ことばって何ですか?
稽古で、私は「音」ですといった。
ある劇団員は、「そら来た」という顔をし、
客演者のほとんどは、「何だ?」と訝しげな表情をした。
ちょっといい足りなかったかもしれないが、
音なのである。
付け足せば具体的な音なのである。
「きょうはカラッとしていて過ごし易い日ですね」
というのと、
「今日はジメジメして蒸し暑い日ですね」
を同じ音では言わない。
すなわち、言語の前に音が存在しなければならないのだ。
私は、音は目の前に、
粒々になっているか綿飴のようにふんわりと浮かんでいるか知らないが、
浮かんでいるように思えてならない。
「カラッと」しているを「ジメッと」っとしているようには言わない。
「かっらっと」した音をいやが上にも使わざるを得ないのです。
それは生活の中で、口を開く人が感じとります。
その音は感じとり方で変わります。
「どう感じたか」であり「であるからどうなのか」である。
「明るい」という言葉を声にすると、その言葉自体に「明るさ」があり、
「暗い」を「明るい」と同じ音で言おうとしても音の組み合わせ自体が違う。
「いいなぁ」が、あいうえおのどの音を使っているか
気持ちを伝える手段だとか、
コミュニケーションの道具であるとか、
際立つものでは、生きるために必要なものなどというかもしれないが、
ドレミファソラシドのどの音かは、
内容や気分等の条件による違いがあり、
先ず、どの音を選択するかという感性によるものだと私は思う。
いささか関連する話をもう一つ。
最近は言葉の記号(暗号?)化や省略化が進んでいる。
その上、抽象化してきている。
特に名称の、これを記号化というかは別として、
TPPだの、OECDだの・・・がある。
意味が分かれば、それなりに味のあるネーミングなのかもしれない。
が歌舞伎などで、
「問われて名乗るもおこがましいが、生まれは遠州浜松在、
十四の時から親に放れ・・・」とか、
「江の島の 岩本院の稚児あがり、普段着慣れし振袖から・・・」とか、
その最後に、前者は、大泥棒の日本駄右衛門で結び、
後者は、弁天小僧菊之助で結ぶのである。
この弁天小僧はまた、
浜松屋では、
「知らざぁ言って聞かせやしょう。
濱の真砂と五右衛門が、唄に残せし盗人の~」
と長啖呵を七五調できる。
言いたいことは、
最後に来る自分の名前、
「弁天小僧菊野助たぁ俺のことだァ」なのである。
この頃の、自己紹介というとボソボソと自分の名前さえ言えばいいうような、
あるいは「えッ、もう一度」と聞き直さなければならない名乗りではない。
ここまで引っ張らないでも、せっかく演劇をしているとすれば、
もっと考えて、名前一つ言うにも味が欲しい気がする。
役者なら、
「ここからあそこまで歩いてみて」
と言われて、スラ~ッと歩き終わるのも面白くない。
途端に蜥蜴になってみるとか、兎になって歩くのも面白い。
言いたいことは、
もっともっと自分を味わってみてはどうだろうかということなのである。