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演劇人生

今日を生きる!

きょう7日から「表現力講座」が始まりました。


港区のシルバー人材センター主催の

1クール3ヶ月のカルチャー教室です。


毎週金曜日15時から17時30分まで。

前回は3名でしたが4名になるか・・・

きょうは一人休みでした。


あまり人数が増えて欲しくはないが、

3ヶ月、1人¥10,000だから

痛し痒しといったところ・・・

本当は10人くらいは欲しいところ。


前回の研修者3名が「劇団まつり」に出演したことから

新しい世界が極端に拡がったようです。


「今度発表する作品を持ってきました」

3人とも準備万端整っていました。


テキストを作って持っていったこれまでと違い

積極性この上なし。


人は変わる!

改めて実感した初日でした。

20歳の自分に伝えたいこと ブログネタ:20歳の自分に伝えたいこと 参加中
本文はここから
ブログネタを利用するがタイムリーな
課題なので感謝して頂戴する。

三浦綾子さんの「母」は
小林多喜二の母、セキさんを描いた小説である。

小林多喜二は「蟹工船」の作者だが、
数年前、俄かに再浮上した名前でもある。

彼は20代の最後に警察に謀殺された。

劇団生活
 多喜二の亡骸を囲む同志たち(千田是也や佐多稲子がいる)
その息子を育て、
その死を乗り越えて生きた母のものがたりである。

ここで、20歳を迎えた多喜二を考えたい。

多喜二が20歳を迎えたのは小樽商高
(現在の小樽商大)の3年で、
絵画に興味を持っていたが伯父に画材を捨てられて後、
小説を書いて雑誌に投稿して入選するなど、
作家としての才能が開花してきた時期である。
           ◆
さて、ここから小生のはなしである。
ぼくの20歳は早稲田に通っていたが、
劇団生活
   J・P・サルトル作「悪魔と神」のゲッツ
   ジャン・コクトー作「オイデプース王」のオイデプース

劇団生活
  
父を殺害し母と結婚していたことを知り、
  両眼をえぐる出し放浪の旅に出るオイデプース
演劇ばかり していた。
その後、学連の政治運動に加わり、
演劇公演活動にデモに時間をとられ、
ついでに教室に行くという有様だった。

晩熟(おくて)だと、よく人に言われる。
この晩熟がぼくのそれからを操ることになった。
          
そこで、目の前の、20歳になるぼくに対して、
今にして、言いたいことを言ってみよう。
劇団生活
1.恋人や妻を徹底的に愛すること
  但し、愛しすぎないこと
2.あまり正直過ぎたり真面目すぎないこと
3.疑り深い女とは結婚しないこと
4.人がいいのはよしとしても、それに「バカ」が
  つくまでにはならないこと
5.人の綺麗ばかりを見て生きるな
  人は結局は性悪説に彩られているのを知れ

ぼくがこのように生きたならば、
少なからず今の状態は変わっていたろうと思う。

寂しい生活を送り、
こんな下らないことを書かずに済んだかも知れない。

タバコをすったのも20歳を過ぎてからで、
酒も同じでピュア(?)な青春時代だった。

今回は、ブログネタを出汁(だし)にして、
わたくしごとを書き連ねてしまった。
・・・しまったかなァ!

劇団の特徴はいろいろあるだろう。

ではアドックの特徴は何だろう・・・


先ず、稽古はいい加減だということ。

時間にルーズだということ。

短い稽古時間、長い無駄話。


「えッ、じゃあ何もいいところないじゃないか!」


「はい、すみません」


見る人によっては、これが三浦綾子さんを

取り上げてレパートリーにする劇団には見えないかも。


「稽古はこの辺で終わらせます」

で、始まるのは食事で~す。

賄いは三井さんがせっせと作って持ってきます。

ある時は、「きょうは時間がなかった」

といっては稲荷寿司やおにぎりの時も。

「三井さん、大変だから、もういいよ」

「わたしが好きなんだから」

・・・と、既に1年も続いている。

劇団生活
       のり巻き片手に「はいチーズ!」

「たまには他の料理を食べたい」

という劇団員まで現れて、

近くの中華料理屋やイタリアンへ・・・

劇団生活
           稽古場近くの中華で・・・

公演ごとの合宿は、

ついに「壁」では三井さんの自宅に宿泊、

 (写真左から2人目が三井さん)

近くの体育館を稽古場にした。

このときは猛暑の中、

冷房のない体育館で汗まみれ・・・

そのうちゲンナリして汗も出ないくらい・・・

「体力を補おう」と・・・3食3回のおやつ付。

結局、合宿終了時には全員3キロプラス!

地元の農家から大型スイカが毎日差し入れ。

劇団生活
   残念だが暑過ぎて写真に収めた形跡がない

きょうはソバリエ直々作るそばパーティ、

光綾の会のコッコさんが賄い支援のカレーライス、

あれやこれや・・・で合宿を打ち上げ!


