チンピラ詩人カオルの戯言

チンピラ詩人カオルの戯言

新しい可能性のために

この数年で犬や猫の殺処分をゼロにする活動や

動物虐待の法的罰則強化・劣悪な環境での犬や猫の飼育を

禁止する運動が盛んになっている。

フランスだったと思うけれど「ペットショップでの売買禁止」

などそのムーブメントは世界的に広がってる印象だ。

オレはそれらの活動に積極的に参加・ボランティアはしてない。

2年前に絵本「黒猫物語」の売上の1部を野良猫保護団体に

寄付した程度だ。

個人的には動物愛護の活動はいいと思うし

その活動や罰則強化などが「マイナスに働くこと」って

ほとんどないような気がしている。

選択制夫婦別姓・同性婚を認めない法律なんかより

ずっといい感じがする。

 

これが前置き。

そして本題へ。

 

これらの動物愛護の活動は基本的に犬や猫などの

いわゆる「ペット」に対して行われるケースが多い。

でもオレの感覚だと例えば劣悪な環境での大量飼育は

狭いブロイラーで動けるスペースがほとんどない場所で

抗生物質まみれの餌を食べさせられている鶏も同じだと思う。

しかもそれは「人間の食用」のためで必ず殺される運命。

そう考えるとブロイラーでの飼育・屠殺は

充分に動物愛護の精神に反しているのではないか?

 

ある時「豚を解体してスーパーなどに陳列されるまでの映像」を

観た。でもすごく嫌な気持ちになり最後までは観られなかった。

まず豚に電気ショックで暴れないように動けなくさせる。

でも完全に意識を失ったわけではなくあまり動けないだけ。

カラダは少し痙攣して動けないが目は動いている。

豚にも脳がある。意識が残っていれば当然痛みを感じる。

そして解体が始まる。まず皮を剥ぐ。恐らく豚はかなり痛い。

それから先の詳細は省く。

いずれにしても殺されて人間の食用に売りやすい形に

切り分けられるのは鶏と同じ。

豚も同様に劣悪な環境で抗生物質まみれの餌を与えられる。

中には狭い場所で生きるのがストレスで暴れまわり

精神がおかしくなって死んでしまう豚もいる。

その死骸は処理されてあるプロセスを経て

ブロイラーで飼育されている他の豚の餌になる。

たくさんの豚がいるからたくさんの排泄物が出る。

その抗生物質まみれの糞尿は近隣の河川を汚染し

住民に悪臭の被害や健康への悪影響にもなる。

動物愛護の精神に反しているし環境問題にも悪影響だ。

 

牛も同様の運命を辿る。

また競走馬として育てられてレースに参加できる馬は

少数で他の馬は種馬になる以外はやはり食用として屠殺だ。

 

それでオレは思った。

「動物にそんなことをしてまで肉を食べたくない。

 オレが肉を食べなければ人間の食用のためだけに劣悪環境で

   飼育され殺される命を1匹ぐらいは救えるのではないだろうか?」と。

 

レインは自由気ままに好きなことだけして暮らしている。

大自然の中で暮らす多くの動物もそうやって暮らしている。

犬や猫は身近な存在だからそれに特化した愛護運動が

活発化しているけれど

その愛護精神は「すべての動物」にも適用した方がいいのでは

とオレは思うんだ。

実際にそうしたとして「マイナスになること」ってあるのかな?

ってやっぱり思う。

 

