番外97.大甕神社は石上神宮の元宮だったのか? | 常陸国ふしぎ探検隊-それは天津甕星から始まった

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「まつろわぬ」というキーワードから常陸国の歴史を見つめなおします。常陸国は東海道の東のはずれ、鹿児島から始まる中央構造線の終点です。
神社探検の動画はこちら
→ https://youtu.be/8gVu8qGihD8

海進の時期はもう少しあと、850年から950年くらいに推定し直す必要があると思いますが、紀元後のいつかの時代にはあったとの考えは変わりません😆
内陸部の地名と神社の配置から考えると、まー、そういうことになります。
「室の八島」について大神神社が深い入れ込みようだったことを、最近ググっていて見つけたのですが、ググりすぎて、再度そのページに辿り着けません。😂

石上神宮といえば七枝刀と物部ですね。
私が、七枝刀ですぐ思い浮かべるのは、七つのチャクラです。😆
チャクラは、太陽光線=ヤタガラス=生命エネルギーの源、をカラダに取り込む、人体の基本的な器官だと考えています。
フラワーオブライフの一部を抜き取ったメノラーの変形だろうことは、多くの人が指摘していますが、それがなぜ大切かといえば、太陽光線のエネルギーを吸収するためのシンボルだったからなのだと思います。
まぁー、いちおう思います、としておきましょう😆



七枝刀を掲げたこの女性は、卑弥呼宗女イヨです。
孝霊天皇后です。
イヨの兄のウマシマジや父のニギハヤヒが物部氏の祖とされていますから、イヨの子である、孝元天皇は物部の血が入っていますが、さらに孝霊天皇天皇は、ウマシマジの子、ハエイロチ、ハエイロネを后にしているのですから、天皇家はほぼ物部氏になってきそうな気配ですね。
さらにわれわれは、ハエイロチかハエイロネを活玉依姫と遠津魚目目姫に推定しています。
そして、彼女たちの夫は、2人のヤマトタケル になり、東日本の、茨城、千葉、栃木、福島に色濃く痕跡を残しています。

*2人の五十鈴姫は、ハエイロネ、ハエイロチに相当するかも知れません。
つまり、崇神は、ヤマトタケル を標榜しているのではないかという提起です。

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