今度の「母」では、

「もう太らない」

こんな話題が8ヶ月も前から話題になる。


確かに、今回は特に稽古不足は許されない。

・・・といっても、何処まで追い込めるか・・・

だが、

「こんな劇団でもいいかァ」

とも思う。


■来てよかったとしみじみ感じました。

心の底から感動しました。最高です!
終電車ぎりぎりですが、

どうしてもこれだけは伝えたいので書きました。


■皆さんの確かな演技に今日は「得」をした

満ち足りた思いで帰れます。

ありがとうございました。
久方ぶりに20年以上も前に亡くなった母

(勿論父も)を思い出しました。
「○○座の○○○○」さんよりすごい。

劇団アドック、知りませんでした。

今後注目します。

「母」初演の前に三園ゆう子は小樽へシナリオハンティング

http://www.ad-hoc.jp/gekidan/gallery_haha_hunt.html

若い人たちだけの劇団と違い、

20代から70代まで揃っている劇団です。

小劇団では珍しいかもしれません。

お客さんの年齢層も幅広く、

「壁」では19歳から92歳までの方々に

ご覧いただきました。


「母」の再演の時の最長齢は96歳でした。


劇団では、常に若い人を欲しがっています。

しっかりした演劇人として育つ

若い俳優や女優の不足で、

客演者としてオーディション等で外部に

求めざるを得ないからです。


このオーディションでは、

その役者に求める内容には限界があります。


この作品をつくるためだけの付き合いになります。

劇団の目的までを共有するわけにはいきません。


それを強要することはできないからです。


ところで以前、若い劇団員を、

「おい、○○」と、

いわゆる呼び捨てにする年配劇団員がいました。

あえて注意しませんでしたが、

せめて「くん」付けか「さん」付けにして欲しいと思う。

何か足りない関係に思えてならない。

劇団生活 さとうみちこ画
   たとえばコレが足りないような・・・

その年配劇団員は退団したので今は大丈夫だが、

思い出すのは宇野重吉さん・・・

あれだけの大物でありながら、

名前を呼び捨てにされたことがありませんでした。

劇団生活
    NHKの画像から拝借しました

「伊藤くん」か「豪くん」と呼ばれていました。

呼び捨てにされてもおかしくない人物に、

「さん」付けで呼ばれれば、

無意識にも、

それに相応しい人物になろうという思いが

働くような気がします。


ま、その如何にかかわらず、

人間関係を成り立たせる上からも、潤滑油としても、

「さん」や「くん」は付け合う方がいいように思います。

劇団生活
   お祭りでの紙芝居(明治神宮)

以前、子どもたちを前に紙芝居や演劇をしたが、

このような席を考えれば一層、それが望まれます。


■若いお客さん

三浦綾子という人は

教科書に名前が出ていたと思います。

「母」を見て、

本当にいた人のことを演劇にしたのを知りました。

多喜二は「蟹工船」を書いた人だと知っていました。

こういう人だったんだ。
やっぱりお母さんもすごい人だったと思います。

ぼくは高校生になってから

母とほとんど口はききません。
父とは顔もあわせません。

これはいけないことだと思いました。

なるべく話をしたいと思いました。
今日から絶対自分を変えます。

父や母にも見せたい演劇です。


■年配のお客さん
登場人物ひとりひとりの表現に、

演出の意図したものだと思うが、

微妙なニュアンスが表れていて、

若い俳優もいまどき珍しい重厚な演技を見せる

ものだと感心した。

しかしまだまだ消化不足の面も目立つ。
一番前で見ていたので

一層強く目に付いたのかも知れない。

これを2、30回やれば違って来るだろうと思った。
母を演じた人のレベルで出演者を揃えたら、

今の日本を代表する作品になると思う。

ちょっともったいない思いだった。
でもこれだけの芝居をやる劇団があるのを知り、

新劇界も捨てたものではないと感じた。

天童市立中学四校での

「演劇鑑賞教室」

すでにこのブログに、その数編を紹介しましたが、

劇団のホームページにも掲載してあります。

http://www.ad-hoc.jp/gekidan/gallery_haha_ks.html

ここでは、その公演でのエピソードの一つを

紹介します。


三浦綾子作「母」の公演では、

その公演先で、少なくても10名の地元の人々に

出演して頂きます。


天童公演では、賛美歌を歌う場面があることから、

天童教会に集う人々に出演していただきました。

劇団生活
        10名を越える市民が協力出演

この中に、「母」のセキさんと同姓同名の

小林セキさんという方がいました。


80歳を越え、数週間前に退院したばかりで、

家族から「やめた方がいい」と止められたそうです。

しかし、「こんな機会だから出演したい」と

2ステージに参加していただきました。


虐殺された小林多喜二の弔問客の役で、

踏み込んだ憲兵や特高に検束される場面もあります。

「大丈夫です」と気丈夫さを示して、

しっかりとお芝居をしてもらいました。


公演前日、「これは私が縫ったものです」と、

セキ役の三園さんに絽の着物をプレゼントしたいと

わざわざ楽屋に持ってきてくれました。


三園さんは「これを舞台で着せて貰いいたい」と、

本番の舞台でそれを着てセキを演じたのです。


小林セキさんには

舞台袖からそれを見ていました。

「私があそこにいるような気持ちになる」

声を殺して泣いていました。


その数ヵ月後、

小林セキさん逝去の知らせをいただきました。


劇団から送った寄せ書きを病室に飾り、

見舞いに来た人々に、

「私も女優として出演したんだよ」

と嬉しそうに語っていたそうです。


天童公演で女優になった小林セキさんと

多喜二の母小林セキさんは天国の何処かで

きっと出会ったに違いありません。

劇団生活
   この写真では・・・

そこで、どんな話が交わされたかわかりませんが、

今年9月の「母」の公演には、

きっと観に来ていただけるような気がしてなりません。


どうぞ!

「もちろんご招待します。大歓迎ですよ~ッ!」


演劇公演をしていると、

思いがけないことに出会います。

そのずべては、私たちの尊い財産です。


このブログを通して、

その中の幾つかを紹介していきます。