遡ること一月のこと
12月末くらいから右の手首が痛く、仕事に支障が出るくらい、痛い
捻ると特に痛く、とうとうズキズキと痛むように
車の運転にも支障をきたすようになったので、病院へ行きました
病院へ行ったのは1/11(水)
いったいいつの話やねんって感じですな



遡ること一月のこと
12月末くらいから右の手首が痛く、仕事に支障が出るくらい、痛い
捻ると特に痛く、とうとうズキズキと痛むように
車の運転にも支障をきたすようになったので、病院へ行きました
病院へ行ったのは1/11(水)
いったいいつの話やねんって感じですな
父の葬儀の日、朝コンビニで買い物したら321円だった
3/21は父の誕生日
おや
そして火葬が終わってバスに乗り込んだとき、社内の時計をみたら3:21
おやおや
父も近くで見守っているんだろうな
どんな想いでみているんだろうか
色んな人たちが来てくれて、感謝してるんだろうな
家族葬ってことで、小さな葬場でのお別れでした
にもかかわらず、ご近所さんなど、生前お世話になったたくさんの人たちが手を合わせに来てくださいました
人前で泣くのが本当に嫌なので、こういう場は苦手で避けていたのですが、遺族の立場になって、来客がこんなにも嬉しいものなのかと思いました
今後は避けずに(避けるほどそんなに縁はなかったけど)ちゃんとお別れに行くようにしようと思ったのでした
埼玉からは母の姉と兄が来てくれて、葬場に泊まることになったため、うっちー夫婦はホテルに泊まることに
あれ?私は娘だよね??と思ったけど、一番堪えている母の側で、数年振りに会う兄弟たちと懐かしい話をする方がいいだろうと納得しました
普通に考えたら、伯母たちがホテルなんだろうけどね(笑)
埼玉から熊本に嫁いできた母
片手で数えるほどしか帰省していないので、積もる話しも沢山あるよね
夜遅くまで盛り上がっていたようなので、良かったかな
ご近所さんの一人で、私の同級生の母でもあるTさんが、元気にしとったねー、今どこにおっと?子供は?
と聞いてきた
子供はおらんですと言ったら、跡継ぎ作らんばと親戚のおばちゃんのようなこと言ってきて、ちょっと面白かった(笑)
父の葬儀がきっかけではありますが、子どもの頃に良く来てた親戚などの懐かしい人たちに会えて、葬儀は寂しいだけじゃないなと思いました
葬儀から数日後、仕事に向かう車の走行可能距離が321km
その日の午後、ふとスマホをみたら3:21
あらあら、父ちゃん私のとこに来てるの?なんて思った日がありました
頭はもうすっかり落ち着いているけど、心は少し時間がかかるのか、自律神経の乱れが続いており、最近やっと少し落ち着いてきたかな?
何だかんだと号泣する機会を逃しちゃったので、なんか泣ける映画でも観るかな
2/12(日)6:19、父がお空に渡りました
享年67歳
ちょっと早かったよね
実家へ滅多に連絡をしない私
たまには電話しようかな?と思ってても、気が付けば21時過ぎてることがしばしば
もう寝てるよなー、また今度って思ううちに月日は経つのよね
そんな私でも、さすがに新年くらいは電話をするのだが、その時の父の声がこれまでにないくらいしんどそうで
肺がんを患っていた父
ちょっともう、長くはないのではないか?そんな予感
ということで、悩んだ末に3月に連休を取りました
3月まで持ってくれるといいんだけどな思いつつ…
そんな期待は見事に外れ…
肺がんはステージ4で、骨に転移
緩和ケアしていきましょうということになったのが2月3日(木)
後から知ったのだけど、入院したのは1/17だったらしい
相変わらずうちの家族は連絡しないのよね
それまでいろんな治療を試したみたいだけど、どれも効果なし
予定ではリハビリして2月末には退院できるのを目標に…とかなんとか
とはいえ、急変の可能性もあるから、後悔しないためにも日帰りで顔見に帰ろうかと、同僚たちにも話をして帰る日を考えてた
帰っても面会できなきゃ意味ないので、6日(月)に病院側と改めてお話をすると言っていたので、聞いて貰うことにしてその返答次第でどうするか考えよう
と思っていたら、5日(日)夜に電話来て、病院から電話があってあまり状態が芳しくないと
ご家族いらっしゃるなら、伝えておいた方がいいかもしれませんと言われたとか
う~む、帰るとしても翌週と思ってたんだけど、それだと間に合わなさそう
6日は外せない予定があり、7日(火)にお休みを貰って日帰りで熊本へ
親がピンチなのに外せない用事って何よって感じよね
そこは父を信じて!
朝イチの便で鹿児島空港へ
迎えに来てくれた車の中で抗体検査