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演劇人生

今日を生きる!

Amebaがあなたの願い事を叶えます【星に願いをキャンペーン7/7まで】 ブログネタ:Amebaがあなたの願い事を叶えます【星に願いをキャンペーン7/7まで】 参加中
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先ず、ステキな企画に驚いています。

・・・でも、星に願いをだよ。

お前の年で「あゝ、そうですかもないだろう?」

と言われそうだが、人が願いを忘れたらおしまいだよ・・・

そんな心のつぶやきを大事にして、年甲斐もない願い事を書いてみようじゃないか。


わたしには50年も温め続けている夢があります。

勿論「夢」ですから、

叶うか叶わないかの問題ではありません。

叶えたいことです。

これまで沢山のお芝居をしてきました。

劇団民藝という劇団にいた頃は知名度もあり、有名(?)な俳優や女優さんもいましたから赤字を抱えることはなかったようです。

「昔は大赤字もくったし苦労したんだよ」と言われそうだが、

少なくても私のいた頃は出演料の支払いも滞りなくありました。


ところが、そこを離れて立ち上げた今の劇団で、利益を上げた公演は一度もありません。

出演料は売り上げたチケットからのパーセント払いが精いっぱいです。

この11月13日(金)~15日(日)に芥川龍之介作「雛」を上演します。

この公演が黒字になりますように・・・

これは願い事ではありません。

私たちの努力目標です。


キラキラ星空キラキラそこでテーマに入りますキラキラ星空キラキラ

願い事を叶えて上げようという人たちにこの公演を観劇して欲しいのです。

そして若しも、観劇した人たちの心に99%突き刺さるものがあり、

「これなら、ここで終わらせるのは勿体ない」

という評価が揃いましたら、

「こんな方法はどうだろう・・・」

と次の方法を一緒に考えていただきたいのです。



感動しなかったよという評価が一つでもあれば、チョンでお終い。


そんなささやかな願いでいいの? なんておっしゃらないでください。

この願いに到達するか否かはわたしたちの努力如何にあります。




織姫と牽牛の星座を考えて、

感動を紡ぐ演劇を通して、お互いに豊かな心を実らせることが出来れば・・・

この思いを込めて「夢ビックリマーク長々と書きました。



星に願いをキャンペーン7/7までに投稿しよう

Amebaがあなたの願い事を叶えます【星に願いをキャンペーン7/7まで】

日本に初めて新幹線が走った頃のことを知っている人は少ないでしょうね。

私はその頃、ある劇団に所属していました。

「おい、新幹線なんて人間を忙しくさせるだけだよ」

なんて言い合ったものでした。


・・・こんな話をするのにはわけがあります。

~なんてことを言うと長ったらしいことになりますので、

今回は、何を言いたいかだけにしましょう。


新幹線のスピードを表現する標語に、

「線路内に入らないですださい」

「あっという間に列車は近づきます」

というものがあったように記憶しています。

この、アッという間に・・・という言葉に、

上手い表現だと思ったものでした。


最近車の事故が多発していますが、

人間、歩いていても行き交う人をよけられずにぶつかることがあります。

ということは、その何十倍のスピードで行き交うわけですから、

人の感覚をはるかに超える速さです。

車に乗る時は「事故ってあたりまえ」という感覚でなければおかしいはずなのですが、こういった危険なことに限って「安全運転」などといわれます。

だいたい「安全」と名のつくもののほとんどは「危険」なものと判断した方がいいように思います。

日本の安全のために・・・とか、

国民の安全のために・・・とか、

安全の背景には「危険」があることを見逃さない必要を感じます。

充分な兵器があるから安全を守れるとか・・・

兵器自体が危険なものでしょう?


アメリカの核に守られて安全を保っている?

核兵器が安全と結びつく論理はあり得ないと思います。


アッという間にと言われた新幹線の列車は、

大きな事故なく今日まで運行されています。

それに引きかえ、じわじわと押し寄せる戦争国家への道・・・

これは怖くて恐ろしいものです。

私たちはその到達点を70数年前に経験しているのですが、

遠くなってしまった太平洋戦争の感が否めません。


アッという間に近づくものには敏感になれても、

じわじわと近づくものの怖さ、恐ろしさには気づきにくい気がします。


そういえば、東京に初めて地下鉄が走った時、

「人間、モグラじゃねェ!」

と人気が薄かったそうですが、

そこで考えられた標語が、

「夏涼しくて冬暖かな地下鉄に乗ろう」

だったそうです。

当時は冷暖房機のなかった時代。

それが今では冷房機がない地下鉄なんて考えられません。


この諸々を考えると、

人は何処へ行くんだろうとしみじみ考えさせられます。

婚活 妊活 就活 終活とか・・・

朝活とか、離婚には離活?

