僕は真っ赤に燃え上がる太陽になりたい、だから今でも僕を燃やす
①ステージでは誰も騙すことはできない
後輩らのモニタリングをまんべんなくするSE7EN兄
僕が好きで尊敬する師匠の中の1人だ
兄は練習生時代から、個人別のフィードバックペーパーを作って配るほど、丁寧にコーチングをしてくれた
忙しい日程をこなしながらも必ず事務室に立ち寄って後輩らの練習動画を見て几帳面に教えられた
今でもSE7EN兄は時々ステージをモニタリングしてメールをしてくださる
その内容があまりにも細かいから、そのメールをもらったら、"本当に上手と認められることは難しいんだな"という気がする
SE7EN兄は遠まわしに言わないで第三者の立場で加減なしに率直に言う
僕を傷つけないようにと気持ちのいい言葉で癒したり、賞賛することが、
むしろ僕にとって毒になる可能性があることを分かっているからだ
短所をはっきり理解して変えていかなければ、結局、後にステージに立った時、その短所を観客たちがそっくりそのまま見つけてしまう
観客は決してだますことができないからだ
今でも舞台に立った時、僕が最も重要だと思うのは"上手く出来た出来なかった"という感じでなく自分自身満足なくらい嬉しかったかという点だ
ステージに立った時のあの震えが好きで、その震えと死にそうなくらいの恐れに勝った自分自身が満足で誇らしい
しかし、ステージというのはいつでも"偽物はすべてバレてしまう場所"だということもよく分かっている
だからより恐くて震える
僕はレコーディング中でも声が気に入らなければ、すぐにボーカルトレーナーの先生のところへ走って行って問題を解決してやっと気が済む
このように一つでも気に入らない事があれば周囲の人に数十回聞いたりするので
時々皆に"もういい加減にして!"と面と向かって叱られたりする
だけど、僕はとても小さいことでも何か一つでも気になり始めれば、
それが完全に解決されるまではその考えから抜け出すことが出来ない
不快で気になって我慢できない
誰かは僕は主観があまりにもハッキリしているので、他人の話にもっと気を遣えと言われることもあった
その話にすぐ"僕はこう思うのに、なぜあの人はあんな風に考えるのだろうか?"と、納得できない部分を無視しないで食い下がってしまう
だから世の中のすべての心配や悩みを一人で全て抱いて生きると時折メンバーにからかわれることもある
僕が練習生時期を厳しく過ごして分かったとても大切な教訓一つは、世の中にタダなものは何もないということだ
大体"うまくいくだろう"と思ったことは期待通りうまくいったことがなくて、僕が予想したより十倍ぐらい精魂を込めて努力してこそ得ることができた
僕は何でも底まで完全に空にしてまたてっぺんまで自分の力でぎゅうぎゅうに詰め込む方が好きだ
それでこそ一瞬輝くのではなく最後まで長引く力が生まれると信じているから
②いくら99度まで温度を上げても結局水を沸かすのは最後の1度
同じように努力してもその結果が同じように帰ってくるのではないようだ
死ぬほど勉強しても成績はそれほど伸びない人がいるように、
100の努力が必ず100の結果に戻らないというのは誰でも分かる事実だ
才能がどれほどあるのかはさておき、努力というものも一定の限界値を越えてこそ実が結ばれるようだ
ある本でみた内容だけど、水を加熱する時0度から99度までいくら一生懸命温度を引き上げても
99度では絶対沸騰しないという
水を沸かす力は最後の1度なのに、大部分の人が99度まで一生懸命努力しておいて最後に"これではダメみたい"と諦めてしまうという
単純な科学的常識だけど、直接経験してみたら世の中のたくさんの事がそうだと思う
もしそうなら、1度の差はどこから生まれるのか?
