実は、その後の記憶は朧気だ。

20年も前の話だから無理もないあせる

 

 

Hさんに成りすまし、女達に連絡し

どんな関係性なのかを探った。

 

「会いたい」とか「好きだよ」とか

そんな事を送った。

 

女達の反応は、「どうしちゃったの?」だった。

身体の関係では無かったのかもしれない。

ただ、だから良いとかそんな事ではなかった。

 

私を裏切り、女と会っていた。

それだけでもう十分だ。

 

私は、Hさんを問い詰めた。

そして「てめぇ、よくも裏切ってくれたな。

この落とし前はどうつけんだ!!ああっっむかっ

胸倉を掴んだ。

 

姑にも電話した。

姑は、慌てて駆け付けてきた。

 

目の前で息子が嫁に罵られている事に

耐えられなかったのか、息子に対して反省を促すこともせず

私への謝罪もなく

「この状態は良くないから、〇〇(Hさん)は連れてくわね」

と、言い実家へとHさんを連れ去っていった。

 

私は、子供たちと3人で残された。

娘は1歳を少し過ぎた赤ん坊だった。

 

前回ブログで書き忘れたが

Hさんが夜のバイトをし始めたのは

元々貧乏だったからという理由だけではない。

 

Hさんは、現場に行く際、単車に乗っていた。

ある日、Hさんはお婆さんを轢いてしまったのだガーン

 

お婆さんは倒れて入院することになった。

酷く落ち込むHさんを励まし、菓子折りを買い

一緒に病院に謝罪に向かった。

 

お婆さんの息子は、「今回の事は保険で対応しましょう」と穏便な態度だった。

しかし、そこで発覚したのだ。

自賠責保険しか加入していなかった事が。

(単車の管理については、Hさんに任せていた)

 

お婆さんは、歩けなくなった。

 

自賠責の保障は120万円まで。

勿論、120万ごときでカバーできる額ではない。

 

任意保険に加入していない事が発覚すると

お婆さんの息子は、態度を一変させた。

 

私は、色々動きどのように立ち回れば良いか調べた。

当時はネットもそこまで普及しておらず

勿論家にパソコンなどない。

 

事故に詳しい友人の旦那さんにアドバイスを貰ったり

(タクシー運転手だった)、無料の法律相談に行ったり。

お婆さんの息子とのやり取りも必要だった。

 

Hさんは、とても対応できる状態ではなくなった。

妻である私は、前面に出て全ての対応をした。


その頃、息子の病気はほぼ寛解していた。

また、私が働きに出ようという事になっていたが

保育園問題や、仕事も簡単には見つからなかった。

 

事故による借金も増えてしまい

Hさんが夜間バイトを始めたという経緯だ。

 

事故についての問題も解決していない時だった。

私がHさんの代わりに色々対応していたにも関わらず

Hさんは私を裏切ったのだ。

 

その後すぐ。

母に癌が見つかった。

私が唯一頼れる人。

 

かなり厳しい状況に追い込まれていた。

その頃の実家は

祖父:病気で入院

祖母:痴呆症が始まる

母:ガンになり入院する

 

帰る実家もない。職もない。小さい子供を二人抱えている。

 

私は途方にくれた。

 

つづく