常陸国ふしぎ探検隊-それは天津甕星から始まった

常陸国ふしぎ探検隊-それは天津甕星から始まった

「まつろわぬ」というキーワードから常陸国の歴史を見つめなおします。常陸国は東海道の東のはずれ、鹿児島から始まる中央構造線の終点です。
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「星座神話の起源」古代メソポタミアの星座 近藤二郎著 P96 「オリオン座とその周辺の星座」の項に、古代メソポタミアの星座には、現在のオリオン座に相当する場所に「アヌの真の羊飼い」というものがあったと書かれている。


シュメール語では、(Mul) Sipa-Zi-An-Na [(ムル) シパ・ジ・アン・ナ]といい、アッカド語ではシタッダル

(sitaddaru)という。


ここでわれわれは仏教の創始者である釈迦の名前、Gautama siddhartha=ゴータマ・シッダールタを思い起こすに至った。


つまり、ゴータマ・シッダルタ→goat ama sitaddaru→羊の群れの先頭にいる山羊ということに気付くのである。そしてそれは「盲目の子羊を導く指導者」であった。それはキリスト教ではイエスのことであった。


この一点を以って、仏教もメソポタミア由来のものであることと理解するとともに、日本仏教に対する考え方が決まったのである。僧侶や歴史家のうちの何人がこの事実に気付いているであろうか。


だから私のアイコンはメヤギなのだ。(草刈り用に飼ったに過ぎないが、笑)


イエスキリスト同様釈迦など存在しなかった、それらはメソポタミア神話の焼き直しであった、というのが我々の考え方である。そしてそのもとになったのは縄文人と呼ばれる人たちであっただろう。


すべての歴史は為政者によってねつ造されたものである。


だから、われわれはこれを壮大な GO JAP PAY と呼ぶのである。




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第 5 章 象徴と宇宙観の普遍性

 

5.1艾と五にみる古代的世界観 ― 陰陽交差と光の象徴

  古代における文字は、単なる音や意味の記号ではなく、宇宙の構造や人間の営みを映し出す象徴

体系であった。なかでも「艾(ガイ/ヨモギ)」と「五」という二つの漢字には、光、性、陰陽、

そして宇宙創造の観念が内包されている。

白川静の『字統』によれば、「艾」は草冠に「乂(かい)」が合わさる形であり、この「乂」は、

実際には❌(交差する線)であり、古代中原の製鉄民が氷のレンズで太陽光を集め、草に火を点

すという行為から由来したとされる。夜明けとともに男が女主人のために火を起こすという習俗

は、男が光を媒介する存在であったことを象徴する。このレンズ状の形、すなわち「❌」は、太

陽光の交差点、つまり天と地を結ぶ光の焦点であり、生命を育む火の起源でもある。

この「ガイ」は偶然にも英語の "guy"(男)と音が重なり、さらには "gay"(性的な特質を含む)

とも響き合う。不思議なことに、ここに古代漢字と現代英語の間に、男という存在をめぐる音義

の共鳴を見ることができる。古代において、男とは単なる支配者ではなく、天の光を地に伝える

「媒体」であり、女に火を贈る「使者」だった。

また、「五」という文字にも同様の象徴的深みがある。「五」は天と地の間にあって交わる「光」の象徴であり、五行に通じる根源的な調和の原理をあらわす。五行は万物を生み出す循環であり、陰と陽の調和なしには成立しえない。甲骨文字における「五」は上下の三角形、すなわち「🔺」と「🔻」が交差する象として解釈することも可能である。これが重なれば、六芒星=✡️となる。五芒星が陰陽道の象徴であるように、六芒星はユダヤ教の神秘思想のシンボルである。東西を問わず、三角形の交差は「陰陽合一」「天と地」「男と女」「光と闇」の交わりを意味する。 

艾における「交差する光」、五における「交差する宇宙の原理」は、いずれもレンズ状の象徴へとつながり、ヴェシカ・パイシスの形態にも通じる。この交差部はイエス・キリストを象徴する「魚(イクトゥス)」にもなり、また、真言宗の寺紋「輪違い」、胎蔵界・金剛界曼荼羅の二重円環とも共振する。 