僕は1度の違いをダンスの練習する時、そして運動する時よく感じる
10回練習したなら、8回まではそれなりに一生懸命にベストを尽くす
ところが必ず最後の2回はいい加減にしたくなる
8回も練習したので体も心も疲れ果てたし、今は手を抜いても上手にできそうな自信過剰も芽生える
"もうやめようかな? "と誘惑が段々生じる
"一時間運動をしなくちゃ"と決心した時も、一番ツライ瞬間が最後の1,2分だ
筋力トレーニングをする時も、計12セットを持ち上げる場合も最後の1,2セットが一番つらい
"本当にやりたくない"、"もうやめようかな?"、"誰も見てないでしょ"という思いが頭の中にちょくちょくよぎる
だけど、そういう時結局最後まで諦めないでやれば必ず良い結果でお返しが帰ってくる
諦めてしまいたい瞬間、手を抜いてしまいたいその瞬間にどんな風にするかによって結果が全く違うのだ
時々そんなことを感じるごとに鳥肌が立つほどだ
練習生の中でも己惚れたり怠惰にならないで、"最後の一回"を最後までねばり強くやり遂げる仲間が実力がだんだん伸びているのを確認したりする
8回までは誰でもやる
問題は最後の2回だ
最後の1回の動きまでも本当に気に入るまで適当にしないでねばり強く食い下がること、
僕にはそれが重要だった
幼い頃、ピアノ学院に通う時もそんながむしゃらな根性は少しあったようだ
ピアノ学院に行くと先生が"ここからここまで5回弾いて"と宿題を出されて小部屋から出て行かれる
すると友人はたいてい3回程度練習曲を弾いて、先生には5回弾いたと言いピアノレッスン手帳にハンコを5個もらったりしていた
しかし、僕はそれが本当に嫌だった
'どうして5回みんな弾いてないのに5回弾いたって言うんだろう?'
3回を5回と言って、最後までちゃんとやらずにごまかすのは自らを騙すようで嫌いだった
今思えば子供にふさわしくない'原則主義者'だったのだろうか?
悪く言えば融通の利かない子供だったのかもしれない
だけど、自分自身を騙さない正直さがもどかしく見えても、それが正解だと思う僕の考えは今でも変わらない
③このステージが最後でもいいから・・・
"ベストを尽くせるようにして下さい
このステージが最後でもいいから、僕が持った全てのものを出せるように助けて下さい"
ステージに上がる前、僕はいつもこんな祈りを捧げる
いくら緻密に計算された音楽と照明や振りつけ、パフォーマンスがあったとしても、
それをステージの上で実際にやり遂げる事はまだ難しくて震える
だけど僕は震えて緊張した感じがとても好きだ
僕が一生懸命練習したことに対する達成感や満足感も感じて、観客らと直接感じ合うことにも確かに中毒性がある
歌手がステージを離れることができない理由がまさにそうした事ではないだろうか?
もちろんステージはそれだけ難しくて厳しい場所だ
練習ではなく、本番の一瞬間も緊張を緩めることが出来なくて実力がそっくりそのまま表れるからね
だけど、僕はそうした点さえ楽しい
ステージ経験が僕を変わらせたように、僕が立てた目標も僕を変わらせる
まだ20歳そこそこだけども、10代の時とはハッキリ目標が変わった
未来をもっと具体的に描くことになったというか?
以前はただ'良い音楽をする立派な歌手にならなくちゃ'という漠然とした夢だったけど、
今はもう少し鮮明で具体的な道を見つけ始めた
どんな勉強をどんな風にして、どんな点をどんな風にもっと補って、
どんな情報を見つけなければいけなくて、誰に助けを求めて・・・
こんな風に将来の計画が段々具体的に変化するから、意欲も大きくなって何をしても楽しくなる
BIGBANGの活動の後にステージで大きく変わったという話をよく聞いた
やはり100回の練習より1度の本番が良いのだろうか?
経験というのは木の年輪のように僕の体と心にそのまま残るみたいだ
だから経験は怖いもののようだ
経験というものは苦くても甘くても僕に残って、人生の模様を作りながら僕を大きくして丈夫にしてくれる
具体的な目標ができてから一人で色々とたくさん考えるようになった
원하는 모습에 가까워지기 위해서 나 스스로 그에 걸맞은 환경을 만들어나가야겠다는 생각도 많이 한다.
