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演劇人生

今日を生きる!

去る15日に芥川龍之介作「雛」を打ち上げました。
たった5回の公演でしたが思いのほかの疲労に襲われ、
10日も過ぎてからのお礼の挨拶になりました。
ご観劇いただいたみなさん、応援して下さったみなさん、
ほんとうにありがとうございました。

...

入場者数は350名(会場は850以上のキャパ)ですから、
収容人数の半数にも満たない状態ですが、
季節柄厚着の人々が多く周辺の椅子にコートなどをおいて頂いたので、
かなり埋まっている風に見えました。

幕開きから演奏に入る薩摩琵琶はみなさんの心を鷲掴みにしたようで、
アンケートの大半に琵琶の音の素晴らしさが書かれていました。

稽古日数は長期間取りましたがお芝居の出来は山麓にあり・・・
見上げる山は高かったというのが実感ですね。
でも、今のアドックにはこれが精いっぱい。
劇団の構成人数が余りにも少なすぎる。
来年は3月までに20名にはしたいと考えています。
俳優に限らず、演出や作家も美術、音楽、舞踊等々・・・
あらゆるジャンルの人たちが集まって欲しいと願っていますが、
「アドックという劇団は難しい」と言われて寄ってくれないようだ。
確かに今回も足の踏み出しから呼吸の一、二まで注文した。
「右足から出るわけない」とか「息を吸った?」まで・・・
それでも出来は山麓どまりなのであるからしたかがない。
目線がどこに行っているのか、なぜ立つのか歩くのか・・・
芝居は難しい。

今回は明治だった。来年は戦国時代に飛ぶ。(予定だ)
さて劇団アドックはどうなるか・・・
来年で決まりそうな気がする。

今回はお芝居の後にお茶と菓子を出して茶会を開いたが、
次回は芝居自体が長くなりそうで・・・無理かと思う。
みなさん、芝居って難しいけれど素晴らしいものです。
些かでも興味をお持ちでしたらいらっしゃいませんか?
一緒に戦国時代に旅をしましょう!!

13日から15日まで

六本木の麻布区民センターで

芥川龍之介原作「雛」を上演していました。

改めて記事を掲載させていただきます。



財布落としたことある? ブログネタ:財布落としたことある? 参加中

私はある 派!

本文はここから
 

拝啓 お財布様


「ねぇ、その財布買い変えたら?」

数人の友人に同じことを言われた。

が・・・変えない。

財布のまわりは擦り切れて数本のかがり糸が薄毛のあんちゃんの髭のようにチョロチョロ出ている。


「この財布は僕と人生を共にする」

これは私と財布との約束事である。


何故、こんなにこの財布にこだわるかと申さば、

六本木の交差点で一度、

芋洗い坂下で一度、

東京ミッドタウン近辺で一度、

それぞれズボンのポケットに入れておいて落とした財布なのである。


自転車に乗っていて落としたのだが、

気付いたのは数時間は経った後てある。

一度は全く気付かずにいて、

警察署からの電話で知った。


上二件は、

「今でしたら六本木の交番に保管してあります」

届け主は名乗らなかったというのである。

「いい人ですね」

「内容を確かめてください」

「あれッ・・・千円多いですよ。さっき弁当を買ったので・・・」

「多くなってるんですか?」

「はい、間違いなく千円多くなってます」

「でも、届けてくれた人の情報はありませんし、いいじゃないですか。少なくなってるのと違うし」

「中身が少ないのでめぐんでくれたんでしょう?」

メモをとっていた若い警察官が言う。

「おい失礼だろう、そりゃ」

「いえ、若しかしたらそうかもしれないですね」

こんなやり取りで、この時は終わった。

「今後、気を付けて下さいね」

「はい」


その時は財布の話は一切出さなかった。

20年以上も使い続けている財布なのだ。


このテーマブログに接して、

我が古財布への感謝の一文を作成させてもらい

一種、敬意すら憶えるお財布さまに厚く御礼を申し上げる機会をいただきました。

アメーバブログ「ねたブロ」ご担当者にも併せてお礼を申し上げる次第であります。


財布落としたことある?
  • ある
  • ない

気になる投票結果は!?

芥川龍之介作「雛」の稽古2日目を昨日終えた。


お盆の時期であり欠席者もあったが、
読み合わせた。


わたしたち演劇人は言葉や音に敏感でなければならない。...

