涙跡残るアンケートや手紙・・・
実は、ぼくはアンケートは嫌いだ。
上演する側としてもそうだが、
観客としても観終わった直ぐ後に
感想文を書けといわれるほど迷惑なことはない。
しかし、劇団員の多くの意見には逆らえない。
演劇に携わり40年以上を経て、
数々の感動に出会ってきたことに、
「あゝ、ぼくは生きている」と、
いま在る喜びに感動したことがあった。
しかし、
三浦綾子さんの「母」を舞台化して上演。
そこに寄せられた観劇後の感想文に出会い、
「これまで得たと思った感動は何だったのか」
と思えて、心が打ち震えたのを覚えている。
そこで改めて、
自分のしていることは生半可なことではない、
演劇を観ていただく人たちの心に対する
責任を持たなければならない・・・
それを痛感した時でもあったのです。
今年9月、
その「母」を再演します。
劇団アドック創立10年。
演劇界でのこの歴史は、
継続を自慢する年数でもなければ、
公演体制も形成されず、
赤字続きで、常に風前のともし火状態である。
各地にある演劇鑑賞団体への働きかけも
相手にされず、文科省関連の助成金申請も
却下ばかり・・・
でも、細々とでも灯を絶やすまいと
地味~ぃに公演を継続して来た。
感想文の数点は先に掲載してきたが、
観劇後の感想文を書いていただいた方の思いが、
そのまま盛り込まれているとは思えない。
その一部だろうと思うとき、
行間にあるであろう記載者の心の部分を
どれだけ読み取れるかも問題であろう。
以前、若い劇団員が大劇団(?)の舞台を観にいき、
大粒の涙をためていた。
「どうした?」と聞いた。
「こんな舞台に、これだけのお客さんが来ていて、
うちの劇団は可哀そうですよ」
「うちでは¥3,000だし、こっちは¥6,500ですよ」
「皆さん、こんな芝居を観るなら、
うちの芝居を観てください」
と、立って叫びたくなったというのである。
「悔しくて悔しくて」
と声を上げんばかりに泣いていた。
「そうか・・・」
この言葉に、
彼に済まない思いでいっぱいだった。
ぼく自身、彼に悔しい思いを与えている一人だ。
営業は下手、どんぶり勘定ならぬザル勘定だ。
その彼は、
父が倒れ、家に呼び戻されて、
演劇を離れ今はいない。
稽古には往復3時間かけて来ていた。
「お笑いが好きで」
といってぼくに電話をくれ、
いつの間にか劇団活動にのめり込んだ。
最近は音沙汰もないが、
どうしているだろうか・・・
■普段は子どものことや家族のことを
考えていたつもりですが、
いつも靄がかかっているようで悶々としていました。
「母」をみてその答えに出会ったように思いました。
「親子」「家族」「夫婦」のありようを教えられた。
あしたから私の家族は変わるでしょう!感動でした!
■小林多喜二は名前しか知らなかった。
正しいことをして死んだことも知りませんでした。
心が広く真っ正直な母親だから
多喜二もそうだったのだと思います。
セキ役の人の声がとてもよかった。
「敵地に乗り込んでゆく」の気持ちが伝わってきた。
三浦さんの作品は知らなかったが名前は学校で
習ったような気がする。
学校では学べない大切なものを学んだように思います。



















