首なし地蔵に…首が! | 演劇人生

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今日を生きる!

劇団の事務所は自宅兼用にして赤坂においてありますが、
コレ、窮余の一策・・・
公演赤字がかさみすぎて、さいたま市からの通いを考えれば、
居住していたほうが、専従としてデスクも兼ねられるという申請を、

代表を始め劇団員全員が承認してくれたから実現しました。
以来、赤坂住人として、都内のほとんどを自転車で走り回っています。

稽古場までも自転車で行きますが、ルートはいくつかあります。

中には、春には桜、秋には銀杏…と、恵まれたルートもあります。
桜は2箇所、銀杏も2箇所ありますが、今年の桜はガッカリでした。
神宮外苑は有名ですが、穴場は青山墓地…
様々な露店も出て賑わいますが、千鳥が淵のようではありません。
ま、墓地だから…と言えなくもありませんが、道路の両側にある桜並木は
見事ともいえるものです。来年にでも是非!

今月からマンションの側に出来たガーデンは、元防衛庁内の桜を移植しただけで、
本数はいまいち。ま、来年も、それほど期待は出来そうにありませんね。


ところで稽古場に程近いところに、
“首なし地蔵”と言われる石像があるのですが、
驚くことに、「首」はちゃ~んとついているのです。

一名「身代わり地蔵」とも言われていますから、
由来に理由があるのだろうと調べてみると、
まさにそのとおりでした。

さて…江戸時代に、話はさかのぼります。

この千駄ヶ谷近辺に、
ある大名の下屋敷があったそうです。

殿は忙しく、留守役の男とお妾さんの二人を残して
外出することが多かったそうです。

ある日のこと、殿が大事にしていた壷を、
留守役の男がふとしたはずみで落とし、
割ってしまったというのです。

立腹した殿の怒りは一通りではありませんでした。
上様から賜った大事な壷で、
殿は手打ちをも辞さない剣幕でした。

そこに立ち塞がったのはお妾でした。
殿の留守がちの家を守る妾にとっては、
かけがえのない頼みとなっていた留守番です。
「わたしの命と引き換えにしてでも」
助けては下さらぬか…などと言われた殿の怒りは
一層激しさを増したのでした。

留守役といっても、今で言えば
ジャニーズ系ともいえそうな二枚目の青年です。

「そこまで言うのは、
わしのいぬ間に密通した証拠に違いない…」
そこに直れ…と、振り向きざま、
妾の首を目がけて刀を振り下ろしたのでした。

すると、どうでしょう・・・キ~ン・・・
という音とともに、刀が真っ二つに折れたのです。

「うんッ!?」

妾は気を失って倒れましたが、
首には傷一つついていません。

・・・と、その時、庭先で・・・ドスン

鈍い音がしたのです。そして留守役の男の声がしました。

「殿、お越し下さい。庭先の地蔵の首が落ちております」

その夜は、殿も妾も留守役の男も口を利かなかった。
屋敷の空気は重苦しく沈んでおりました。

一睡もせずに夜を明かした殿は二人を目の前に座らせ、

「すまなかった。地蔵は自らの首を落として、
お前を救ってくれたに違いない。
いや、斯く言うわしも救われたのだ。
無実のお前を手打ちにしようとしたし、
上様に賜ったものとはいえ、
人の命に勝るものはない。
猜疑心のかたまりであったわしの心根を正すために、
この大切さを教えるために、
己の首を落としくれた。
地蔵は我が家の宝だ、
玄関先に祀って大切にしたい」

このように言う殿も、本来はよく出来た人物だったと

いえるのかもしれません。

それを証拠立てる逸話です。

このような話は大抵封印されて

表には出ないものですが、
地蔵に手を合わせては、道行く人に殿自らが、
首の離れているいきさつを語り聞かせ、
「何か不都合があったら、
この地蔵が身代わりになってくれますから…」
と言って、地蔵に頼むことをすすめたというのです。

ところがある朝、地蔵の首はなくなっていました。
いくら周囲を探しても見つからなかったそうです。

以来200年以上、“首なし地蔵”という名と、
“身代わり地蔵”の両方の名で呼ばれるようになりました。

しかし、誰かが修復したのでしょう
…石の質も違いますから、以前の頭でないことは
確かですが、余りにも不憫だと感じたどなたかが、
一生懸命に彫った頭をのせてくれ、
落ちないようにとセメントでつないだに違いありません。

今は、明治通りの一角、
千駄ヶ谷五丁目のあかつき印刷所の横手に、
ひっそりと佇んでいます。