演劇人生 -71ページ目

演劇人生

今日を生きる!

友人から送られてきた励ましのメール。


息子さんの動画です。


大きくなりましたね。

それだけに、舞もしっかりしてきたように思います。


拝見するたびに思います。

彼の中に宿っているものは何だろう・・・と。


少しも見せない懸命さの中に、ある気迫(=鬼迫)を感じます。

素晴らしいです。

http://www.youtube.com/watch?v=cJv0-pjkWO0&feature=channel_video_title


ありがとうございます。

「大丈夫ですか?」

小林多喜二の母の物語です
「プラさん、大丈夫です」

「本当かい?」

小林多喜二の母の物語です
「ルナさん、大丈夫!」

「大丈夫?」

小林多喜二の母の物語です
「ゴーリちゃん、大丈夫だ!」

「ほ~んとかい?」

小林多喜二の母の物語です
「Oh、フィデ兄ィ、大丈夫だって!」

「ほんとう~ッ?」

小林多喜二の母の物語です
「サルちゃん、本当だよ!」


ぼくは、大丈夫だ。

私は親の死に目に会っていない。


8月11日に亡くなった義弟は昏睡状態のまま他界した。


家族が集まったものの、

死に目にはあったかも知れないが、

「あとを宜しく頼む」

とかの何も聞いていない。

寸前まで聞こえていたのは、

彼の鼾だけだった。


生前から言葉少ない人だった。

若い頃、彼の方から声をかけられた。

「お兄さん・・・」

妹からは「お兄ちゃん」と呼ばれることはあったが、

他人からは初めてだった。

高崎線の列車の中だった。

「どうぞ!」

とすすめられたのはハイライト(タバコ)だった。

「妹さんに付き合って欲しいと言っていいでしょうか」


思い返せば、

相当の覚悟を決めてのことだったに違いない。

「ぼくはいいけれど、後のことは本人の問題だから」

と答えたのを覚えている。


そのことを思い出すと、

ぼくは、彼の死に目にあったような気持ちになってくるのだ。


その彼は妹と結婚した。

幸せだったかどうかは知らない。

が、ぼくには「幸せだった」と言ってくれたように思っている。


彼の死に顔を見た。

たたえられた表情の中に、

それはあった。


花をいっぱい飾って、

「昭夫ちゃん、よく頑張ったね」

と、何度も声をかけた。


死に目にあうとは、

このことかもしれないと、

父と母のときに気付かなかったことを、

義弟の昭夫を通して教えられたように思う。


・・・とすれば、

やはり、生きている今・・・

いい生き方をしなければと、

しみじみ思う。

義弟が世を去った。


ことばがなかった。


命とは、生きるもの。


このことを実感した。


妻に愛され、


子に愛され、


彼の命は、


愛したものの中に生きている。


そうして生きた彼の人生に“乾杯”したい。


生前も、死後も、


命とは“生きるもの”。


堀口昭夫 71歳。


いくつかの節目を生きてきて、


いま、また新たな節目の、


その先を生きようとしている。


8.11・・・


ぼくの中で、


9.11マチネーの「母」公演を君に捧げよう。

昨日池袋からバスで数分、

知人の劇団の稽古を見る機会があった。


薄暗くてちっぽけな稽古場だが、

自分たちの持ち物だそうで、

荷物もびっしり・・・有効利用というのだろうか?


高い天井なので、

周囲においてある道具類を天井に吊るせば?

と提案したが、怖いという。


稽古が始まった。

みんな下手糞だ。

声を出せばいいというわけでもないだろう?


「出さないよりはいい」

という。


あっちへドタドタ、こっちへドタドタ・・・

「何だ、あれは?」

と聞いた。


「まぁ、動かないよりいいと思うよ」

という。


かと思えば、

1分も沈黙している。


「考えているんだ」

という。


しゃべっていても考えられるよ。


「それもあるな」

という。


ところが、理由は分からないが面白い。

「下手糞だけれど面白いな」


「それでいいんだよ」


「これ、いつ演るの?」


「来年1月」


だそうだ。


出演者全員が目を皿のようにして、

他の役者の演じることに喰らいついている。


我輩は反省した。

我が劇団の稽古は・・・だらけているといった。


他と比較は出来ないにしても、

こっちは生きている。


比して、うちの稽古は・・・

つい湧いて出る思いを抑えきれなかった。