美味しいもの食べて、先生たちににらまれないようにして、成績が少しでも上がれば喜んで自販機で飲み物選ぶように特に悩みなく進路を選んで...

僕は友達と一緒に味わうようになるかもしれない"安定した将来"と幸せな日常の楽しみを置いてきてしまった。

置いてきたということに対していつか後悔する日がくるかもしれない

だけど僕はその未練を後にしてもう少し早く井戸の外に出ていくことを選択した

少し退屈だが親切な標識がついている信頼性の高い道路、すなわち、他の人々が"スタンダード(Standard)"と呼ぶ黄色い舗装道路から抜け出して僕は茂みが茂ってどこにのびているかも分からない"ワイルド ロード(Wild Road)"を選択した

一つの道を選択した瞬間、他の道に行くチャンスはなくなった

僕は友達が楽しむことを楽しめなくなり友達は僕が楽しむことを楽しめなくなるだろう

運命的な僕の夢との遭遇はある日突然偶然のように訪れた






②"このどうしようもない胸の震えどうしたらいいの?"





誰でも人生でまるで映画の一場面のように鮮明に残っている記憶が1,2個はあるはずだ

その時代位の日常や友達、平凡だった毎日の記憶はまるでやや青く色あせた水の中の残像のようにかすめていくのに、唯一昨日起きたことのように鮮明に残っているある瞬間の記憶

僕はそんな場面がまさに人生で忘れてはいけない重大な'シーン'だと思う

衝撃的な体験でもあって僕の中にくすぶっていた願望が爆発した瞬間であって新しい人生のカーテンがパっと開いた瞬間でもあった

僕の人生初の重要なシーンはうちの兄の部屋で起きた

今でも僕がT.O.P兄の部屋にこっそり入るのが好きなのはひょっとしてその日のその経験のせいではないかと思う

机の上にドンと置かれていた兄の宝物1号のラジカセ

6才頃の僕にそれは現実とは違った世界への旅を可能にする神秘的なドアだった

僕より5才上の兄は当時小学校の高学年だったが音楽に唯一関心が多くて同じ年頃らに比べて選曲の基準が難しかった

今はミュージカル俳優をしているので、早くから音楽の好みが格別だったのだ

夜ごとヘッドホンをつけて頭とつま先を大きく動かして兄が聞く歌

僕はそれがあまりにも気になった

ある日、兄が眠る隙にこっそりヘッドフォンをつけてラジカセを入れたとき、僕はその場で固まってしまった

黒人音楽の世界へ入門させたマイケル・ジャクソン,当時の革命家ソテジとアイドルの音楽に僕は初めて目を開いた

アコースティックで、スポーティな動揺を聞かなければならない年齢に、ビットとフィーリングが僕を訪ねてきた瞬間だった

自然に僕の音楽の好みは、兄の系譜に沿って流れ始めた

先輩の話を聞いてみると高校生や大学生の兄たちの好みに応じてガンズ・アンド・ローゼズ(Guns N' Roses)やディープ・パープル(Deep Purple)の音楽を聞いてロックとヘヴィメタの本能に目覚めたという体験談が多いが、僕もそうだったわけだ

それ以来、一晩中音楽を聞くことも頻繁になった

昼間には身動きもせず兄がカセットを独占しているから仕方なく夜間自習が続いた

英語を知らないから、その意味が何かも知らずに、スタンドの光を頼りにラップの歌詞をハングルで(?)書き留めるだけで一緒に歌いもした

音楽が漏れていないかと思って布団までかぶってね

今でも大好きなBrian Mc-NatのR&Bをはじめとしてソウルポップ ロックンロール ヒップホップまでジャンルを問わず多様な音楽を聴きまくった

特にスティーヴィー・ワンダーやポイズ ツーメンの音楽は数百回ずつ繰り返し聴いてその後テープがすべて引き伸びた状態だった

その時までは歌手になるという思いは夢にも思わなかったが音楽というDNAは僕の血の半分程度を侵していった













③ヒョン、ジヌションの子役やってみる?