オレが小学生の頃は教室に「肉は血となり筋肉になる」みたいな

教材が飾ってあった。

でも現代は肉類などを一才食べないベジタリアンやビーガンも

野菜だけ食べてちゃんと生きているし

筋肉隆々のベジタリアンアスリートもたくさんいる。

それに最近の研究によると牙のない人間は

消化器官の仕組みにおいても根本的に肉食に不向きらしい。

そして特に加工肉は人間の健康には有害らしい。

腎臓病や糖尿病には肉食は悪影響ばかりらしくて

病状が悪化して歩行困難になった患者が

野菜だけの食事を2週間続けたら歩けるようになり

薬も減ったドキュメンタリー映像も観た。

それらの事実が科学的データと共に判明しつつあるから

菜食主義者も増えその人たち用のレストランやレシピなども

比例して増えているのが現実だ。

卑近な例で言えば大手ファストフード店でも

野菜やこんにゃく・米などを使った「肉風ハンバーガー」も

発売されている。

それなのにアメリカの「糖尿病にふさわしい食事の例」で

鶏肉をはじめ肉類を中心としたメニューが掲載されている。

それに違和感・異変を感じたジャーナリストが

インタビューを打診するがみな回答を避け門前払い。

ジャーナリストが追求していくとこんなことが判明した。

肉類メニューを掲載している団体と政府関係機関には

ケンタッキーなど大手食品メーカーから多額の寄付金が

納められていると。その見返りとして鶏肉のレシピ掲載。

まあ賄賂・癒着・利権というやつだ。

この類の汚職にも肉食を続けると結果的に加担することになる。

 

オレは肉食よりもはるかに健康被害の大きいタバコを

たくさん吸っているから健康に対しては口を出さない。

タバコは精神的にはストレス解消・気分の沈静化などの利点も

少しはあるけれど肉体的には100%有害である。

脳梗塞・肺がんをはじめ他のがんのリスクも高まる。

その事実は理解しているけれど好きだらタバコは吸っている。

オレのように「健康・長寿」に無関心なやつはどうでもいいけど

本気で「健康・長寿」を意識して生活している人には

「肉食は有害。菜食でも充分だし健康になる」ことを

伝えたいなとは思う。

そのことを知った上で「でも肉好きだから食べるよ」なら

オレの喫煙同様に個人の自由だからそれでいいと思う。

 

これらの事実を総合的に判断して思ったのが

「オレは肉類を極力避けるベジタリアンもどきになろう」だ。

完全菜食主義みたいに「主義」にしてしまうと

他の食生活を間接的に「認めない・否定」になる恐れがあるし

個人的にはカツオだしの味噌汁や蕎麦を食べたいなと思うしね。

だから「ベジタリアンもどき」がいいかなと思うのだ。

ちょっと話が逸れるけれどオレは基本的に「〇〇主義」などに

上記の理由も含めて極端な考え方には生理的に抵抗がある。

でもひとつだけいいなと思うのは「平和主義」だ。

世界中の人たち全員に「平和は好きかな?」と尋ねたら

恐らくほとんどの人が「好きだ」と答える気がするし

「戦争は好き?」と尋ねたら「嫌い」と答える人が多いはず。

世界中の人々や動物たちが「平和に暮らす」ことで

マイナスになることってあるのかな?って思うと

やっぱりオレの主義は「ラブ&ピース」である。

ついでに「ヘビースモーカーのベジタリアンもどき」だ。

この考えもオレ個人のものだから他人に押し付けたり

説得する気は毛頭ない。あくまでも個人的な思想だ。

 

食用動物の実態や肉食の人体への悪影響などの情報は

インターネット検索・YouTube動画などで入手した。

Netflix加入者は「健康って何?」というドキュメンタリーを

観るとそれらのことが分かりやすく紹介されているので

気になる人はチェックしてください。

 

おしまい。

あちょー

「馬を湖まで連れていくことはできても

 水を飲むかは馬の意志次第」

 

このことわざというかフレーズをいつどこで知ったのか

オレは覚えていないけれどすごく「いいな」と思う。

そしてこの文章の意味を体感した。

 

酒を毎日毎晩大量に飲んで自分の内臓も傷つけて

周囲の人にもたくさんの迷惑をかけていた時期があった。

多い時はバーボンのボトル2本をひと晩で飲み切った。

フラフラに酔いグラスを割ったり壁に穴を開けたりもした。

オレのカラダを心配してくれたりもう迷惑かけられたくないと

多くの人に「断酒」を勧められた。

中には「酒をやめるための本・施設」などを紹介してくる人も。

オレ自身も「このままじゃマジでヤバいな」と思っていた。

だから断酒を始めるんだけど長くても3ヶ月ぐらいで

また飲み始める。

そして「飲む理由を正当化」し始める。

悲しいことがあったから・ストレス解消・楽しくなりたいから

シラフだと会話ができない・寂しいから・退屈など。

バーボンやジンなど強い酒じゃなくてビールならいいかなとか。

どんな理由で飲んでも結果は同じ「泥酔・迷惑・意識不明」だ。

迷惑をかけた罪悪感を紛らわすためにまた飲む。

最悪の「マイナスのループ」だ。

断酒成功までそんなことを4回ぐらい繰り返していた。

 

