世界に君を叫べ よんべ編③ | BIGBANG~じよんワールド2~

BIGBANG~じよんワールド2~

今年もまだまだじよん狂・・・ブログもパート2突入ですw



1本の木ではなく森を作って共に行け




①一つでも多く学びたい人になろう!






練習生時代から僕は兄たちや先輩たちから、何か一つでも多くを学ぼうと努力した

特定の事や練習課題だけするのではなく、もう少し目を大きく開いて周りから習うことはないか探そうと努力した

だから一つでも多く聞いて一つでも多く学ぼうとした

'学ぶこと'こそ僕の最も大きいエネルギー源だ

世の中で知るべき事、学ぶべき事が多いととても楽しくなる

燃料タンクをいっぱい満たしてポイントを積み重ねると気持ちというだろうか?

優れた事を学んだら、それを自分ものに出来るからだ

有難いことにYGで僕を育ててくれた先輩は、僕の中にあるものをよく引き出して下さった

ちょっと難しくて困難でもただ安易に'答えを教えてくれた'場合は一回もなかった

僕の体で、僕の努力で身につけた感覚だけが、最後まで進むことが出来て、
もっと発展できる丈夫な土台になる事を教えたかったのだ

魚を与えるより魚の取り方を教えてくれて、基礎からきちんと一段階も飛び越えようとせず、
しっかりと固めて下さろうとしたのだ

何か一つでも多く学びたい人になるということは、それは単に "態度"の問題だけではないと思う

実際に学びたいと思うものが多くても熱望が強くなければならない

必ずしも言葉で表現しなくても、学びたいと思う多くの人々は、そばでそれが全て感じられる

そんな人には一つでももっと教えてあげたくてもっと指摘してあげたくなる

最終的に自分の能力を築いていくために非常に有利な条件になるだろう


考えてみれば学校も同じだ

先生が褒めて可愛がる生徒を見れば大抵はいつも徹底的に準備し、質問もたくさんする

いつも準備していると言うことを見せているんだ










②恥ずかしがり屋なジョークと暖かい一言の力!







僕は人を観察するのが好きで、そうする内に世話して気に遣うことを楽しむほうだ

気が早いというよりは万遍なく心配する事が多くて、
この人あの人と世話して一人で安心して胸がいっぱいになるスタイルのようだ

周囲の人々とただうまく過ごすことは簡単だ

適当な線を引いておいて距離を維持しながら過ごせば良い

一生懸命近づく必要もなく、相手が自分の枠の中に入ってくる心配もない

だが、結局は必要な時に味方になってくれる人が誰もいなくて孤独になる

ただ笑って騒いで楽しく過ごすのではなく、本当の胸の内を開いて見せてくれて悩みを共有する間になるには、
お互いの努力が必要だと思う

照れくさい冗談の一言でも、関心があって真心があってこそ言える事だから

本気で心配してくれて、決定的な瞬間に味方になってくれることも、
日常の中の細かな配慮があってこそ可能だと思う

僕は長い間の練習生生活の末に得た熱心さと気さくさ(? )をもとに事務室の家族らの誕生日を世話したり、
心の管理用レーダーをたてて'ひょっとして何かあるのではないのか'とこっそりと尋ねたりもする

誰かがヘアースタイルを変えたとか、普段とは違った眼鏡をかけてきたとか、
顔色がちょっと良くなければ、必ず一言でも分かっている振りしてうまくやる方だ





"お姉さん、ヘアースタイルが本当によく似合ってますね。"


"お!その眼鏡本当に可愛いね。"


"兄さん、頑張ってください。"




誰かの小さな変化に気づいて、良い言葉で心を交わしてみるとお互いさらに強い味方になって難しいこともうまく解決するんだと思う

照れくさい冗談と暖かい言葉一言だけでも人と人の仲ははるかに近くて暖かくなる

真心がたっぷり込められた暖かい一言は寒い冬の夜に飲むココア味と言えるだろうか?

そんな僕にも最近一つ悩みがある

出来る事なら周囲の人たちに嫌味を言わない方なのに、最近になって'無条件に良い話をするほど無責任なこともない'という思いを時々聞く

できるだけ相手が傷つかないように話をすることも重要だけど、
本当に相手が大切で心配するなら重要な話はハッキリと分かるようにキッパリと真剣に、
時々は少し傷ついても厳しく話さなければならない

少し前にその点について大きく反省したことがあった

一度は通り過ぎたけど、後輩がダンスの練習をしているのを見て、いくつかの欠点を見つけた

あんな風に続けていたら間違った習慣が身について、後から直すのが困難になる事が明らかだった

それよりもっと危険なのは怪我をするという事

僕は悩んだ末にその後輩に話した



"練習見てたけど、本当に上手だね。"



そう切り出した後、'これはこんな風に上手にしてあれはあんな風に上手にして... 'と言って
しばらく褒め言葉を並べた

それから一番最後に話のついでのように一言付け加えた




"ところで、最後の動作はそんな風にしちゃケガするかもしれないから気を付けて。"



正直、僕が本来その後輩にしたかった話の核心はまさにこれだった

だけど、もしかしたら傷つくかと思って心配になって、一番重要な話を大雑把に話してしまった

そんな風に話しても分かるだろうと思ってしまったのだ

ところが数日後、その後輩が実際にその動作をして腕をケガしてしまったのだ

その後輩が僕の話を無視してそうなったのではなく、僕がもう少し強調して話をしなかったからだ

厳しく注意するべきだった


一番重要な問題だったのに良い事を言うのがいいと思って大雑把に言った僕は本当に無責任だった

今はチーム内で一番の小言屋になったけど、それでも最大限気を付けて話そうと努力している

人の本心はみな違って、僕みたいな丈夫な革のような人もいるし、反対に簡単に傷つく絹みたいな人もいるから

だけど、気持ちが傷つけられることよりも大切なことがある

今すぐではなく将来まで考えた時、相手が必ず知らなければならない事ははっきりと伝えることだ











③僕が持ったのは50だけ、残りは周りの人々が満たしてくれる!