陰陽の交錯こそが生命の生成原理であり、それは記号として文字に封じられ、儀礼として宗教に現れ、図形として文明を超えて共有された。ここに、古代人の視座と知恵の深さ、そしてその共通性を見出すことができる。 

 

5.2 「五」の甲骨文字と曼荼羅にみる図象的連関 

   前節で考察したように、「五」の甲骨文字は、天地のあわいにおける陰陽の交錯を象徴する「❌」の形状を持つ。これは、古代人が宇宙の構造や生命の生成を視覚的に表現したものであり、その象徴性は他の文化的図像とも深く連関している。 

まず、真言密教における「胎蔵界曼荼羅」と「金剛界曼荼羅」は、宇宙の構造と仏の智慧を視覚化した図像であり、中心に大日如来を据え、周囲に諸尊を配置する構造を持つ。 これらの曼荼羅は、円と方、すなわち「円相」と「方形」の組み合わせによって構成されており、これは「五」の甲骨文字の交差する線と共鳴するものだ。  

また、ヴェシカ・パイシス(vesica piscis)と呼ばれる、二つの円が交差してできるレンズ形の図像は、西洋においても神聖な象徴とされ、生命の誕生や宇宙の生成を表すものとされている。 この形状は、胎蔵界曼荼羅の中心部や、金剛界曼荼羅の構造とも類似しており、東西を問わず、交差する図形が宇宙の根源を象徴する共通のモチーフであることがうかがえる。  

さらに、「五」の甲骨文字の「❌」形状は、陰陽の交錯を示すと同時に、五行(木・火・土・金・水)の相互作用をも表現していると考えられる。 これは、曼荼羅における諸尊の配置や、宇宙の構造を示す図像とも対応し、古代人が視覚的に宇宙の法則を表現しようとした試みの一端を示している。  

このように、「五」の甲骨文字と曼荼羅の図像は、共に交差や重なりを通じて、宇宙の構造や生命の生成を象徴的に表現しており、古代の人々が持っていた宇宙観や生命観の普遍性を示すものと言えるだろう。 

 

5.3 卍の起源と転生の思想―蠍、萬、そして星座神話の交差点 

 卍(まんじ)の形象に関しては、東アジアでは吉祥の印として広く知られるが、その呼称「まんじ」の由来は意外なところに求められるかもしれない。古代メソポタミアの星座神話に目を向けると、一年の終わりを担う星座群――天秤座、蠍座、射手座――の神話が注目される。蠍が天秤を携えて死者の行いを審判し、射手が魂を矢に結びつけて次なる転生先へと放つという物語は、東洋において閻魔大王と生まれ変わりの思想へと変容を遂げた可能性がある。 

特筆すべきは、甲骨文字において「蠍」に似た字形が「萬」であり、これが卍(まんじ)の語源になったと考えられる点である。この視点からすると、「萬→卍」は単なる字形の変化ではなく、死と再生、あるいは転生の思想を担う記号としての進化と解釈することが可能である。そして、卍の交点には赤い点――アンタレスの象徴――を加えることで、より古層の星辰信仰とのつながりを視覚的に再構成できるだろう。 

さらに射手座のケンタウロス神話が日本における流鏑馬の儀式と類似しており、流鏑馬が武芸だけでなく子授けの儀式でもあったことが國學院大学の報告にも見られる。これらの儀式が、死と再生、魂の循環という宇宙観と密接につながっていることを示唆している。 

 

5.4 卍と巴の同一性と渦巻の意味―生命の起源と回転の図象学 

 卍と巴(ともえ)は一見異なる形状を持つが、そこには共通した象徴構造が存在する。いずれも「回転」する運動を表しており、その原初的意味は生命の始まり、すなわち「受精」と「成長」に深く関係している。 

 

