演劇人生 -165ページ目
昨日の稽古で感じたことがある。
今は読み合せをしているのだが、
セリフとは何か・・・を考えたい。
とくに今度の作品は、
死刑囚である誠という青年の
モノロ-グが劇の大半を占めている。
誠を演じる俳優(関根秀直)の肩に
重い荷を負わせるものになっている。
さて感じたこととは、
「ぼくは旦那さんを殺してはいない」
というセリフ一つをとってみても、
それを言う時の彼は
何をイメージしていて、
何を感じ、何を考えているか・・・なのだ。
「殺していない」と言っているのだから、
「ころしていない」と感じ、考えている・・・?
だろうか?
ベッドに上半身をのけぞらして死んでいた
旦那さんの苦しそうな様子を思い返して、
それを見ている自分の姿を
想像しているかもしれないのである。
彼はその時、
持ってもいなかった凶器のバットを
握り締めているかのように、
震える腕を押さえているかもしれない。
そんな中で、
「ぼくは旦那さんを殺してはいない」
というかもしれないし、
まったく別のものをイメージし、
感じ、考えているかもしれない。
それを探さなければ、
この一つのセリフは言えないし、
言ったにしても別物になる。
何人も容疑者を登場させ、
あれか、これか・・・といっている段階は
捜索中なのだ。
稽古は、この、捜索の時間ではない。
稽古場に来る前に捜索してきて、
これが玉(犯人)だと
ホシを連れてくる場でなければならない。
演出から「違う」といわれれば違うのだ。
別の玉を探さなければならない。
・・・とすれば、
この時の「ぼくは旦那さんを・・・」
という声の高さや硬さ、伸び具合や
調子も、「誠」のものでなければならない。
この音も幾つもあるわけはない、
たった一つの音を探さなければならないのだ。
役者としての感性や表現力に
限界はあってはならないのである。
同時に様々なものを表現できる
力が備わっていなければならない。
だから芝居は難しい・・・が、
こんな面白い仕事はないというのも、
こんなところにあるのかもしれない

友人からの荷物が届いた。
友人からは、何を送ったか聞いていない。
が、フロントで手にした瞬間、
「これ・・・若しかしたら聖書?」
と思った。
まさに違わず、「聖書」だった。
大判で、活字も大きくて読み易い・・・
ぼくはノンクリスチャンだが、
大学時代に、
サルトルの「悪魔と神」で
ゲッツを演じるのに・・・
自分で書いた「何とて我を」で
田中正造を勉強する上で・・・
三浦綾子さんの「母」を
脚色するのに・・・
またそれを演出するのに・・・
「聖書」を開いたことがある。
だがポケット聖書のために
読むのに苦労した。
この年齢にはポケット版の
聖書は苦だし持たない。
今度もまた、
三浦綾子さんの「壁の声」を
演出に当たって
読もうと思っていた矢先だった。
ブログを借りて、心を込めて・・・
「ありがとう」
を言わせて頂こう。
最近は酒蔵が次第に少なくなり
国内には千数百しかないという。
ぼくは酒は殆ど飲まないので、
それほどピンと来る話ではないのだが、
銘酒の蔵も消えていっているという。
昨日の集まりは、
その酒・・・特に日本酒の蔵を守り、
支援や人材の育成もやって行こう
という社団法人の創立祝賀会だった。
著名な酒蔵の当主や、
ロブマイヤーなどグラス関係者等々・・・
その道の重鎮達が集っていた。
ロブマイヤーのグラスで
日本酒シャンパンで乾杯なんて
粋だ・・・と思って楽しみにしていたが
我輩にはグラスはなかった・・・
「飲めない」のじゃない、
「飲まない」のだ
ぞ~ッ
いおうとしたがイジマシイので
止めた

こんなこともあって
余計に疲れが出た・・・のかも

気の利かないサービススタッフだ
名刺だけ30枚も集まった・・・
第一部
ダヌーツ・マーニャ
ルーマニアのヴァイオリニスト
による演奏会。
第2部
レセプション
某社団法人の創立祝賀会でした。
よかったです。
ダヌーツ・マーニャは
はじめて聞く名前だったが
素晴らしかったです。
クライスラー
「愛の喜び」「愛の悲しみ」
サンサース
「序章とロンドカプリチォーソ」
バルトーク
「ルーマニア民族舞曲」
日本歌曲
「もみじ」
「里の秋」
そしてアンコールは
「ハンガリア舞曲」
でした。
第2部
レセプション・・・
もう入力するのも疲れましたので
本日は、
この辺で失礼・・・疲れ・・・マ・・・シ・・・
おやすみなさい

昼は、
独立行政法人文化振興会主催の
芸術・文化振興助成金の説明会が
日本青年館である。
そこは自転車でいける近さだが、
終り次第渋谷に飛ぶ。
知人が創った法人の
設立記念コンサートの司会だ。
これから資料を整理して・・・
おやすみなさ~い
そうそう・・・柿ではなく、
椿の実だ。

