演劇人生 -98ページ目

演劇人生

今日を生きる!

三浦綾子さんが「母」を書くことになったのは

父君の光世さんからの提案によるものらしい。

劇団生活

ぼくは、この「母」を読むまで、

それ以前に「氷点」を読んでいただけで、

特に興味のもてる作家ではなかった。

・・・というよりも、他に読んだ作品もなかった。


あるいは伝道作家らしいということで

進んで読みたいとも思わなかったのかもしれない。

そんなぼくが三浦綾子作品にすっかり魅せられている。


父を亡くし、十数年して母を亡くした。

入院していた母を、週一回は必ず見舞っていたが、

一週だけ見舞いに行けない日があった。

母はその週に他界した。


「母」なるタイトルの本を読み漁った。

そこで出会ったのが三浦綾子作の「母」だった。

           ◆

           

       《観劇感想文》

■下北沢などで舞台はよく見ます。

しかしこんなに暖かい人間味のある舞台は初めてです。

「ぼたもちを年に一回食べられれば、

普段は何を食っていても・・・」

今を何不自由なく生きていた私には

ショックな言葉でした。


真実と正しさの線引きが分からずにいる私は、

セキさんの人生にたくさん学びました。

今日の日を決して忘れません。

素晴らしい時間をありがとうございました。
三浦綾子さんの作品に興味を持ちました。


■「母」の初日を拝見しました。

素晴しい、本当に素晴しい舞台でした。

実のところ多喜二の母がテーマと伺い、

三浦綾子の原作と知り、

多少退きつつ(?)向かった六本木でした。

行ってよかった! 
見逃さなくて本当によかった!

シンプルで骨太な主題、

過不足ない舞台運び、――幕が降りて、

拍手しか送れない自分に無力を感じるなんて久々、

いや若しかしたらこういう余韻は初めてかも知れません。


人として生まれて一番出会いたい温もり、

持ってみたい優しさ、

辿りつきたい明るさがそのまま丸ごとありました。

――劇場にいることを忘れました。

ボタもちなんてさほど好きでもないのに、

セキの気持ちを食べてみたくなります。
「普通」であったはずのことが、

これほど暖かく感じるなんて、

こちらが冷えていたのでしょうか? 
当たり前だったことがこれほど懐かしい涙を誘うなんて、

よほどこちらがずれていたのでしょうか・・・? 
あれからどんどん初夏の眩しさが増し、

梅雨を迎え、ラッキョウを漬け、枇杷をかじり、

日常の雑事を経ても、みなさまが下さった余韻は

色あせることはありません。


終演後、エレベーターに向かう人々の表情――。
セキそのものだった三園さんをはじめ

舞台に携わった方々お一人お一人に

見せて差し上げたい気がしました。


一生色あせない心に残る感動をありがとう!

母は働き者だった。

三浦綾子さんの作品「母」のセキさん程の

貧しい生い立ちではなかったが、

戦後の日本も酷かった。


食べ物がない。

着るものもない。


猫の額ほどの畑に、

ほそぼそと育てた苗についたトマトの実は

まだ青いうちに盗まれた。


きゅうりは、先端についた花が枯れる前なのに

いつの間にかなくなっていた。


犯人はわかっていても、

「黙っていよう」

という母の言葉にそっとうなずく。

劇団生活
  その頃よりちょっと若い母

大根を刻んで米と炊き、

大根を横に寄せてご飯の部分を弁当に詰める。

家で食べるご飯は、

米粒より大根の方が多かった。


でも、これでもまだ貧しさとはいわない。

食べ物がないという貧しさがあったからだ。


友達が麦の穂をちぎっては

川に流して遊んでいた。

「麦が可哀そうだべ!」と注意した。

劇団生活
   
その頃の我輩(ぼ~ッ)

