それは「存在すること」を目的にするのか、「すること」を目的にするのかだけの違いなのですが。
「存在すること」は無限の自己(魂、ハイアーセルフ、スピリット)の目的なので、「自分自身でいること。ありのままの自分に神(宇宙の生命エネルギー)を見出すこと」を目的に身体に戻ってきた瞬間から、アニータは奇跡を体験しました。
「すること」はエゴ(物質界の現実がすべてと信じている)が思考を駆使して「恐れ」や「未来志向」を動機に行動するから、けして「今」や「ありのままの自分」に価値を置かず、「努力している自分」、「結果を出している自分」、「輝かしい未来に近づいている自分」ばかりを評価します。
「すること」を目的にすると、ずっと努力しなければならず、結果が出せないとき、失敗したときは自分を責め続けることになります。ずっと走り続けるような人生です。これでは人生を楽しむ余裕もありません。
「存在すること」を目的にすると、運に味方され、奇跡が起きて、人生を楽しむことができる。
「すること」を目的にすると、ずっと努力しなければならず、人生を楽しむ余裕もない。
どうしてこんなに違いが出るのでしょうか?
それは神の使命を全うしているのか、無視しているのかの違いがあるからなのです。
「ありのままの自分」が存在することを目的にするとは、「ありのままの自分」の内なるすばらしさや真実を追求することを意味します。ワンネス状態であらゆる感情を個別に表現できない神に代わり、肉体に宿った個別の神として生きる使命を担います。だから、人生を味わい楽しむこと、感情を感じること、自分を愛することが大切になります。
「ありのままの自分」は十分でないと考え、何か「すること」を目的に完全にしようとすることは、「自分は何か成し遂げないと無価値になってしまう」という怖れを心に植え付けることを意味します。「ありのままの自分」には価値がなく、「成し遂げたこと」に価値を置いてしまうのです。
「ありのままの自分」は「自分であること」でしかできない人生を担っています。個別に物質界の身体に宿った神として、この世のありとあらゆる感情を体験し、唯一無二の自分を表現するために、すべてのものの中に喜びの波動を見つけて共鳴し、ワンネス状態の純粋な意識にフィードバックする、最も価値ある努めをわたしたちは担っているのです。
人生を味わい楽しむこと、
感情を感じること、
自分を愛すること。