クチコミネタ:この夏イチバン○○だった、夏イチ!
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昨年は7月だったが、
今年は猛暑の8月になった「杜の中の伝統文化祭」。
その“子どもの杜”では、
江戸の昔から伝わる風鈴の絵付けや、
江戸擦り絵の体験、飴細工や針金細工などの実演がある。

6月から始めた稽古は、
アメーバーブログのKappamonogatariのネーミングの基となった作品、
自作の「そして…河童は消えた」である。

むかし むかし…
爺さんや婆さんが、
狐に化かされたり、
河童に悪さをされていたりしていた
ころのものがたりです。
しかしある時から、
川から河童の姿が消えました。
どうしたのでしょうか。
それには、ふかい理由があったのです。

18日(土)13:00 19日(日)13:00
の2回の公演だが、
最初は台本の検討会から始めた。
まあ、「これは子どもには難しい」だの、
「時間が長すぎる」だの否定的な意見が主流を占めた。
その全ては、大人が考える“子どもの目”であり、
“子どもの理解力”に対する疑いの目だ。
ここに危険な落とし穴があることを知らないのだ。
「狐がいろいろなものに化けるが、何が何だか分からなくなる」
(ばったが赤いマフラーをつけバイクにまたがって出てくる仮面ライダーをどう思うの?)
「河童はどんな生き物か説明をしないと分からない」
(仮面ライダーやショッカーはどんな生き物か説明がいる?)
「人間関係が複雑すぎる」
(本来複雑な人間関係を単純化していないか?)
「権力に逆らえない庶民のはずが、強すぎる」
(本当は一番強いのが庶民じゃないの?)
・・・等々の意見が交差。
訳分からなくなりそうな遣り取りの中、
子どもの目線を大人が理解しようとすること事態に無理があること、
子どもの目線に近づこうと努力することだけが、
僕ら大人に残されているのでは・・・
全てをここから始めよう
…ということで読み合わせに入る。
少ない劇団員では間に合わず、
他所から2人の女優さんを借りる。
…が、劇団員全員をつかったために、
ド下手な役者には手を焼いた。
最後には「演劇をバカにするな!」
の怒鳴りも入った。
言ってもできないのは、まァ止むを得ない部分がある。
が、言ってもやらないのはクビにしてやりたい
(…が、出来ない
)


「これを知って、逆らっているのか?」というボヤキまで出えてくる。
子どもの目をナメルなよ。

「あ、ウソ泣きしてる」

こんなことを言われたくないだろう。
七転八倒を乗り越えて、
やっと迎えた8月18日・・・
真剣な子どもの目に出会った。
まばたきもせずに舞台を見つめる目に出会った。
時々見せる笑顔と、ホッとしてつく大きな溜め息。
河童が命を失う場面では、
泣き入りそうに顔を曇らせる。


この子らの脳裡には何が残るだろうか・・・
この「そして…河童は消えた」を通して、
この子らは何を感じるだろうか・・・
その正体は分からない。
しかし、彼らの表情を見ていると、
悲しみや、喜びを覗き込むことが出来る。
心の葛藤が垣間見られるのだ。
理解できるだの、難しいだのを論じることから芝居が始まらないことを教えてもらえる。
遅まきでも、子ども達の前で公演したこの日から稽古を始めることが出来ればよいのだ。
悲しいことに、
ここで・・・
わが人生と変わりがない教訓に出会う・・・
後の祭り
・・・である。

オレの人生も暮色の中にある・・・

何処からか、祭囃子が聞こえてくる時期だ。
笛太鼓の音が渡る・・・
あれは…夏祭りではない・・・秋祭りだァ・・・
切ないねェ。