その夜、家に怒鳴り込んできた男がいた。

「お宅の子どもが畑を荒らした」・・・と。

母は、その男の前でしこたま僕を叱った。

男が帰った後、

「兄ちゃんはそんなことしてないね」

母はわかってくれていたのだ。

「・・・??」

・・・が、僕には合点がいかなかった。

そんな僕に、

「貧乏だと、何もしなくても盗んだといわれる」

どう反論しても、相手は決めてかかるのだと

ぽつりと言っていたのを思い出す。

一番弱いところに貧乏は押し付けられる。


でも、

「金持ちになれ」

と母は言わなかった。

ただ、

「強くならないとね」

と言った。


そうかもしれない・・・思い当たることがあった。

母の実家に住んでいた頃、

父が身体を壊して働けず、

母がよその畑を耕して暮らしている家があった。

そこに兄妹のきょうだいがいた。

妹が雪を食べていた。

「腹こわすべ」

「腹さ入ると血になるんだ」と言った。

「味ないべ」

「こうすれば餅だ」

と丸めて食べていた。

翌日、食事で残した漬物を持って行った。

が、妹には会えなかった。

その前後は憶えていない。

それ以後、彼女の兄と親しくなった。

ある日、

「あそこの子どもと遊ぶな」と言われた。

「父ちゃん泥棒だからな」

「遊ぶと貧乏が伝染(うつ)る」のだと。

しかし、何故かその後も遊んだ。

兄は気のいい男だった。

こいつと仲良くして貧乏が伝染するなら

「それはそれでもいいじゃないか」

と思っていた。


しかし、ある日母にきつく叱られた。

「村の人みんなが心配している」のだそうな。

あの一家もこそこそと小さくなって生きていた。

際立って弱い一家だと、子供心に思ったことがあった。


三浦綾子作「母」を読んで、

わたしは母への鎮魂歌として脚色上演した。

舞台にのせた位牌は、

劇団生活
      箪笥の上の位牌がそれである。


亡くなった母の白木の位牌を黒く染めたものだった。


この位牌は、2011年9月の「母」にも登場する。(予定)