YG練習室のあちこちには"練習生の手引き"が貼ってある

僕が練習生に初めて入ってきた8年前にもあったけど、時が過ぎ内容が少しずつ変わったが、相変らず練習生のルールであり行動の手引きになっている

一番上に最も大きい文字で書かれている練習生の手引き第1条はまさにこれだ


"歌手になる前に人になれ"



実力や才能がどれだけ優れていようが、まず人になってこそ歌手になれるというヤン代表の哲学だ

そしてその下には"人になる(?)"いくつかの方法が書かれているけど、
約束時間はちゃんと守る、挨拶はちゃんとする、掃除をちゃんとする、みたいな誰でも当然だと思うが、無視しやすいものである

めは"そりゃ当たり前だ"と気にしなかったけど、人になれ"という言葉は繰り返して考えるほどの原点(!)だ

どうして歌手になる前に人にならなければいけないのか、僕は8年も過ぎた今になって気付き始めた

僕が持ったものは多くても50だけだ

残りの50は周囲の人々と共に満たしていかなければならない

もちろん他の人々が僕の不足した部分を満たしてくれるのと同じくらい、
僕も人々を助けてあげなくてはならない

もらっただけ返すのは当然で、もらったことよりもっと多く返すことができるならば、
それはより大きな幸せだ

だから僕一人がいくら優秀でも周囲に50を満たしてくれる人がいないならば結局50なだけなのだ

人間関係で"残り50"があるという事実を僕はソロアルバムを作る時大きく痛感した

まだ一人でできることがあまりなかったけど、もし周囲の人々の助けがなかったらこんなアルバムを作ることが出来なかったと思う

僕に立派なMentorと良い同僚がいることがどれくらい驚くべきで感謝したことか時間が経つほどもっと深く悟ることになった
(※Mentor・・・優れた指導者。助言者。恩師。顧問。信頼のおける相談相手)










④称賛はもっと緊張して非難はもっと嬉しく受けろ!







僕が一番好きで尊敬するスターの中の一人がバスケット選手のマイケル・ジョーダン(Michael Jordan)だ

彼は持って生まれたバスケットボールの天才でもあるが、とてつもない努力家としても良く知られている

遠い昔、本で読んだ話なのに、そこに出てきた彼の言葉を長い間覚えている


"私は賞賛を聞いたら、無条件にバスケットコートに走って行ってフリースローを300回以上練習した。そうするだけで気楽になる。"


初めは理解出来なかった

"バスケットボールの神様"としてあがめられる、彼にとって賞賛や歓声は当然のことじゃないか?

非難や叱責でもなく、せいぜい称賛の一言でどうしてそこまで自身を苦しめるのだろうか?

ところが最近は称賛がもっと恐ろしいということを少しは実感する

誰でも称賛や賛辞に慣れてしまったら油断したり怠けたりする

マイケル・ジョーダンのような完ぺき主義者が称賛一言でもっと不安に思ったことは当然のことだ

少しでも揺れたり怠けたりするかと思って心配で、より一層練習にしがみつくしかなかったのだ

誰が見てもバスケットボールの天才の彼さえも称賛にうぬぼれないようにと自らを鞭打ちしたなんて...

僕はその話に本当に感動を受けた

自分自身でそのように徹底するという事はそれだけ正直で粘り強さだという意味ではないか?

僕がマイケル・ジョーダンから習おうとしている点はすぐにそんな粘り強さだ

マイケル・ジョーダンのように常にトップで1等で走らなければならない人は、
はるかに苛立っていて不安だろう

前には追いつかなければならない先頭走者がいなくて、四方からどんな競争者がどんな姿をして飛び出してくるかも知れない緊張の連続だ

この前TVに出てきたバレリーナのカン・スジン先生も似た話をしていた

"毎日十時間ずつ練習をすれば常に毎朝全身が痛いです

ある日は足が痛くてその次の日は腰が痛くてその次の日は肩が痛いです

ところが、ある日どこも痛くない朝を迎えたら突然怖くなります

昨日は私が運動を疎かにしたんだなあと思って

だからその日ははるかに強力な訓練をします

精魂を傾けて練習します

それが習慣になりました

それでこそ気楽になれます"


厳しい練習のせいでほとんどカエル足のように奇形になってしまったカン・スジン先生の足写真がしばらく人々の関心を引いたが、この話を聞いて理解できた

こういう話を聞くたびに気を引き締めて粛然になる
(※粛然....真剣な気持ちで受け止め、つつしみかしこまるさま)



YGの練習生はあまりにもライオンの子(?)みたいに育てられるから、怒られ叱られることに慣れている方だ

称賛とか拍手はかえって当惑する

ヤン代表はいつも僕たちにこう話す



"称賛は毒で非難は刃だ"



幼い時から本当にこの言葉を耳にタコが出来るくらい聞いた

称賛は人を怠惰にさせる毒で非難は意志と可能性まで切り捨てる刃になり得るから、
二つとも注意しなさいと言う意味だ

多くの人前に立つ職業だから何をするにも称賛と非難が後についてくるけど、賢明な人はそれに動揺したり流されない

だから僕は自分が受ける称賛の中に隠れた致命的な毒素をろ過してエネルギーにして、
非難という刃を持って自分の傷んだ部分を慎重に切り取ろうと努力する