懸命にアドバイスをくれた人たちもそんなオレに呆れて

だんだん離れていく。内臓も痛みボロボロになっていく。

肝臓の状態をチェックするガンマGTPの数値は800を越えた。

成人男性の平均値は70前後。会社などの健康診断で

ガンマGTPが100を越えると診察を進められる。

担当した医者は言った。

「私はアルコール依存症者が嫌いです。

 どんなに治療してアドバイスしても再飲酒して来院して

 最終的には死んでしまう場合がほとんどだから。

 あなたが本気で断酒するなら協力はしますが」

オレは数ヶ月断酒したけど内臓の痛みがなくなるとまた飲んだ。

 

みんな「湖までは連れて行ってくれた」けど

オレは結局「飲む選択」をしたんだな。

 

そしてあるきっかけがあり心底「マジでやめる」と決意した。

精神病院に片っ端から電話して「酒をやめたいんです」と

相談してアルコール依存症専門の病院を見つけて通い出した。

自分の意思で。「馬が自分の意思で水を飲んだ瞬間」だ。

それから19年。今年の5月1日で20年。酒を飲んでない。

1度だけうつがつらすぎで小さなウイスキーを買ってきて

ちょっとだけ飲んだけれどすぐに気持ち悪くなり吐いた。

 

ここまで書くと「へーカオルはなかなかすごいじゃん」と

思う人がいるかもしれないけれどそう簡単ではない。

まず断酒を始めるとアルコール血中濃度が下がり

離脱症状というとても不安定な精神状態になる。

まるで裸で歩いているようなそんな気分にもなる。

またアルコールで摂取していた糖分が減るから

無意識のうちに甘い物を貪り食ったりもする。

女性の場合はそれが元で過食症や自傷行為をする人も多い。

だからまた酒に逃げそうになるんだけど「それだけはしない」と

決めたから飲酒はしないけど

オレの場合はギャンブルに依存した。

断酒者の中にはオレと同じように酒をやめたら鬱になる人もいる。

オレはそのうつがすごく酷かった時期に

「とにかく消えてしまいたい」という思いに支配されて

精神科で処方される睡眠薬を少しずつためて

ある日200錠ぐらい一気に飲んで自殺未遂をした。

後で知ったけど睡眠薬単体での致死量は5000錠とかで

200錠では「長く熟睡するだけ・死ぬの無理」だった。

 

そんな風にしながらなんとか断酒だけは続けた。

でも。オレのアパートのすぐそばに

「危険ドラッグ(合法ハーブ)の店」ができた。

詳細は省くけれどある末期癌患者の痛みを紛らわすために

その人のためにとオレがそこで買って届けるようになり

自然に自分でも試すようになった。

最初は鬱のひどい時だけとか緊張するライブの時だけなど

なんとかコントロールしていたけど結局常用するようになった。

末期は音楽仲間や当時のファンを中心にすごい迷惑をかけた。

だけどドラッグの作用があまりにも強くて

たくさんの迷惑行為をしたことはなんとなく覚えてるけど

「いつ・どこで・誰に・どんな迷惑」は全く記憶にない。

だから謝りたくても後悔してもどうにもならない。

多くのファンは去っていきオレがやっと手に入れた

大切なerosというバンドもぶち壊しバラバラになった。

オレの悪い噂がどんどん広がり大切な仲間たちが離れていく。

オレの奇行や異様な目つき・言動に異変を感じたおふくろが

弟ふたりに頼みオレをタクシーに押し込み強制入院。

45日間外出も禁じられタバコも吸えず隔離されていた。

予定していたライブにも当然出演できない。また迷惑かける。

レインもひとりぼっちで散歩もできない。

県知事命令での入院だったから退院手続きも大変だった。

なんとか退院してレインハウスに戻りレインに謝る。

レインは威嚇する声と同時にゴロゴロと甘える声を出していた。

オレのことを半分忘れて半分覚えていたのだろう。

 

