うっちー@馬なり生活 -13ページ目

うっちー@馬なり生活

NO HORSE, NO LIFE.
馬のことメインに日々の出来事を気の向くままに・・・
2019年4月16日よりゴールドコーストへ馬修行
2020年9月8日に帰国し、新たなステージへ!!

遡ること一月のこと

12月末くらいから右の手首が痛く、仕事に支障が出るくらい、痛い

捻ると特に痛く、とうとうズキズキと痛むように

車の運転にも支障をきたすようになったので、病院へ行きました病院

病院へ行ったのは1/11(水)

いったいいつの話やねんって感じですな笑い泣き


診断はTFCC損傷
ゴルフやテニスなど、手首に負荷のかかるスポーツ選手に多いらしい
で、レントゲンをみると、外側の骨が少し短くて、負荷がかかりやすいそうだ

尖端が尖っているのを見て、骨折したことある?と聞かれましたが、そんな記憶はございませんなうーん
どうやら、足りない部分を補おうとして、骨が形成されたようです
その尖った部分が悪さをしているような気がしなくもないんだが…
とりあえず、サポーターと湿布を処方して貰い様子を見ることに
病院のあとはヨシムネのところへ
調馬索で歩様チェック
んー、微妙ショボーン
でも本人はそんなこと気にしてないですね
にんじんくれれば問題なし!

あれからもう三月も後半になりましたが、右手首はだいぶ落ち着いてきたものの、まだ負荷をかけると痛みが再発
どうしても動かす場所だから仕方ないよねショボーン
それでも、サポーターなしで動けるくらいには回復してます
無理するとまた酷くなりそうなので、様子を見つつ付き合っていくことにします真顔

父の葬儀の日、朝コンビニで買い物したら321円だった

3/21は父の誕生日バースデーケーキ

おや

そして火葬が終わってバスに乗り込んだとき、社内の時計をみたら3:21

おやおや

父も近くで見守っているんだろうな

どんな想いでみているんだろうか

色んな人たちが来てくれて、感謝してるんだろうな照れ


家族葬ってことで、小さな葬場でのお別れでした

にもかかわらず、ご近所さんなど、生前お世話になったたくさんの人たちが手を合わせに来てくださいました

人前で泣くのが本当に嫌なので、こういう場は苦手で避けていたのですが、遺族の立場になって、来客がこんなにも嬉しいものなのかと思いました悲しい

今後は避けずに(避けるほどそんなに縁はなかったけど)ちゃんとお別れに行くようにしようと思ったのでしたお願い


埼玉からは母の姉と兄が来てくれて、葬場に泊まることになったため、うっちー夫婦はホテルに泊まることに

あれ?私は娘だよねうーん??と思ったけど、一番堪えている母の側で、数年振りに会う兄弟たちと懐かしい話をする方がいいだろうと納得しました

普通に考えたら、伯母たちがホテルなんだろうけどね(笑)

埼玉から熊本に嫁いできた母

片手で数えるほどしか帰省していないので、積もる話しも沢山あるよね

夜遅くまで盛り上がっていたようなので、良かったかなニコニコ


ご近所さんの一人で、私の同級生の母でもあるTさんが、元気にしとったねー、今どこにおっと?子供は?

と聞いてきた

子供はおらんですと言ったら、跡継ぎ作らんばウシシと親戚のおばちゃんのようなこと言ってきて、ちょっと面白かった(笑)

父の葬儀がきっかけではありますが、子どもの頃に良く来てた親戚などの懐かしい人たちに会えて、葬儀は寂しいだけじゃないなと思いました


帰る日、不審者を見るかのような眼差しを向ける猫たち
3月にはもう少し慣れてくれるかな?


葬儀から数日後、仕事に向かう車の走行可能距離が321km車

その日の午後、ふとスマホをみたら3:21

あらあら、父ちゃん私のとこに来てるの?なんて思った日がありましたニコニコ

頭はもうすっかり落ち着いているけど、心は少し時間がかかるのか、自律神経の乱れが続いており、最近やっと少し落ち着いてきたかな?

