演劇人生 -38ページ目

演劇人生

今日を生きる!

ちょい役
セリフが僅かだったりすると、
「ちょい役」などと言う役者がいる。
どこの世界にも、「ちょい役」なんて人はない。
舞台を横切るだけの役であっても、
その裏側には、その人が生きる70年だか80年だかの人生がかくれているのだ。
70~80年の役の数秒を見せているのだ。

新境地開拓!
考えてみれば、役者にとって、これほど難しい役はないのかも・・・
「ちょい役」発言の役者さんよ・・・
この世界のチョイ役者にだけは、ならないようにした方がいい。

「秋ねェ!」

ここはビルの谷間だ。

「えッ、何処に秋が?」

「この香り・・・」

もう金木犀の香りが漂う秋なのである。


新境地開拓!
常に、

さまざまな感動とともにある・・・

こんな役者であって欲しい。

「奴は、そういうタマだよ」

こんな言葉がある。

そういうタマ・・・味わい深い言葉だ。

役者も、この「タマ」でいい。



関西系の警察では、

ホシ(犯人)のことをタマという話を聞いた。



役者が何かを演じるときは、

タマじゃなくてはならない。

役者は役者であればいい。


こんな当たり前のことが難しい。

いない。なかなかいない。


マグロはブツがいい。

おにぎりは味噌にぎりかなァ・・・

仏像は円空仏がいい。

あれは、仏像そのものだ。


新境地開拓!
鉈で仏像を木から生み出したまんまだ。

仏像以外ではない。

この荒削りの仏像の中から、

しなやかさも柔らかさも優しささえにじみ出てくる。

これが仏像だ。


役者も・・・

そんな役者がいい。


「ワークショップをやってます」

「専門学校に通っています」

タレント養成所に・・・声優学校に・・・

俳優の勉強場所として選ぶところはたくさんあるようだ。


俳優の勉強って何だろうか。

発声訓練やダンスレッスン、

殺陣やフェンシングなどのレッスンだろうか。

他に、身体訓練としての運動・・・

だが、演劇の歴史や映画・テレビの歴史、

演技の理論形成を入れる場合もある。

スタニスラフスキーのシステムや、

リー・ストラスバーグのメソッドなど、

身体訓練とあわせて理論を学ぶ方法もある。

ぼくは劇団の俳優教室に入った。

「こんな勉強しても舞台に立っても役には立たないよ」

「俺たちは俳優の勉強をしに来ているのに・・・」

等と不平不満がささやかれていた。

講座の内容は、

木下順二氏の「戯曲論」、南博氏の「心理学」、

浜村米蔵氏の「演劇史」、野口三千代氏の「体操」

増井何某氏の「発声訓練」、何某氏の「社会科学」などであった。

一日8時間の座学だった。


大劇団である。

無駄なことをやらせるわけはない。

これぞ正統派の俳優教室だと思っていた。


ある日、教室の校長、宇野重吉氏は、

これは俳優の勉強じゃない。

この授業から何を学ぶかじゃなくて、

この授業を受けて、何を学ぶかを見つけることだと言う。

つまり、これを勉強すれば俳優になれるなどいうような、

特効薬はないということだった。


うちは大劇団とは程遠いちっぽけな集団だが、

私の演出は、この宇野さんの教えを活かしているつもりだ。

稽古場も、質的には養成所と同じだ。

稽古ですべてを学ぶなんてできるわけがない。

稽古を通して感じたことで、何を学ぶかに気づくことだろう。

周囲を見渡すと、タレント養成所だのが乱立している。

あこぎなところも多いらしいが、

将来のあるチャレンジャーからボったくる等、

彼らを金儲けのターゲットにはして欲しくない。