だけど。本当に依存症というのは恐ろしいもので

そんな体験もしたのにオレはまたドラッグに手を出した。

入院中は担当医はじめスタッフもやめるための方法や

アドバイス・参考資料など「湖に連れていくこと」はしてくれる。

だけどオレは「水は飲まなかった」んだ。

 

まあ結局ギャンブルもドラッグも自分の意思で

ある日突然「やめた」という瞬間が訪れてそれからやってない。

これもまた「馬が自分の意思で水を飲んだ瞬間」だ。

 

オレがこの体験を通して伝えたいことは二つ。

 

1 世の中にはさまざまな精神的・肉体的障害を持つ人がいる。

  自分だけではないということ。

  オレと同程度のうつ病でも家族のために働くしかない人も。

  家庭環境なども同じで多くの人はわざわざ言わないだけで

  みな何かしらのトラブルやトラウマを抱えている。

  視野を広げれば世界のどこかでは

  終りの見えない不毛な戦争が続き

  猫にご飯を与える余裕もなく自分が食べるのが精一杯。

  SNS・精神科も存在せず悩みを打ち明けることも

  できない場所や地域でただ生きるしかない人もいる。

  比較しても仕方ないけど状況的には

  ジャパンの方が遥かにましだ。

 

2 自分の抱えている悩みや病気にいろいろな人が

  いろいろなアドバイスをくれるかもしれない。

  でも「決断して実行するのは自分にしかできない」だ。

  そしてダラダラとなんとなく悩んでいると

  オレのように大切な人を失うことにもなる。

 

最後に。

誰もが悩みやストレス・寂しさ・怒り・悲しみに

心が支配されて苦しくなることがあると思う。

そうなるとそれらを紛らわすための行動に出る。

もちろんどんな方法で苦しみを抑えるかは個人の自由だ。

でも経験上「プラスになる要素がほとんどない方法」がある。

それは「酒・ドラッグ・ギャンブル・誰でもいいや的セックス

自傷行為・過食・他者や自分への攻撃(誹謗中傷・自虐」などだ。

できればこれらはなるべく避けた方がいい。

 

最近SNSでそういう悩みやトラブルの投稿をよく見る。

たまにコメントやメッセージでアドバイスをすることもある。

オレは57歳。SNS利用者では高年齢の方だ。

だから比例して体験も多い。いい体験も悪い体験も。

その体験を基に「なるべく若いうちに問題を処理した方が

結果的に将来のダメージが減るから」などと私見を言う。

でも「決断・実行」は自分にしかできない。

 

「馬を湖に連れて行くことはできるけれど

 水を飲むのは馬の意志次第」だ。

 

この文章を誰が読んでどう思うのかはわからないけれど

オレの「黒歴史」がもし誰かの役に立ったら

オレも救われると思い書いてみた。

 

おしまい。

 

 

コロナの影響で初回から無観客配信ライブになってしまった。

今年からライブタイトルを「最後のアジト」にして

毎月コツコツやるつもりだったんだけどコロナじゃね。

会場観覧者がいるとレインのおやつもらえたりもするんだけど

県からのお達しじゃ仕方ないね。

 

今回のライブは新曲「ライフスタイル」初披露予定。

前回ちゃんと唄えなかった「サーカスの来ない街」と

ひさしぶりに「Blacklist Lovers」もやる予定。

この2曲を聴きたい人はYouTubeに曲名入れて検索すればOK。

 

恒例のトークショーもやる。

台本もないし事前に質問内容も知らされてないから

オレも「どんなこと訊かれるんだろ?」ってドキドキする。

質問もライブごとに違うから新鮮なんだ。

「歌詞・言葉・音楽」についての質問や

まるでアイドル歌手にするような質問あるから油断できぬ。

オレの瞬発力と適当マシーンが試される時だ。

アーカイブは2週間視聴できるからよろしく頼むね。

新曲はじめ何曲かは出来がよければ

YouTubeにアップするつもりだけれど

トークショーは配信チケット買ってくれた人だけの

お楽しみってことでご了承くださいませませ。

 