母の声を聞け・・・

2011年を迎える

劇団アドック劇団員への課題である。

今ひとりの劇団員の出産を待っている。

近く、彼女は母になる。


それに引き換え、

欲しい子どもを持てない劇団員もいる。

「この夫婦に子どもがいたら・・・」

とても素敵な家庭をつくるに違いない・・・

そのような思いを彷彿とさせるのにである。


そのみんなは母から生まれてここにある。

すべては母から生まれる。


小林セキ・・・

貧しい時代に、貧しい村に、貧しい家に

生を受けた。

子ども時代から遊びはなかった。

3歳になると、自分より大きな子どもを背に、

子守りの駄賃をもらい、日に数人の客に出す

母の作るそばをそろりそろりと運び、

庭の掃除、水汲み、湯沸しを手伝った。

13歳には口減らしのために、

隣村の小林家に嫁に出された。


旦那さんと働く・・・

その楽しさは何にも変えられないものだった。

兄の残した借金までを抱え込み、

身体の弱い旦那さんと鉄道敷設の人足をした。

土砂を運ぶトロッコを操縦し、

男と一緒にもっこを担いだ。


そのセキがつくった家庭は・・・

劇団生活
    「母」の著者、三浦綾子さんの・・・

そして、そこで小林多喜二は生まれ育った。


劇団生活
            小林多喜二

この多喜二は小樽商科大学を優秀な成績で卒業、

北海道拓殖銀行に就職が決まった。

母のセキはぼた餅を作った。

「ぼた餅を食えるなんて兄ちゃんのおかげだ」

「こんなものを年に一回でも食えれば、

他の日なんて、何を食っていてもいいね」

「ぼた餅って、人を幸せにするね」

「だったら日本中の人に食べさせてあげたいね」

この様な会話が子どもたちのことばとして

交わされる家庭だった。


多喜二は作実イコールといえる人だった。

恋もした。遊郭からひとりの女性を身請けもした。

しかし、一緒に住みながら、

果たして結ばれた気配もない。

愛をささやいた形跡もない。

劇団生活
  田口タキ。舞台ではタミとして登場する。

かける言葉は「タミちゃん勉強だ、勉強だぞ!」

「好きなら好きといえばいい」母セキがいらいらする。

彼は銀行勤めをしながら小説を書く。

いわゆるプロレタリア文学といわれる

反体制、反権力、貧困層や労働者を

主人公にした作品である。

「蟹工船」は彼の代表作である。

警察に目をつけられ、特高に追われ、

銀行をクビになる。


母セキにはどうしてもわからない。

「貧乏人の見方をして何が悪い?」

子どもの頃、「セキ、めんごいな」と

飴玉を頬張らせてくれた交番の巡査・・・

その警察が、弱い者の味方をする多喜二を

目の敵にする・・・わからなかった。

そしてとうとう、東京に出て身を隠す多喜二は

スパイの罠にかかり捕縛され、

裁判にもかけられないまま虐殺されるのだ。


劇団生活
     生々しい拷問の痕跡が全身に・・・


劇団生活
   「多喜二、立て!皆さんが来てくれているのに・・・」

遺体を引き取りに行った母は、

警察では涙一滴見せなかった。

家に帰った途端に庭に突っ伏して、

人はこれほどの涙を出せるのかと思わせるほど、

乾いた庭を濡らしたという・・・


しかしセキには多喜二の死が理解できなかった。

築地、日本橋、麻布、六本木、赤坂辺りを探し歩いた。

「あッ、多喜二だ!」

似た後姿に背中から抱きついては人々を驚かせた。

家では「帰ってくる」とぼた餅を作って多喜二を待った。


劇団生活
       ひとりポツンと多喜二の帰りを待つ

「あッ、多喜二だ!やっぱり生きていたんだ!」

抱きつこうとした途端・・・その影は消えた。


この母セキは、この悲惨かを乗り越えるのだ。

「私は多喜二だけの母ではない」

「妹や弟たちも私の子ども・・・」

1933年の多喜二の死後37年、

87歳の命を全うしてこの世を去った。

その数日前、セキは生涯を省みて・・・


劇団生活
「私みたいな人間がこうして長生きしているんです。

みなさんも元気で、仲良く、長生きしてくださいね」

にこやかに、そう語ったという。


劇団アドックは2011年9月

東京都港区、麻布区民ホールで、この

「母」を上演する。

上演を前にして、上演する私たちが、

先ず、「母」の声に耳を傾けたいと考えている。

この母の声を聴け・・・新年に向けた課題である。


※タイトル変更

私たちは、どう生きればいいのか。

与えられた命を大切にするとは・・・


2011年9月に再演する「母」

劇団アドックは創立10年記念作品として、

再度「母」に取り組むことに決めた。


過去に寄せられた(中学生)から寄せられた

感想文から学ぶものは多いはずだ。


■どの場面にも、家族団らんの様子が描かれ、

一家に襲いかかる悲劇さえも家族の力で
のり越えていく姿は、幸せに過ごす今の私たちが

忘れかけているものでした。

劇団生活
     やっと家族一緒に暮らせる!
しかし、どうして神様は、

数々の厳しい試練を与えるのでしょうか。

でも、この家族は前向きに考え、

