私の自宅から北方5,6kmのところに、常陸大宮市最高峰、標高511.5mの尺丈山(しゃくじょうさん:地元の年寄りや幼児は、ひゃくじょうさんとなまります)があります。
八溝山地の中部に位置し、地質学的には鷲子山塊に含まれます。
ちなみに八溝山は茨城県最高峰で1022mと、ほぼ尺丈山の倍の高さになっています。
尺丈山は茨城県と栃木県にまたがり、古代においては蝦夷地との、太閤検地までは陸奥の国との国境だったところです。
久慈郡になっていますが、那珂川の支流緒川流域ですから、那賀郡に属するはずです。
何を血迷って、尺丈山は古代の天体観測所である、などという説を考えるに至ったか(笑)
それは現地調査の賜物です(大笑)
いやいや、単純に近いので、暇があると四季折々の眺望を楽しむために、ポットにコーヒー、おむすびをリュックに入れて出かけるのです。
そして、頂上のログハウスの休憩所のテラスで、しばしやまなみを眺めボーっとするのですね。(笑)
幾重に織り重なるやまなみの遠く南方には、筑波山の二つの峯を望み、少し左がわに目をやれば、税金の浪費の象徴、茨城県庁や、大洗のマリンタワー、何人か犠牲になった企業戦士の職場、日立製作所水戸事業所のエレベーター試験棟などの似非文明の砂上の楼閣が見えるのです。
そして、わたしは浮世の矛盾を感じるわけです。(キリっ)
その先には鹿島灘の海がきらめいています。
天空から眺める下界の景色は格別なものがあります。
あたかも霞を食らう仙人になったかのような心持ちです。(笑)
茨城県の多くの神社を調査すると、次第にとてつもない地区であることがわかってきて、なおかつ自分の住んでいる「奥茨城村」(去年のキーワードでしたが)は、勿論手前味噌も含めてですが、「高部」という地名からして、相当な格式の集団が居住していた地域であるとの仮説を立てられる状況に至ってきたわけです。
水戸より北の地域では、佐竹氏関連の研究が進んでおり、「奥茨城村」は国境ということもあり、数多くの城跡、館址があり、有志がその整備を進めている最中です。しかしまあ残念なことに、それ以前のこの地区の希少性について気付いている人は、われわれの他にはまず存在しません。
佐竹の関係者であったことが、「奥茨城村」のアイデンティティであるかの如しです。
わたしはここで苦言を呈しておかなければなりません。
われわれの先祖は、おそらく佐竹氏と呼ばれる一族より早くここに住んでいたことを周知徹底しなければなりません。470年間この地域を治めた(あるいは略奪した)佐竹氏(河内源氏)に追従し、この地に移住した人もいるでしょうが、多くはすでにこの地区に居住していたと考えるのが妥当でしょうから。
さて、写真を見ながら、尺丈山のテラスに座った気分を味わっていただきましょう。
まずは茨城県の象徴ともいえる、南にそびえる筑波山からどうぞ。
南側に筑波山を望む。
南東には県内最高ひたちなか市の日立製作所のエレベータ試験棟が・・・。その先には鹿島灘の太平洋。
さらに左の方へ目を移します。
東側には大子町の男体山?
北には茨城県最高峰の八溝山。(尺丈山の2倍の高さ1022m)
南西にははるか遠く富士山の雄姿が!
いかがですか?
低山でありながら360度一望できる尺丈山の眺望は!
なお、頂上真下に駐車場があり、乗用車でも行くことができます。健脚のかたは、ふもとの駐車場から登っていただいても、30分程度で頂上に着きます。
山上の駐車場近くには簡易水洗トイレも完備していますから、常春の一日をのんびりと過ごされてはいかがでしょうか。
さて、それではそろそろ参りましょうか!(マチャアキか?)
本題に入りますよ!
下の写真は、休憩所から神社へと続く馬の背状の参道です。昭和30年ころまでは、お祭り時には
馬を着飾って登り、競馬をしていた場所です。
何度か散策していると、人手が入ってこの形状になったことがわかってきて、ふと方角を調べてみるとなんと、正確に南北に伸びていたことが解ったのでした。
最初は、まっそんなこともあるわな~、と気にも留めずにいたのですが、尺丈山の精霊たちはわたしの脳に働きかけ続けるのです(笑)
早く気付きなさいよ~、何やってんのよ~、てな感じです(笑)
休憩所から神社へと続く馬の背参道。正しく南北。
そのまま進んでいき、東側を見れば大子町の男体山が、そして反対側の西側を見れば、日光の男体山がその雄姿を誇らしげに見せ付けてくれています。
西を向いても男体山!、東を見ても男体山!そういえば南の筑波山にも男体山!
少しずつ、精霊のヒントが私の脳みそに届き始めてきたようです。(笑)
春分の日に太陽が昇る方向には大子町の男体山
春分の日に太陽が沈む方向には日光の男体山
そして、神社の手前約30m地点で、正しく南北だった馬の背参道が左に折れ曲がっているのです。
栗本慎一郎の「シリウスの都 飛鳥」を古代史の参考書の一つとしているわれわれにとって、この折れ曲がった角度が20度であることに気付くことは、至極当然のことでした。
「かっくん、やっと気付いてくれたか!」尺丈山の精霊たちも大喜び、かな?
20度傾いて参道は神社へと続いている。
鳥居の前から馬の背を見る。この角度が北北西(南南東)に20度傾いた聖方位。
【聖方位とは】
真北から20度西に傾いた方向。紀元前500年ごろ、ペルセポリスの冬至の真夜中のシリウスが位置する方向
さて、われわれはこの傾きがどこに向かうのか、google mapを見て確認した。
なんとそれは鹿島神宮に向かっていたのである!!
そして鹿島神宮の社殿は下図のように20度西に傾いて建てられています。
ということは!
そうです。まったく尺丈山に正対しているのです!(驚愕の事実)
(黄色いマークは私が調査した神社)
鹿島神宮の位置と向き
鹿島神宮の向き
尺丈山駒形神社社殿 本殿はありません。茨城県神社誌にも載っていません。
表向きはただの部落の神社です。
鹿島神宮と尺丈山神社の位置関係は理解できました。
次は祭神の関係です。
鹿島神宮の祭神は、言わずと知れたタケミカヅチ。
尺丈山駒形神社は、駒形神社なので、保食神(ウケモチノカミ))。
保食神は豊受でありアメノウヅメですが、われわれはすでにコノハナサクヤヒメと同神と看破しています。
コノハナサクヤヒメの従者であり夫はタケミカズチ。
つまり、尺丈山は常陸国(あるいあは東日本)における最高の場所であったことにもなりかねないのです。(再びの驚愕!)
だから尺丈山のあるところの地名は高部なのです!
高が変じて、鷹や多賀などの地名はここから派生している可能性を指摘しておきましょう。
また、全国の高部地名は66.諏訪神社探検記(常陸大宮市高部)にも引用していますが、大元は
尺丈山の高部であろうと、独断的我田引水説を記して終わりにします。
併せてこちらもご覧ください。
現地の動画はこちら→
合言葉はGBMK!
Go Beyond the Momoshima&Kashima’s works.
百嶋由一郎先生の講演会CD、資料、神代系図を入用の方は、常陸国ふしぎ探検隊河野克典まで。
メール k_kplanning @yahoo.co.jp



