小学3年の時少しの間叔母様のお宅で過ごしたことがある

両親2人とも皆忙しかった時期なので叔母様にしばらく任せたようだった

当時共に過ごしたイトコが演技学院に通っていたので見慣れない町内と一人で遊ぶことも退屈で別にすべき事もなくイトコについていって江南に行って一緒に演技学院に通うことになった

10才頃の僕は人なつっこさもなくて恥ずかしがり屋で内向的な子供で、当然演技には全く関心がなかった

音楽を聞く事やピアノを弾くこと以外はこれといって好きな事もなかったし、誰かが将来大きくなったら何になりたいの? と尋ねられても顔を傾けながらその時その時勝手に言い逃れたりした

そんなある日、友達の一言が僕の人生を丸ごと変えた

演技学院で親しく過ごした友達がいて1歳年下だったが関心事も似ていて性格もよく合って兄弟のように親しく過ごしたヤツだった




"ヒョン、オーディション出てみない?"

"オーディション?何のオーディション?"

"うん ジヌションの...ヒョン分かるだろ?"

"その歌手の子役なんだけど僕がジヌの子役に合格したよ"

"それでね、ションの子役が1人さらに必要なんだって"





ジヌションという言葉に耳がパッと反応した






"ジヌションの子役? それって何をするの?"

"うん。 その兄たちが出てくるミュージックビデオで兄たちが幼かった時の姿で出るんだって"





その友達はただ話のついでで一度やってみる?という感じで薦めた

だが、その瞬間、頭の中ではピカと電流が流れた

他の歌手でもなく僕が本当に好きなジヌション兄たちだなんて!

小学生でも兄と同じ年頃らの音楽ばかりにハマって生きてきた僕にとってジヌションはそれこそ崇拝の対象だった

歌詞やラップ、踊り、動作まで完ぺきに暗記している我こそは準備された子役に違いなかった

演技学院に通う仲間は大ブームのドラマや広告CFに出演するのを目標にしてるから音楽を特別に好んだり特にヒップホップのようなジャンルの音楽を楽しんで聞く子たちがあまりいなかった

ダンスや似たようなものにも関心があるわけがなかった

僕は生まれて初めて何か強烈に欲しいものをつかみ取ると決心した

ゾッとして躊躇すれば永遠にもう訪れないチャンスだった

恥ずかしがり屋な子供、自分が何をしたいのかよく知らない子供が、心が指す方向に向かって走っていく子供に変身した瞬間だった

僕は全力でオーディションを準備した

動作を身につけ、ラップを再び完全に覚えて、ション兄とは全く違う容貌だったけど表情までも同じように真似して、まるで僕自身のソロ舞台を準備するようにオーディションを準備した






そして...僕はオーディションに合格した

当然の結果だったのかもしれない

似ている子供は見つけることができたかもしれないけど才能と情熱を持ったションの縮小版を探すのは難しかったはずだから

今、振り返ればその時から僕は情熱と執念だけ持てばやり遂げられないことがないという信念を持ったと思う

演技学院で誰も注目しなかった子供で恥ずかしいことが多くて何でも上手にしたり、説得力がなかった子供は、そのオーディションをきっかけに生まれ変わった

期待に満ちて着いたミュージックビデオ撮影現場は僕が経験してなかった別の世界だった

音楽が好きで聞くことだけに満足した僕は直接音楽を作って表現する楽しみを間接的ながら味わうことができた

バスケットボールを観戦することとバスケットボールのコートに直接飛び込むことははっきりと違う

よどみなく四方に弾ける汗と爆発しそうな心臓の鼓動、手に触れれば火傷しそうな熱い体温が本物だ

直接ミュージックビデオで着用ヒップホップ衣装を選んでラッパーの表情や身振りを表現しながら、僕はアーティストになるという楽しさ、そのスリルある生臭い空気を軽く吸ってしまった

