昨日の研修について、
代表の三園さんから会いたいと連絡があり、
赤坂見附まで出て行った。
受講者について話し合った。
彼らは、「演じる」ことは、
何かを表現する(しなければならない)ことと思うようだ。
「表現」とは、内面を客観的に形象化することに
違いないが、あくまでも内面があってのことである。
「はい笑ってください」とか「泣いてください」等という
課題を与えられて笑ったり涙を流したりするのは
表現には違いないが、演技とはまったく関係はない。
演技以前の一つの訓練にはなってもである。
この訓練を通して求められるものは、
自意識の呪縛からの解放である。
ここを間違えると大きな錯覚に陥ることになる。
台本を与えられるか、人物設定がなされた場合は、
その役の人物が泣いたり笑ったりする理由は、
必ず台本に書かれているか、その行間に隠れている。
設定の場合も同様である。
その理由こそが、笑ったり泣いたりすることの
裏づけ(内面)にならなくてはならない。
俳優の仕事は、その裏づけなる理由にを探し出し、
自らの肉体、感情や知識、形象能力を総動員して
笑いや涙に接近していくことなのである。
最初に台本を与えられ、読み合わせ等に入ると、
「緊張してしまった」ということばを聞く。
これも、俳優の世界では緊張とは言わない。
それでは何を「緊張」というかである。
笑いや涙を裏付ける内面に近づくために
自らを自意識の呪縛から解放し、
その状態を継続し続ける・・・これではないか。
このような話をたっぷり2時間・・・
確認というのか、次への布石というか・・・