演劇人生 -117ページ目

演劇人生

今日を生きる!

三浦綾子さんの作品で「青い棘」がある。

この作品の劇化を考え既に4年を過ぎようとしている。

若しかするとぼくの生涯中に間に合わないかもしれない。


途中までの脚色を読み直してみたが、

15、6ページ目で急停車したまま、

ボ~ッと活字を眺めていたようだ。


そして見た夢に、

見も知らない旧日本兵が銃剣を手に二人・・・

「君たちは?」

と問うと、

「日本兵だ、天皇陛下万歳ッ!」

もう一人は、

「海ゆかば、草生す屍・・・」

歌い出した。

「生き残りか?」

すると、

「生き返りだ」

「一度死んだが甦りだ」

という。

そして、

「我が大日本帝国は勝ったか?」

と聞いてきた。

「戦争が終わって65年以上経つのに知らないのか」

二人ともそれには答えず、

「勝ったんだな。天皇陛下万歳!」

「アメリカも朝鮮も中国も属国かァ!天皇陛下万歳!」

意気高く銃剣を振り上げた。

「負けたんだよ」

途端に銃剣は砕け散って、

二人の日本兵もパチン・・・と音がして

粉々になって飛び散ってしまった。


そこで眼が覚めた。


「何だ今の夢は・・・」


そうか、先の大戦で日本が勝っていたら、

いまだに天皇陛下万歳を叫んでいたのだろうか。


「あれッ、「青い棘」の16ページから3ページ分一杯に、

おおおおおおおおおおお・・・・・だけが並んでいる。

うとうと・・・としたのは数十秒ということか・・・

こんなことがあると、

一層「青い棘」を舞台に乗せたい気持ちになる。

ビックリマーク年に一回のフェスティバルビックリマーク


12月17日(金)16:30~

   中野芸術劇場

「アドック祭」の日です。


現在プログラムを作成中です。

1.朗読、読み聞かせ研究会

  生徒の発表会

2.アクターズクラス発表会

  演劇作品「乳母車で」(1幕)

3.居合ショートパフォーマンス

  「凶四郎外伝」

  ※お客さま参加(立ち回り)

などが提案されています。

本日は民主党代表選挙

菅直人氏か小沢一郎氏か・・・

党首選挙そのものに閉塞感を感じる。

二度ほど菅さんに会ったことがある。

国会議員なりたての頃に一度、

もう一度は枝野氏と一緒だった。

何を話したか忘れた。


ところで、今また尖閣諸島が揺れている。

中国と台湾、そして日本の領有権がからむ

いささか抜き差しならない問題になっている。

そういえば、あの島の所有権者、

○○氏は知人だ。

彼の会社で顧問のようなことをしていたことがある。

所有権は持っていても、

数千万円で日本国に貸しているとは知らなかった。

地下資源の埋蔵量は無尽蔵だというから、

「持っているだけ」

というのも・・・???とは思うが、

彼の与り知らぬところでの揉め事といったところか。


どれ程埋蔵財産があるかしらないが、

「おれは持っている」

と思うだけでも首筋が痒くなって、

ニンマリしながらゴシゴシ・・・なんて、

気持ちいいだろうなァにひひ音譜


やっと秋の兆しを感じるような澄み切った空がやってきた。

これから劇団の稽古に行く。

さっき¥500で、鯖の開き定食(卵、焼き海苔食べ放題、

ご飯、味噌汁、そうめんお代わり自由)を食べてきて、

予は満足・・・というところだ。


あっちとこっちとではこんなに違う・・・

やはり、世の中広いのかなァ・・・むっドンッDASH!

昨日の研修について、

代表の三園さんから会いたいと連絡があり、

赤坂見附まで出て行った。


受講者について話し合った。

彼らは、「演じる」ことは、

何かを表現する(しなければならない)ことと思うようだ。


「表現」とは、内面を客観的に形象化することに

違いないが、あくまでも内面があってのことである。


「はい笑ってください」とか「泣いてください」等という

課題を与えられて笑ったり涙を流したりするのは

表現には違いないが、演技とはまったく関係はない。

演技以前の一つの訓練にはなってもである。


この訓練を通して求められるものは、

自意識の呪縛からの解放である。

ここを間違えると大きな錯覚に陥ることになる。


台本を与えられるか、人物設定がなされた場合は、

その役の人物が泣いたり笑ったりする理由は、

必ず台本に書かれているか、その行間に隠れている。

設定の場合も同様である。


その理由こそが、笑ったり泣いたりすることの

裏づけ(内面)にならなくてはならない。


俳優の仕事は、その裏づけなる理由にを探し出し、

自らの肉体、感情や知識、形象能力を総動員して

笑いや涙に接近していくことなのである。


最初に台本を与えられ、読み合わせ等に入ると、

「緊張してしまった」ということばを聞く。

これも、俳優の世界では緊張とは言わない。


それでは何を「緊張」というかである。

笑いや涙を裏付ける内面に近づくために

自らを自意識の呪縛から解放し、

その状態を継続し続ける・・・これではないか。


このような話をたっぷり2時間・・・

確認というのか、次への布石というか・・・

「治療中なんです」

「あなたが一番の元凶じゃないですか?」

「そうかもしれませんね」

「しれませんではなく、

そうだという確固とした認識が必要ですよ」

「分かるんですが・・・」

「そうはならない」

「ま・・・」

「だったら一度離れてみては如何ですか?」

「無理でしょうね」

「あなたは息子さんに治って欲しいのですか、

それとも今の状態のまま面倒をみ続けたいのですか?」

「面倒をみていこうと思うんです」

「それは殺人ですよ」

「・・・?」

「子殺し」

「わたしが生きている間は面倒をみるというのが?」

「だったら、早く死んだほうがいいですよ」



このような話になってはいけないのですが、

結果として行き着く先はココになります。

20年閉じこもっている息子を持つ親との会話です。