仕事を済ませ家に帰ると、暗い空にヘリの音が聞こえる。
マンションの下で行き交った人は「またやってるな」と呟いていた。

このヘリの音を耳にしたみんな(「雛」出演者)は何を感じるだろうか。
そんなことを思ったのは一昨日である。

そして昨日稽古場に行った。

読み合わせを聞いた。
そこでも感じたのは、
セリフの前に言葉があり、
言葉の前に音があったということだ。


例えば、「暑い」という言葉の中に、
「寒い」とは異なる「暑さ」を感じる音があるということだ。
安保法案を持ち出すのも何だが、
「危険」「安全」を比較しても、
あぶないという音とあんぜんという音の違いだ。

私は時折「わたし」は自分のことをいい、
「あなた」は相手のことをいう・・・
このような言葉を考えた人ってどんな感性を持っていたのか・・・
それを演劇人として想像する。
お芝居の読み合わせなどをしていると、

この言葉の数々を創り出した人の偉大さをしみじみと感じてしまうのだ。


飲み過ぎた思い出 ブログネタ:飲み過ぎた思い出 参加中
本文はここから


「おい、本気でこんなブログネタ書く気か?」

心の何処かに棲みついているいる羞恥心という生き物が呟いた。

「もう時効だろうし、いいんじゃないか?」

吾輩が答えた。

「そうか・・・年も年だし、かかわった人物が読むわけでもないだろうから、いいとするかァ」

羞恥心のヤツがそういってそっぽを向いた。


あれは岐阜県の地方にある町でした。

毎年のようにお芝居の研修で招待されて行く恒例行事でもありました。

二日間は地元の劇団の稽古を見て徹底指導をする。

最後の一日は地元の高校で一時間の講演をする。


その二日目。

稽古を観た後、

劇団のみんなと食事をすることになり寿司屋に行った。

「きょうは特別美味しい日本酒があるんですよ」

・・・と出され、加減をすればいいものを、

「美味しい」「どうぞもう一杯」と盃を重ね二三合はいったかも知れない。

寿司も食べ終わった頃に、

「先日フランスへ行った時のお土産」

と、高級ブランデーを抱えてきた劇団員がいた。

「さあどうぞ!」

「美味しいね」

で飲んだのか飲まなかったのか、

この辺から意識が定かではない。

「ごちそうさま~ァ!」と言ったろうと思う。


この後はまったくの推測である。

気分として、両脇を支えてくれていたのは女優さん二人・・・だったと思う。

・・・で、

朝、旅館でふと目を覚ますと、

わたしの両脇には女優さんが添い寝している。

「あれ~ッ」

ちゃんと下着姿になって、川に字の真ん中で寝ていたのです。

「起きた?」

両脇の女性も目を覚ましてニヤリとした笑顔を向ける。

「あれ、二人とも昨日から?」

「そうよ」

「すごかったわよ」

「え、ぼくが何を?」

「何をって、イビキがすごかった」

「イビキか・・・よかった」

「よかったのはそれだけじゃないわよ!」

「他にって何?」

「何もしてこなかった」


このような会話を交わして洗面所へ行くと旅館の女将が顔をだし、

「伊藤さん、見損なったわ。女の人を自分の布団に誘うなんて最低ね」

と、ピシャリ。

「すみません」を何度か繰り返し、

味のない朝食をそそくさと済ませた。


で、午前十時から地元の高等学校で講演会。

旅館に迎えに来たタクシーに乗ろうとすると、

ガ~ンガ~ンと頭が割れるように痛い。

学校に着くと、昨日一緒に飲んでいた先生はシャンとしている。

「先生、昨日飲み過ぎて二日酔いです」

と打ち明けた。

一歩足を進めるとガ~ンと頭をぶん殴られたように顔をしかめながら最前列のた椅子に座る。

「これから講演をしていただく先生を紹介します」

というので立ち上がったが顔をしかめるほどの頭痛が襲う。

「実は、伊藤先生は酒が弱くて、夕べ私がすすめた酒を残しちゃいけないと、注がれるままにグイグイ飲んじゃっいました。そのおかげで今日は酷い二日酔いになっています。と、いうわけで、途中で具合が悪くなる可能性もありますから、その時は直ちに講演を中断します」

生徒たちは手を打って喜び、何もしゃべっていないのに大きな拍手だ。

壇上に招かれたが、階段を上るのもままならない。、

必死の数分が過ぎた頃、

「この辺で講演は終わりましょう」

と、先生が助けに入ってくれた。

何をどのくらい話したのか憶えていない。

ただ、あの頭痛だけはいまだに記憶に残っている。

そして思い出すたびに顏をしかめてしまう。


それ以後、私は酒は極力飲まない。

ぜいぜいが乾杯の一杯だけにしている。


わが劇団の風潮として「食べる劇団」で飲み会はめったにやらない。


飲み過ぎに注意しましょう!!