卍の構造に注目すると、五の甲骨文字に見られる「❌」の形象が浮かび上がる。これは天地の交叉を示す象徴であり、これを45度傾けることで十字(+)となり、さらにその回転が卍という動的な形へと展開する。すなわち、静的な陰陽の均衡(十)が、渦動という生命の生成力(卍)へと転化する過程を図象として捉えることができる。卍の交点に「アンタレスの赤」を置くと、そこに生命の種子=精子という象徴が加わり、巴紋や渦巻文様とも連動する「始まりの記号」として機能する。 

 

一方、巴紋は渦巻運動を三つ巴または一巴、二巴の形で表現するものであり、古代から胎児の象形とされてきた。渦巻は単なる意匠ではなく、自然界における生命誕生の基本構造を写したものである。現代の生物学においても、生命の発生には細胞分裂の回転運動や螺旋状の遺伝子構造が不可欠であり、これが渦巻模様の宗教的・呪術的意味と一致する。 

 

このように、卍と巴はともに「渦動=うずまき」と「生命生成」を可視化した図象であり、単なる図案や家紋としてではなく、古代人が宇宙と生命を感じ取るための霊的な言語であった。前章で述べた「萬=蠍」の系譜も含め、これらの図象の背景には「死と再生」「陰と陽」「男と女」「光と闇」といった対概念の統合と循環の思想が流れている。 

5.4 「五」から「十」、そして卍へ――象徴の回転と始原の力 

前節において、「五」の甲骨文字が天地の交錯を示す「❌」の形に由来し、陰陽の交わりや五行の象徴であることを見たが、この「❌」は静的な記号にとどまらず、象徴的な動き――すなわち回転を内包している点が特筆される。 

この❌を45度回転させると、文字「十(じゅう)」の形状と重なり合う。「十」は天地・陰陽の交差を意味し、宇宙的秩序の象徴とされてきたが、ここに「五」の中心から「十」への展開を見ると、五十という文字の構造が浮かび上がる。 

日本語では「五十」を「い」と読ませる用法があり、例えば「五十鈴(いすず)」や「五十嵐(いがらし)」などの例に見ることができる。この「い」は「いの一番」「いのはのい」など、物事の始まり、すなわち「最初の響き」を表す。つまり、「五」から「十」へ、そして「い」という始原的な音への転化は、象徴の次元で見ると、天地創造や生命の発端を意味するものと解される。 

さらに、「十」の象徴が動的に回転を始めたとき、その先端は曲がり、「卍(まんじ)」という形状をとる。「卍」は仏教において吉祥の印とされ、また生命の力の循環や宇宙の法則を象徴する記号でもある。この回転する「十」は、陰陽が交互に転じていく運動性そのものであり、静止した秩序から、動きある生成の次元へとシフトしていく様を象徴している。 

この意味において、「卍」と「巴(ともえ)」は極めて近似した象徴性を持つといえる。巴紋は渦巻状の回転運動を示し、そこには陰陽の交替、生命の循環、種子からの発芽のイメージが秘められている。回転しながら陰陽を統合するこのモチーフは、「十」や「五」から導かれた象徴の自然な延長線上に位置づけられ、古代人の持っていた宇宙観や生命観がいかに視覚化されてきたかを如実に示している。 

 

5.5冬至とキリストの復活 

 冬至は太陽が最も弱くなる日であり、古代の神話において「死」と「再生」を象徴する重要な瞬間だった。この日を境に太陽は再び力を取り戻し、輝きを増していく。この現象は、キリストの「死後3日目に復活する」という教義と重なる。冬至は12月22日であり、キリストの生誕がその3日後の12月25日であることも象徴的な一致だ。 

冬至の後、太陽が再び力を増す過程は、まさに死から生への復活を暗示するかのようである。このことは射手座の星座運行にも関わり、冬至に関連した「死と復活」のテーマを強調する。射手座が象徴するのは、まさにこの転換点であり、死から再生、そして新たな命の誕生というテーマが浮かび上がる。 

このように、古代の星座神話とキリスト教の復活の物語は、太陽の運行と人々の信仰によって深く繋がっていたことがわかる。冬至を境に太陽が再生し、新たな生命が誕生するという概念は、キリストの復活の象徴としても解釈されるべきだろう。