三浦綾子さんが「母」を書くことになったのは
父君の光世さんからの提案によるものらしい。
ぼくは、この「母」を読むまで、
それ以前に「氷点」を読んでいただけで、
特に興味のもてる作家ではなかった。
・・・というよりも、他に読んだ作品もなかった。
あるいは伝道作家らしいということで
進んで読みたいとも思わなかったのかもしれない。
そんなぼくが三浦綾子作品にすっかり魅せられている。
父を亡くし、十数年して母を亡くした。
入院していた母を、週一回は必ず見舞っていたが、
一週だけ見舞いに行けない日があった。
母はその週に他界した。
「母」なるタイトルの本を読み漁った。
そこで出会ったのが三浦綾子作の「母」だった。
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《観劇感想文》
■下北沢などで舞台はよく見ます。
しかしこんなに暖かい人間味のある舞台は初めてです。
「ぼたもちを年に一回食べられれば、
普段は何を食っていても・・・」
今を何不自由なく生きていた私には
ショックな言葉でした。
真実と正しさの線引きが分からずにいる私は、
セキさんの人生にたくさん学びました。
今日の日を決して忘れません。
素晴らしい時間をありがとうございました。
三浦綾子さんの作品に興味を持ちました。
■「母」の初日を拝見しました。
素晴しい、本当に素晴しい舞台でした。
実のところ多喜二の母がテーマと伺い、
三浦綾子の原作と知り、
多少退きつつ(?)向かった六本木でした。
行ってよかった!
見逃さなくて本当によかった!
シンプルで骨太な主題、
過不足ない舞台運び、――幕が降りて、
拍手しか送れない自分に無力を感じるなんて久々、
いや若しかしたらこういう余韻は初めてかも知れません。
人として生まれて一番出会いたい温もり、
持ってみたい優しさ、
辿りつきたい明るさがそのまま丸ごとありました。
――劇場にいることを忘れました。
ボタもちなんてさほど好きでもないのに、
セキの気持ちを食べてみたくなります。
「普通」であったはずのことが、
これほど暖かく感じるなんて、
こちらが冷えていたのでしょうか?
当たり前だったことがこれほど懐かしい涙を誘うなんて、
よほどこちらがずれていたのでしょうか・・・?
あれからどんどん初夏の眩しさが増し、
梅雨を迎え、ラッキョウを漬け、枇杷をかじり、
日常の雑事を経ても、みなさまが下さった余韻は
色あせることはありません。
終演後、エレベーターに向かう人々の表情――。
セキそのものだった三園さんをはじめ
舞台に携わった方々お一人お一人に
見せて差し上げたい気がしました。
一生色あせない心に残る感動をありがとう!
