これらの造語の始まりは就職活動じゃないかと思う。

離活に至っては無理やりくっつけた感じがする。


終活・・・人間死ぬまで何かに追いまくられる感じがする。

自分の力で生活をすることを自活というが、

終活なんて言わずに自活に似た名称が欲しい気がする。


老化は環境に左右される。


赤いちゃんちゃんこを来て赤ん坊に還る還暦なる儀式があるが、

余りにも戻り過ぎじゃないか?

せいぜい40代くらいなら真実味がないわけでもない。


8~90歳の人に40代くらいの自分をイメージさせ、

日々の生活を送らせる。

その変化を実験したデータがあるそうである。

表情が豊かになり、

会話も多くなり、

行動範囲が広がったそうだ。

更に、皮膚の張りや声のトーンも違ってくるというのだ。


就活はいいとして、終活は頂けない。

還活とか・・・もう少し工夫しようじゃないですか。

友人に電話した。

「もしもし・・・」

「どちら様か存じませんが・・・」

かすれ声で息切れ切れの返事が返ってきた。

「大丈夫か?」

「すみません。どちら様で?」

こんな丁寧な問いかけを、この友人からされたことがない。

「おれだよ、豪」

「は?・・・ごうさまですか」

「豪さまはないだろう、豪だよ」

「番号違いかもしれません。かけ直してください」

「03の・・・」

「違います。すみません」


切れた。


ショックで呆然とした数分をすごした。

行ってみたほうがいいかもしれない。

それでもわかってもらえなければ諦めよう。


今日は休みだから・・・

クリーニングも明日にして・・・


以前芝居をともに創った友人の何人かがこの世を去った。

彼らがなくなる前に、

その何人かと、偶然だろうか近所でバッタリ会った。

ОさんとはTBS近くの路上だった。

「ごうちゃん、久しぶり!」

「あ、本当にお久しぶり」と返すと、

「変わらないね」

と言ってくれた。

同じように返そうと思ったが、彼はテレビでも白髪は染めないままだったが、そのときも真っ白に見える白髪を風になびかせていた。

「Oさんも変わらないなぁ」

「あっはっはっは・・・」

変わったよと笑いに中で言っていた。

それから数ヵ月後、彼は他界した。


かつての友人を忘却の彼方へ消し去っても生きているのがいいのか、懐かしい想い出を共有し合える関係のままポックリ逝ってしまう方がいいか・・・

そんな思いを抱いて、これから彼を訪ねてみようと思う。


「おい、どうした?」

が、最初の挨拶かなァ・・・


今帰ってきた。

彼は留守だった。

何らかの情報を探して近くの商店で聞いて歩いたが、

何も得られなかった。

老後について考えることある? ブログネタ:老後について考えることある? 参加中

私はない 派!

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いま私は老後の真っ最中にあります。

「え、老後って幾つから?」

これは人によって違います。


その真っ最中にある者が言っているのですから、こんなに確かなことはありません。


同年齢の友人に電話しました。

「石森(仮名)、おれだ」

「おれってどなたですか?」

「伊藤だよ」

「伊藤・・・さん? どちらの伊藤さんですか?」

「どちらのって、豪だよ」

「すみません、番号を間違えてませんか?」

「石森だろう?おれだよ豪だよ豪」

「ですから、申し訳ありませんが電話間違ってます」

そして「もう一回確かめて下さい」

と、切られてしまった。

「え、まさかボケてしまったのではあるまいか」

そう思ったとたん愕然とした。

親友である。

同じ役者として切磋琢磨してきた、

役者として尊敬もし、気がおけず、何でも話し合えた。

「もう一回、電話してみよう」

芝居をしていたろうというと「うん」という返事が返ってきた。

「この前、うちの劇団手伝ってくれた」

「劇団・・・知らないなァ」

やはり人違いだというのである。

一度、会いに行こうと思う。

関西や近畿への旅公演では、行き先で色々なところへ二人でまわった。

「昼飯を食おう」

というと、「おれは梅干しと日本酒でいい」

こんな生活を重ねたせいでボケたのかもしれない・・・

などという考えが頭に浮かぶ。

そういえば、彼も私も老後のことなど一切考えなかったかもしれない。


預金も財産も同居者もいない。

だが孤独を感じたことは一度もない。

誰も一緒に居ないけれども演劇だけは寄り添って生きてくれている・・・

そんな思いでこれまでやってきたのだ。

一心同体かもしれないと思ってきた。


だが友人のボケや自分の足腰の衰えを考えると、

「待てよ」

と思うことがある。

やはり若いうちから「老後」をイメージしておくべきだった・・・のか?

その反面、「いいじゃないか。人生、なるようになる」

とも思う。

考えてみれば吾輩、老後のことをあれこれ考えていたら、

お芝居なんてとっくの昔に捨てていたかもしれない。

老後真っ最中の私がいうのだから・・・

いま、私は幸せだ。

やりたいことがあり、

いい人たちに囲まれているのだから。


とはいうものの、他の人にすすめられるかというと・・・

おすすめは出来ない。


日本という国は、決してお年寄りに優しい国とは言えないから。