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演劇人生

今日を生きる!

ジャイアンツのコーチングスタッフ
木村拓也氏が逝去した。
カープからジャイアンツに移籍して、
今年からコーチとしてのスタートが期待されていた。

人の一生は分からない。

人は生まれたその時から「死のカード」を手にする。
生まれたもの全てに渡され、
何時も何処でも、わたしたちは持ち歩かなければならない・・・
それが、このカードなのだ。

十年前、知人の息子が中学3年で命をなくした。
サッカーの練習中の急死だったと聞く。
中学生ながら、プロサッカーチームから、
誘いを受けるほどの子だったという。
告別式は訪れる人の行列が数キロ続いたという。
以来、母親は抜け殻のように家に閉じこもったと聞いた。

「まだまだ、これからの人生だったのに・・・」
多くの人たちは、嘆きの思いを母親に送ったが、
彼女は返事を返す声を失っていたという。

人は、産声を上げることもせず命を終らせることもある。
100歳を越えて生きる人もある。
そのすべてが大きな使命をもって生まれてくるように、
ぼくは思っている。
人生とは、命を得たその人だけのものではない。
命を生み出した人、それにかかわった人、
その周りにいる人々・・・その人たちとの関りのすべてを
称して人生といえるのではないかと思う。

本人の命は、
本人のものだけと思うのは大きな間違いだ。
父や母は、今もぼくの心に生き続けているように・・・

中学生の息子を亡くした母親が、
劇団で上演した「母」を観劇してくれた。
この劇を通して、彼女はみごとに立ち直った。
その理由は聞いていない。

死を受け止めるにも生きなければならない。
死のカードを否定できる人は誰もいないだろう。
忘れていても、必ず、どこかのポケットに入っているカード・・・

このことを考えると、
今のあることを、しみじみ大切に思うのである。
いま耳にする音を大切にしたい。
いま見える風景を大切にしたい。
そして、あなたを大切にしたいと思うのである。


劇団生活

数日の命をワッと咲かせて散るさくら・・・
千鳥が渕や上野公園、神宮外苑、隅田川、
飛鳥山公演、ちょっと離れて大宮公園・・・等々。
そんな中で、神田川沿いの江戸川橋付近の情景が好きだ。

昨日は身動きが取れないほどの混雑だった。
ブルーシートや簡易マットを敷いて集まる人たちも、
結構マナーがいい。

上の写真は桜が散り、川面を花びらが覆い、
それもきれいに流されて数十日後の川面である。
昨年の写真だ。
4、50センチもある鯉が悠々と泳いでいた。
高度成長期は川とは言えないような汚濁に満ちたものだった。
数十年の年月を費やして、
川はきれいになった。

その川に、今年も桜の季節が来た。



同じ川とは思えない光景である。
「きれいに咲いたね」
声をかけたくなる。




眼を転じると、
もと山県有朋の別荘だった椿山荘には、


その名の通り、椿が咲いていた。
桜と較べると、何となくつましく見えてくる。
時折、「あら、椿も咲いているよ」という声が聞こえる。

この日は、たまたま、その奥にあるホテルに
仕事に行っての帰り・・・
ぼくは桜と椿を見比べながら思った。
花を咲かせるとは、こういうことだ・・・
つましく咲いてもいい、ワッと咲くのもいい。

人も同じなのかもしれない・・・



好きな公園
ブログネタ:好きな公園 参加中
本文はここから

劇団の近くに檜公園がある。
多くは港区の公園だが、
東京ミッドタウンの庭と接しているので、
かなりの広さになる。
この公園の特徴といえるかもしれないが、
子ども達の姿が多いことだ。

特に、家族で来ている姿が目立つ。
完全に人工の公園だが、
ぼくは、この公園が好きだ。

人工の公園(神社)の典型が、
明治神宮かもしれない。
日本全国から苗木を持ち寄って植えて100年・・・
あれだけ立派な森が出来るのである。
それには、人間中心に考える掃除や整備はいらない。
明治神宮も、落ち葉は他所に捨てない。
通路を整理する程度にして、
倒れた樹も朽ちるに任せて自然に返している。
通路から一歩入ると、原生林かと思わせる。
あの神社林こそ、共生の森といえそうだ。

それと比べるわけには行かないが、
檜公園は草花あり樹木あり、川あり、丘もある。
そして都会らしい高層ビルもあるのだ。


劇団生活

彼も子どものような開放感に襲われたに違いない・・・

ついつい生まれたままの姿になってしまった?

等という事件もあったが・・・


兄のすることを無理しても真似をする妹の姿・・・があった。

劇団生活

最近街なかの公園で遊ぶ子ども達を滅多にみなくなった。

誘拐や悪戯が頻発して、親が遊ばせないのかも知れない。

その影響ばかりとはいわないまでも、

子ども達のコミュニケーション力が極端に落ちている

原因の一つといえないかと思う。


いい公園では風との対話も楽しめる。

いい公園では明るい子どもの笑い声がこだましている。

いい公園では小さな草花が語りかけてくる。

いい公園には自然のさえずりが飛び交っている。

いい公園では大人が子どもに帰る時間がある。


劇団生活

兄と妹だろう・・・
人・・・誰にでも、越えなければならない壁がある。
われ等が越えなければならない壁・・・
それは、いま稽古中の「壁」である。

これは深刻な裁判劇である。
裁判員制度がスタートして間もなく1年。

何にせよ、「裁く」ことの難しさは、
われ等、生きていく上で何度となく経験する。
人を物を、社会をそれぞれの立場で解釈して裁く。
裁くとまでは行かなくても、
「あいつとは付き合わないほうがいい」
「値段のわりにたいしたことはなかった」
「今の内閣は・・・」
様々に評しては身の振り方に生かそうとしている。

さて、われ等の稽古場写真は、
いつも何かを食べている。
この劇団、本当に芝居の稽古をしているのか・・・?
実は、稽古の5分の1は懇親会だ。
・・・・う~ん、これで、目の前の「壁」が見えているのか?
人が生きる上での「壁」・・・
犯してもいない罪で、死刑を宣告され、
処刑される若い男の目にしている壁・・・
一足飛びに超えられるようなものと思っていないか。
いささか・・・心配!!

「いらっしゃ~いッ!」

近所の薬局の小母さんである。
あれこれ選んでカウンターに・・・
「旦那さん、カップラーメン好きなの?」
「うん、好き」
「あたしは?」
「もっと好き」
「でも、あ~げない」
「い~らない」
こんな会話が他にお客さんがいようといまいと出来る店だ。

いつだったか、
「薬局に来て、見てコレ・・・」
カップラーメンや煎餅、クッキーなどを入れた籠を出して、
「不健康なものばかり買っちゃった」
「あらそう?」
「大体、身体によくないこんな物、薬局なのに、何んで置いておくの」
というと、
「身体壊して薬を買いに来てもらうため」
と来る。
「言うに事欠いて、このゥ・・・・」
ことばを呑むと、
「ばばァっていいたいんでしょ」
「お嬢さんって言おうとしたけど、言えなかったの」
すると相手も負けていない。
「まったく、このゥ・・・」
「ジジイって言いたかったんだろう」
「あははは・・・坊やって言おうとしたけどやめたの」

今日はカードを忘れたので、
「レシートにハンを押しといて。
今度カードに圧しなおしてもらうから」
というと、

「そうです。何かオマケを貰おうとしたら、
地道な努力が必要です。何処まで根気が続くやら」

だって!

まったく口の減らない、バ・・・