「母」(3) | 演劇人生

演劇人生

今日を生きる!

※タイトル変更

私たちは、どう生きればいいのか。

与えられた命を大切にするとは・・・


2011年9月に再演する「母」

劇団アドックは創立10年記念作品として、

再度「母」に取り組むことに決めた。


過去に寄せられた(中学生)から寄せられた

感想文から学ぶものは多いはずだ。


■どの場面にも、家族団らんの様子が描かれ、

一家に襲いかかる悲劇さえも家族の力で
のり越えていく姿は、幸せに過ごす今の私たちが

忘れかけているものでした。

劇団生活
     やっと家族一緒に暮らせる!
しかし、どうして神様は、

数々の厳しい試練を与えるのでしょうか。

でも、この家族は前向きに考え、

試練を生きるエネルギーに変えて戦い続けました。

そして、やっと手に入れた幸せな日々。

しかし、その時も長くはありませんでした。
多喜二の書いた小説が原因で、

多喜二は警察に捕らえられ、

そこで彼は亡くなったのです。
劇団生活
  多喜二が死んだ?嘘だ! 今さっきここに・・・

言論の自由が認められていない当時、

多喜二は、どういう気持ちで小説を書き続けたのでしょうか。
私には、「死」を覚悟して何かに取り組んだり、

おこなったりしたことはないし、これからも
自分の命を捨ててまで何かを実行することもないでしょう。

多喜二はそれを、自分の意思でおこないました。

当時の人たちにとっての多喜二の存在は、
自分たちの生活に夢を与えるヒーローのような存在であり、

だからこそ、この話が今も人々を感動させる力を

持つのでしょう。


「みなさん、命を大切にして、元気に仲良く、

長生きしてくださいね。」
と、母セキが亡くなる前に言ったとされる言葉を聞いて、

私は涙がこみ上げてきました。
劇団生活

亡くなる前のセキが、

戦争や社会の矛盾に堪えてきたセキだからこそ言えた、

私たちのために残してくれたことばだと思います。


みんな仲良くすれば戦争は起きないし、する必要もない。
セキや多喜二のためにも、

そして私たちのためにもみんなが仲良くし合って、

戦争の過ちを二度と繰り返さないようにしたい。

セキから私たちへの遺言だと強く心に思いました。


■十三歳の若さで小林家に嫁入りしたセキ。

今では考えられないことだ。
夫と一緒に一生懸命働いて

六人の子どもを育て上げたことはすごい。

まだ日本も貧しかったと思いますが、

一年に一回のぼた餅も食べられない年もあったという。

ぼた餅に大喜びしている家族を見て、今の日本は、
食べ物のありがたさや、食べる喜びを忘れていると

つくづく思った。
劇団生活
    「これ、日本中の人に食べさせてあげたいね」
息子の多喜二が北海道拓殖銀行に就職が決まった。

当時の銀行員になることは給料もいいかもしれないが、

頭もよくなければ入れないだろう。

そこに貧乏な多喜二が入れたのはすごいと思った。

そんな中、父親の末松が亡くなった。

一家の大黒柱がいなくなって、

家族に穴が開いたようだった。
しかし母はみんなと力を合わせて働いた。

そして子どもたちは明るく育った。

そしてこの自慢の多喜二が警察で殺される。

セキは死んだ多喜二を前に、
「お前を産んで悪いことをしたのかな」と言って泣いた。

死んだのは心臓麻痺だといわれたが、
本当は首を絞められて死んだそうだ。
劇団生活
       「心臓麻痺なんて嘘だ!」
当時は、

自分の言いたいことの言えない社会だった。

そんな時代だったと習った。
働く人が幸せになる世の中を目指して、

小林多喜二は「蟹工船」や「みんな平等」などの本を書いて、
銀行をクビにされ、逮捕された。

なぜ貧乏人を助けようとして殺されるのか。
劇団生活
   「お前を産んで、悪いことをしたのかな!」

これは戦争をしょうとする国家が悪いのだと思う。

戦争は人々を不幸にする。
個人を犠牲にして戦争がおこなわれる。
ぼくも、自分の信じることをやり通す勇気を

持って生きていきたい。