たとえ僕の声が入ることはないけれど僕は本当に歌手になったように小さい手と足と口をこまめに動かした

その瞬間’歌手’という運命的な魂が僕の手と足と口を通じて僕の中に流れて行った

それまでの僕がいて人生というものは与えられたように、地道で誠実に歩けば、いつかは足を踏み出すことになる未知の世界だった

周りが尋ねるたびに礼儀上答える僕の夢はピアニストや音楽の先生だった

母はほんの少しの才能を見せる僕にピアノを買って下さったしバイエルとチェルニ教本を実力が向上する速度に合わせて着実に供給(?)してくださった

それまで僕にとって人生はそんなピアノのレッスンのように両親の言葉も聞いて着実に進めていけば、一段階ずつ上がることができる階段のようだった

ザクザクと高いところを2~3段ずつ跳ね上がるなど小心な僕としては想像もできないことだった

だが、この世界は僕が作っていくことができる世界だった

指定された階段をつかつかと上がる程度でなく僕が創り出して僕が作り出すことができるワンダーランドだ

そしてその世界のドアを開けるのは全て僕の役割だった

僕はその日ミュージックビデオ撮影の瞬間の胸のときめきを体の奥深く刻んだ

そして今まで一瞬もその感じを忘れたことがない













④"社長、練習生にしてくれなきゃどうなるか分からないよ!"





ミュージックビデオ撮影は僕の人生の二番目の'シーン'になった

僕はその場面でもう一度勇気を出した

その日ミュージックビデオ撮影現場に所属会社のYGエンターテインメントのヤン・ヒョンソク代表が訪ねてこられた

普段ならば会うことも当時の僕としてはあえて真っすぐ見つめることもできない"天のような方"だった

神がくれたチャンスを逃せなかった

撮影が終わればションの子役という役割も終わってYGとの縁も切れる状況だと、僕の頭の中の回路が"今動かずにじっとしていてはいけない"と僕を操縦したのかもしれない

僕はジヌションの2人と会話するヤン代表の前にスっと出た

出せる力をみな絞り出して勇気を出したが実際にその前に立つとどれくらい緊張したのか膝から顎までそれこそブルブルと震えた






"社長!僕も歌手になりたいです。"




僕は震える声で"抱負"をはっきり言った

小学生の子供が向こう見ずに言い出したのでヤン代表の立場的には可愛かったりとんでもなかったりしただろう

社長は、かすかな微笑を浮かべて一言で状況をまとめた




"近いうち連絡するから家に帰って待ってて。"




今思えば、撮影現場の熱気に興奮し、瞬間的に下した決定くらいに受け入れられたんだと思う

子供がなんら根拠もない要求をしたから、ただなだめて送り帰されたのだ

だけど、僕はその"近い将来"という根拠のない約束に無限の期待を抱いたまま無計画なヤン代表の連絡を待った

この上なく和らぐことなく、ぴったり一ヶ月が過ぎた

僕にとっては10年にもなるような長い時間だった

これ以上待てないと判断した僕は何も考えずにYG事務室に踏み込んだ

社長と約束もしていない状態で社長室のドアを開け不意打ちで敢行したのだ

そしてしっかりと尋ねた

"社長!なぜ連絡を下さると言われて何の連絡もないんですか?"



突然の子供の登場だけでも戸惑うのに借りた金を返せぐらいのやり方でいきなり問い詰めた

瞬間的に言葉を失った社長はする必要もない謝罪までしてくださった


”ん? ん。そうだ!君、君だね。 あ...ごめん私忙しかったんだよ。”


僕はその隙を逃さなかった


"それでは練習生にさせてくれるのですか?"


気持ちを整えた社長は快く"やりなさい"と許諾してくださった

僕の才能や素質より勇気に感心したようだ




"初めは子供が来てそんな事言うから、ただ後ほど連絡するとだけ言ったが本当にこのちっちゃな子が事務所まで訪ねてきてなぜ連絡しなかったのかと問い詰めた。
ちょっと慌てて忙しくて連絡をできなかったと謝ったんだけど...
とにかく幼い子がそんな風に勇敢にドアを開けて入ってくるのが簡単ではなかったはずなのに勇気が感心して見えたよ。"


そうして僕のYG練習生生活のつらくて楽しい6年間が始まった