※転載
稽古って何だ?
民藝在籍中だからずいぶん前の話になる。
カミュの「正義の人々」という作品の稽古初日、
一度読み合わせの後、
「君はこの芝居やる気があるの?」
と演出(宇野重吉先生)に聞かれた。
「は?」
「やるきがあるかって聞いているんだよ」
途端に稽古場にいるみんなの視線が突き刺さる。
「はい。勿論あります」
「じゃ、もう一回読んでみろ」
演出助手は即座に反応する。
「では××ページの最初から行きます。よ~いッ・・・・」(パチンッと手が鳴る)
ぼくも必死で読んだ。
再度パチンッ!と手が鳴った。
「それでか?」
「はい」
途端に大声がとんだ。
「何処にやる気があるッ!」
ぼくもカ~ッっときて、
「今日は稽古の初日です。初日まで一ヶ月あります」
横に座っていた誰だったか忘れたが、
ぼくのわき腹を突っついて、
小さな声で、「やめろ」と言う。
宇野先生は黙ったまま立ち上がった。
「だったら明日の稽古は今日よりよくなるんだな」
「はい」
「今日は稽古終わり」
稽古場を出て行ってしまった。
「・・・・・」
「お前なァ、ああいう時は、
“はい”と言うか黙っているかのどっちかでいいんだよ」
誰かが受け方の奥の手を教えてくれた。
他のみんなは冷たい顔をして無言だった。
翌日、
「昨日と何処が変わった?」
と言われて、
「君のセリフは全部カット。セリフを全部笑いで表現しろ」
とんでもないことになった。
テロリストの実行犯が投獄された牢番の役である。
「どうだ住み心地は?」
「おい何か言え」
等々を全部笑いにするなんて、
「おれだって無理だよ」
ここに来て先輩達にも同情された。
バスに乗っても電車の中でも、
家に帰って食事をしている最中も、
「ただ今」
「腹減った」
「風呂はいる」
「行って来ます」
「美味い」
「寝る」
も、すべてを笑いでやった。
さすがに外食先での注文までは出来なかったが、
口にしたい言葉の全てを笑いに変えようと努力した。
「何だ、その笑いは」
ただ笑っているだけじゃないかと何度も言われたし、
「違う」の連続だった。
・・・が、初日を迎えて数日後、
「牢番を演じた伊藤は笑いだけでセリフを表現していたが、
面白い味を出していた」
と新聞評が載っていた。
それを見て、
宇野さんが初日から何故あそこまでぼくのセリにこだわったのか、
合点がいった思いがした(・・・多分に牽強付会かもしれないが)。
最初から、牢番のセリフを笑いにしたかったのではないか。
(セリフ自体が気に入らなかったのかもしれない)
だとすれば、何を言われても、
ぼくは「はい」のひと言でよかったのかもしれない・・・と思った。
稽古場にいた他の連中は、
ただ演出に逆らうような言動にストップをかけたのだろうが、
演出は先の先を考えてダメ出しをしていたのではあるまいか・・・
それに対して、ぼくが予期せぬ言葉を返したので、
予定がまるで変わり、感情的になったのではなかったろうか・・・
こんなことを考えたのだった。
先日「雛」の稽古を始めて、
このようなことを今更ながら思い出したのは、
演出として、作品全体のイメージや役のイメージを、
出演者達に何処まで共有を求められるか・・・・
稽古初日から難しい選択にぶつかっているからである。