試練を生きるエネルギーに変えて戦い続けました。

そして、やっと手に入れた幸せな日々。

しかし、その時も長くはありませんでした。
多喜二の書いた小説が原因で、

多喜二は警察に捕らえられ、

そこで彼は亡くなったのです。
劇団生活
  多喜二が死んだ?嘘だ! 今さっきここに・・・

言論の自由が認められていない当時、

多喜二は、どういう気持ちで小説を書き続けたのでしょうか。
私には、「死」を覚悟して何かに取り組んだり、

おこなったりしたことはないし、これからも
自分の命を捨ててまで何かを実行することもないでしょう。

多喜二はそれを、自分の意思でおこないました。

当時の人たちにとっての多喜二の存在は、
自分たちの生活に夢を与えるヒーローのような存在であり、

だからこそ、この話が今も人々を感動させる力を

持つのでしょう。


「みなさん、命を大切にして、元気に仲良く、

長生きしてくださいね。」
と、母セキが亡くなる前に言ったとされる言葉を聞いて、

私は涙がこみ上げてきました。
劇団生活

亡くなる前のセキが、

戦争や社会の矛盾に堪えてきたセキだからこそ言えた、

私たちのために残してくれたことばだと思います。


みんな仲良くすれば戦争は起きないし、する必要もない。
セキや多喜二のためにも、

そして私たちのためにもみんなが仲良くし合って、

戦争の過ちを二度と繰り返さないようにしたい。

セキから私たちへの遺言だと強く心に思いました。


■十三歳の若さで小林家に嫁入りしたセキ。

今では考えられないことだ。
夫と一緒に一生懸命働いて

六人の子どもを育て上げたことはすごい。

まだ日本も貧しかったと思いますが、

一年に一回のぼた餅も食べられない年もあったという。

ぼた餅に大喜びしている家族を見て、今の日本は、
食べ物のありがたさや、食べる喜びを忘れていると

つくづく思った。
劇団生活
    「これ、日本中の人に食べさせてあげたいね」
息子の多喜二が北海道拓殖銀行に就職が決まった。

当時の銀行員になることは給料もいいかもしれないが、

頭もよくなければ入れないだろう。

そこに貧乏な多喜二が入れたのはすごいと思った。

そんな中、父親の末松が亡くなった。

一家の大黒柱がいなくなって、

家族に穴が開いたようだった。
しかし母はみんなと力を合わせて働いた。

そして子どもたちは明るく育った。

そしてこの自慢の多喜二が警察で殺される。

セキは死んだ多喜二を前に、
「お前を産んで悪いことをしたのかな」と言って泣いた。

死んだのは心臓麻痺だといわれたが、
本当は首を絞められて死んだそうだ。
劇団生活
       「心臓麻痺なんて嘘だ!」
当時は、

自分の言いたいことの言えない社会だった。

そんな時代だったと習った。
働く人が幸せになる世の中を目指して、

小林多喜二は「蟹工船」や「みんな平等」などの本を書いて、
銀行をクビにされ、逮捕された。

なぜ貧乏人を助けようとして殺されるのか。
劇団生活
   「お前を産んで、悪いことをしたのかな!」

これは戦争をしょうとする国家が悪いのだと思う。

戦争は人々を不幸にする。
個人を犠牲にして戦争がおこなわれる。
ぼくも、自分の信じることをやり通す勇気を

持って生きていきたい。

12月17日の「劇団まつり」の第1部、

朗読と弾き語りに出演した3人の女性の

なべちゃんを既に紹介した。


ぼくが講師をしている港地区のカルチャー教室

「表現力講座」の研修生である。

残る2人はトシコと同じ名前だ。


漢字にすると、ひとりは敏子さん、

もうひとりは俊胡さんだ。

3ヶ月1クールのこの講座は、

毎週金曜日15時からで、

来年1月7日が2011年初の1クールになる。

劇団生活
   ひとり目のトシコ(敏子)さん


劇団生活
   ふたり目のトシコ(俊胡)さん

「劇団まつり」への参加は、

俄然彼女たちのやる気に火をつけたようだ。


1月からの募集にも揃って参加が決まった。

「くせになっちゃって」

・・・という。


週1回、3ヶ月を通して何を学べるかではない。

何に気付くか、何をどう感じるか・・・

これを最大の課題にして講座を考えている。


先ず、

自分だ。

この本質に気付くのがいちばん厄介なのである。

本当の自分って、ど~れ?

身近すぎて見えていない。

先ず、そこに目を向ける。

それにもっともいい方法は、

人の話を傾聴するところから始めることだ。

・・・・等々のレッスンが基調になる。


声(音)も出そうとする必要はない。

相手(それが物や周囲に状況・様子のこともある)

と自分との間に、すでに用意されている音がある。

それを頂いてくれば簡単に声の音になる。


自分のすることのすべてがリアクションであればいい。

すべてに「反応」することが、

さまざまな手法、方法によって生じる表現なのである。


えッ、わからない。

今はそれでいいのです。

そのうちわかるからです。


2人のトシコさんも、

既に紹介したナベちゃんもわかりかけているはずです。


これからが楽しみです!