緊張とは・・・
このことばを使ったことのない人は、
おそらく皆無だろうと思う。
劇団でも、稽古の合間に飛び交うことばの一つである。
「緊張すると、思うようにできない」
「緊張すると、自分を失う」
等々、名文句が飛び出すが、
彼らは本当に緊張していたのだろうか。
因みに、「緊張」とは、
心理的に力学的な不均衡が生じるために、
均衡回復を図ろうとすることで生じるものが緊張・・・
等の分析もあるが、
演劇の世界では別のとらえ方をしたい。
彼らのいう「緊張」は緊張とは言わない。
それは自意識である。
とはいえ、では自意識をなくせば、
緊張というところの「思うようにできない」ことや
「自分を失う」ことがなくなるのか。
自意識を無にするなどということはあり得ない。
ハムレットは誰かが演じればハムレットにはならない。
オセロもマクベスもどのような役であれ、
本人にはなり得ない。
ぼくが演じれば伊藤豪のハムレットなのである。
ドラッグの力を借りて我をなくした俳優が
「おれはハムレットそのものだった」
と言ったにしても錯覚以外の何ものでもない。
では、彼らの言う緊張とは何か。
自意識を越えたもの、
つまり自意識過剰という呪縛ではないのか。
場に慣れるにしたがって過剰というかさぶたが剥がれていく。
言い換えれば感情コンプレックスだと思う。
これを緊張と一緒くたにしてはならない。
緊張とは、演劇の中ではなくてはならない集中と
類語(あるいは同意語)なのである。
自分ではない役の人物と、
自分との接近の度合いを持続するためには、
並外れた集中力が求められる。
この接近の度合いが俳優Aの演技であり、
幕が下りるまで集中力を持続させるために必要なもの・・・
それが緊張だと考えている。
自意識過剰から解放されても、
人は自意識から解放されることはない。
しかし俳優は、舞台にある限り、
役づくりの緊張から解放されることがあってはならない。
この理屈は、勿論画一的に通用させられるものではない。
しかしこれは、劇団アドックの世界だけの問題ではない。