望んでいる姿に近づくために自らそれにふさわしい環境を作るべきだと言う思いもよくする
全ての事が一人で出来ない
僕を助けてくれる周りの人と僕の夢を共有して、僕の望みを伝えしながら進むことが夢に近付く唯一の方法だと思う
そのたびにクリスチャンの僕は祈りを捧げたり手帳に願いを書く
必ず祈りはなくても自らに暗示を与える言葉にはとても大きい力がある
頭の中だけに留まっていた思いが言葉になって口の外に出てくれば、その時から言葉は途方もない力を持って僕をその願いに向かって引っ張っていく
一種の'自己暗示効果'というだろうか
実際、練習生時期には将来がまっ暗で、いったいこの道の終わりに何があるのか漠然なだけだった
そのせいか願いもただ'歌手になりたい'程度だった
それじゃあ、どんな歌手?という質問を自分問いかけたところ、その時の僕の心から出た答えはただ'良い歌手'あるいは'良い音楽をする立派な歌手'のような曖昧なことばかりだった
もちろんそれもハッキリとした目標だから、ないよりは良かった
だけど、もう少し具体的な言葉で自らに催眠をかけたなら、今よりもっと具体的な結果をより多く得ることが出来たのではないかと思ったりする
④走ったり止まったり、とにかく両方とも勇気が必要だ
練習生の時は”デビューしたら色々な困難はなくなるだろう?”とたくさん期待したが?実際にデビューしてから練習生の時に全く悩む必要がなかった数多くの問題が新しく生じた
大変な峠を一つ越えたらさらに大変な峠に出会った気分だ
結局どの場所どの位置にいようが何の緊張なくただ楽しくなるという事がないみたいだ
無名の練習生でも、世界最高の歌手でも、誰でも痛みがあり困難がある
一段階一段階上がりながら出会う、新しい状況にはまた他の困難と悩みが待っていることを今は少し分かる
しかし重要なのは、それと共に僕たちは日々、自分も知らないうちにどんどん成長して発展するということではないか?
その上おまけに曖昧な夢が具体的な姿に変わると、夢に近付く道はさらに鮮明になり足取りもさらに軽くなるようだ
僕の夢は音楽の本土であるアメリカ、そしてもう一歩出て世界あちこちで"音楽で"認められることだ
歌手として僕だけのカラーがいっぱいの音楽をリリースして商業性と音楽性面で同時に認められたい
世界的なスーパースターになるのも良いけど、何より人が聞いて"本当に良い"と感動する、そんな音楽をやりたい
僕は黒人ではないから彼らのような感情と情緒、1つを表わして疎通しようとするなら
今よりもっと多くの経験と苦痛を経験しなければならないかもしれない
だから歌手の僕にとって傷と痛みはすぐに音楽的エネルギーになってくれると信じている
僕は100メートルを全力疾走するよりマラソンのように着実に走る方が合っている
何かが速く成し遂げれないせいでストレスを受けたり焦るスタイルでもなくて、
人生の速度や学習の速度、努力に対する結果が現れる速度、全てがそんなに速い方ではないようだ
そうしたせいか、むしろすぐに結果があらわれないと焦ったり、何でも速戦即決で決めてしまわないようにと努力する
アルバムでもステージでも一番完ぺきな状態になるまで時間とエネルギーを十分に費やしたい
いつまでも煮込んで骨の中にあるエキスまで抜き取っている
"心が揺れるときは静かに見守りなさい。"
ある先生が僕に言って下さったお言葉だ
リンゴジュースのように心を静かに見つめて落ち着きなさいとおっしゃった
そうするとリンゴジュースの具が下に沈んできれいなリンゴ汁だけ残るように、
僕が本当にやりたい事が何なのか、胸の中もその透明なリンゴジュースのように明るく見えると、
コンパスの針が揺れても、最終的に一箇所に向かって止まるかのように、自分の心も常に自分の好きな場所に向かっているんだろう?
今はそれが音楽だと思う
時々、"僕は本当に歌手になったのか?"という気がする
まだ学ばなければならないことがとても多くて、知らなければならないことが山積みのように前に積まれている
だけど、幼い頃に何も分からない状態で興奮と驚きを感じたように、
僕の歌で誰かが慰められて喜びを感じることが出来るならそれだけでも僕が音楽をする理由は十分だ
僕は音楽から大きなエネルギーを得る
僕の歌を愛する人、公演会場で一緒に熱狂する人が僕にものすごいエネルギーを与えてくれる
だから僕の夢は熱気球の風船のようにますます膨らむほかない
僕はその風船に乗って"もっと高くもっと遠くまで飛ばなくちゃ"と言う思いだけだ
夢は僕が自ら踏み出す一歩と同じくらい近づくのだ
end