前回からの続き

 

 

 

息子が産まれて暫くしてから

家計の足しに、私は夜バイトをする事にした。

 

保育園は申し込んでいたが、待機児童で溢れていた。

仕事を持っている人が優先されるため、順番がまわってこない。

 

彼は職人だったので、朝早い分帰りは18:00位に帰ってきた。

夕飯を一緒に食べてから、育児をバトンタッチする。

 

地元の駅チカにあるステーキ店だ。

 

ところが、産後の体で無理をしたせいか、不正出血をしたり

体調が崩れ、2か月位しか続かなかった。

 

相変わらず貧乏な生活が続いていた。

それでも、息子はとてもかわいく、毎日幸せを感じていた。

目下の悩みは、赤ちゃんのくせに息子が「ミルクが嫌い」な事位だった。

 

数か月して、保育園の入所が決まった。

私は、某金融会社のコールセンターで働き始めた。

 

時給1,100円の時短勤務で、今思えばたいしたお金ではないが

それでも幾分はマシになったと思う。

 

そんな生活に慣れてきたころ。

不幸は突然にやってきた。

 

保育園に息子を迎えに行ったとき。

身体にポツポツと発疹があることに気づいた。

 

一人目の子供という事や、私が心配性だった事もあり

園の看護師さんに、すかさず聞いてみた。

 

看護師さんは「ああ、これは死んだ細胞だから大丈夫よ」

と笑いながら言った。

今思えば、なんという無責任な発言・・真顔

 

次の日も、「死んだ細胞」は消えていなかった。

元々アレルギー体質で、喘息やらエビアレルギーがあったので

そのたぐいのものなのかなはてなマークと思うことにした。

 

それでも、やはり気になる。

仕事を休みかかりつけの病院に行くことにした。

 

病院に行くと、医師は息子の体をくまなく観察し

血液検査をすると。

 

この時点で皮膚疾患ではないのかと不安になる。

 

そして・・・

検査結果が出ると「すぐに救急で〇〇大学病院へ」と。

 

彼(ややこしいので以降はHさんとする)を呼び、提携の大学病院へと急ぐ。

そこで、医師からは「特発性血小板減少性紫斑病」と診断された。

「このまま、血小板の値が5000を切れば、危ないです。

その時は、ガンマグロブリンを投与します」

息子は、そのまま入院となった・・・。

 

一旦、家に帰るように促された。

到底、眠れるわけはなかった。

一晩中、息子の無事をただただ祈る。

 

明け方病院から電話がきた。

「5000を切りました。ガンマグロブリンを48時間投与します」

急いで病院へ戻った。

 

車中で祈り続けた。

「神様。私の命と引き換えに息子を助けてください・・・

お願いします」

自分より大切なものの存在を、はっきりと認識した瞬間だった。

 

つづく