何だかんだと号泣する機会を逃しちゃったので、なんか泣ける映画でも観るかな笑い泣き

2/12(日)6:19、父がお空に渡りました虹

享年67歳

ちょっと早かったよね


実家へ滅多に連絡をしない私

たまには電話しようかな?と思ってても、気が付けば21時過ぎてることがしばしば

もう寝てるよなー、また今度って思ううちに月日は経つのよねてへぺろ

そんな私でも、さすがに新年くらいは電話をするのだが、その時の父の声がこれまでにないくらいしんどそうでショボーン

肺がんを患っていた父病院

ちょっともう、長くはないのではないか?そんな予感

ということで、悩んだ末に3月に連休を取りました

3月まで持ってくれるといいんだけどな思いつつ…


そんな期待は見事に外れ…

肺がんはステージ4で、骨に転移

緩和ケアしていきましょうということになったのが2月3日(木)

後から知ったのだけど、入院したのは1/17だったらしい

相変わらずうちの家族は連絡しないのよね真顔

それまでいろんな治療を試したみたいだけど、どれも効果なし

予定ではリハビリして2月末には退院できるのを目標に…とかなんとか

とはいえ、急変の可能性もあるから、後悔しないためにも日帰りで顔見に帰ろうかと、同僚たちにも話をして帰る日を考えてた

帰っても面会できなきゃ意味ないので、6日(月)に病院側と改めてお話をすると言っていたので、聞いて貰うことにしてその返答次第でどうするか考えよう

と思っていたら、5日(日)夜に電話来て、病院から電話があってあまり状態が芳しくないと

ご家族いらっしゃるなら、伝えておいた方がいいかもしれませんと言われたとか不安

う~む、帰るとしても翌週と思ってたんだけど、それだと間に合わなさそう

6日は外せない予定があり、7日(火)にお休みを貰って日帰りで熊本へ飛行機

親がピンチなのに外せない用事って何よって感じよね真顔

そこは父を信じて!


朝イチの便で鹿児島空港へ

迎えに来てくれた車の中で抗体検査

良かった、陰性だった
緩和病棟なので、特別に面会が出来るらしい
(普通の病棟はタブレット面会)
面会時間は14時からということで、ランチして一度家でまったりしてから向かうことに家

その日は熱が出ていて、薬で眠っているところでした
面会時間は15分
途中目を覚まし、水を飲む
しかし、それもしんどそう
白内障があり、どうやら目もちゃんと見えていないっぽい
私が来ていることも分かっていなさそう
弱っている親を見るのはやはり辛いもので、痛みで悶える父
病院行こう!!と言い出す父
もう、まともに意志疎通出来る状態ではなく、今どこにいるのかも分かっていない
糖尿病もあるらしく、そのせいか痛み止め(モルヒネ?)が効かないらしい
苦しむ姿を見て、なぜ安楽死という選択肢が日本にないのだろうかと、安楽死について考えさせられる

難しい問題だとは思うけど、痛みほど辛いものはないよね
それを抑えられないなんて、辛いなんてものじゃない悲しい
私たちが帰ったあとは大暴れで、5人がかりで抑えて点滴したとか
家族の誰も延命治療は望まず、とにかく本人が少しでも楽になるようにとお願いした
薬で眠らせて、少しでも痛みをごまかす方向に

あと数日だろう
そう思いながら、いつ連絡が来るのかとドキドキしながら過ごしていた
それから一週間、通勤中の車の中で訃報を聞く
寂しいけど、あの苦しみから解放されてホッとした自分がいる

背中や腰が痛いという場合、骨に転移しているようなので、少しでも違和感を感じたら受診すべき
父のことだから、我慢していたのではないかと思う
もっと早く受診していれば
もっと頻繁に連絡していれば
タラレバは言い出したらキリがない
多分、何をどうしても、後悔はするんだろうね
私は家を出て20年以上経ってるから、まだ受け入れやすいけど、一緒に生活していた母が一番辛いよね悲しい
兄が実家にいてくれて本当に良かった
父はもういないけど、3月は予定どおり帰省して、母孝行しよう

大好きな父、ここまで育ててくれて本当にありがとう
恥ずかしくてあまり連絡取らなくなっちゃったけど、いつも想ってたよ
コトバにしなくてごめんね
いっぱい苦労したから、来世はきっといい人生になるよ
今頃暖かい目で見守っているかなニコニコ
お疲れさまでした!