オレはちゃんと天気予報をチェックしてないけど

風の噂では明日ヨコハマは雪になるとか。

それに備えてさっきスーパーでいろいろ買ってきた。

だから明日はレインハウスで個人練習だな。

 

まだハッキリ決めたわけじゃないんだけれど

いつものような帽子ではなく「毛皮風のつばなし帽子」と

あまりライブでは着ないコートでやるかも。

 

無観客とは言え「最後のアジト」初日だ。

今回からずーっと視聴すればオレが死ぬまでコンプリートだ。

もしもあなたがデジタルな技を使えるのならば。

配信映像を動画サイトにアップしてもオレは怒らないよ。

 

では。

よろしく頼むね。

 

 

 

 

2009年ごろの金子マリさんとカオルのリハーサル風景。

正確な日時は不明。

 

当時はマリさんが忙しくなければ

オレは年中マリさんの下北沢にある自宅に遊びに行っていた。

たくさんのことを教えてもらい

オレの未熟さを叱り指導してくれた恩人。

黒人文化のことや清志郎さんの裏話などいろんな話をした。

オリンピックや原発の問題など様々なことを教えてくれた。

オレが知らない音楽やその文化的背景なんかも。

お金があるときは一緒にスロットもした。

勝つと大量の食材を買いオレが荷物を持ち

マリさんが手料理を振舞ってくれた。美味しかった。

マリさんのお父さんが「タニマチ」をしてたから

歌舞伎などの貴重な書籍なども本棚には並んでいた。

シンガーとしても人間としても素晴らしい人だなと思い

とにかくなんでもいいから関わっていたくて通いつめた。

オレが「唯一頭の上がらない尊敬している存在」である。

 

マリさんはその独特な声質もあり10代の頃から

「下北のジャニス」と呼ばれ噂になっていた。

そのことについて尋ねるとマリさんはこう言った。

「あたしは下北沢の金子マリだよ。

 でもねジャニスジョップリンは当時のアメリカで

 初めて女性の権利・差別を主張し唄ったシンガーだから

 あたしはその異名を甘んじて受け入れている」

 

マリさんは「川端康成に会った時さ」とか

「ネルソンマンデラが来日した時に自作の曲を 

 聴いてほしくて会いに行ったんだよね」とか

ちょっとびっくりするようなこともサラッと言う。

談笑中にマリさんの携帯が鳴り英語で会話してた。

「誰と話してたんですか?」と尋ねると

「チャカ」と言う。「え?チャカって?」

「チャカカーンだよ。カオルちゃん知らないの?」

そうかと思えばこんなことも言う。

「カオルちゃん。今夜ノブアキが来るんだけどさ」

「あ。じゃオレ帰りますよ。邪魔したら悪いし」

「そうじゃなくていて欲しいんだよ。

 私はノブアキと二人だと緊張しちゃうから」

オレは金子ノブアキ君とマリさんのカレーを食べることになった。

マリさんは「美味しい?お代わりは?」と母の顔になっていた。

ノブアキ君も「芸能人・役者ムード」はなく「息子」だった。

ギャング系悪役のイメージが強いけど会ってみると紳士で

すごく謙虚でオレが自分のCDと絵本を渡すと

その場で絵本を読んでくれた。

 

以前山田晃士・柿島伸次とやっていた「三バカ」という

イベントにマリさんをゲストで招いたことがある。

マリさんの演奏をオレが担当したんだけれど

すごく緊張して最悪のプレイになり

マリさんが唄えなくなるほどの状態になった。

当然オレは落ち込む。イベントの最後にオレは自曲をやったが

それもダメだった。その後にイベント恒例のセッションがある。

マリさんも出てくれた。

恐らく楽屋でマリさんと晃士たちが打ち合わせてくれたのだろう。

キャロルキングの「ユーガッタフレンド」をやってくれた。

マリさんは歌詞を日本語に変えてオレに向かって

「大丈夫。くよくよしないで。私たちは友達。

 いつもそばにいるよ」みたいな感じで唄ってくれた。

 

たまに下北沢の夜の街を徘徊してご飯を食べさせてくれた。

「あ。この飲み屋できたばかりでまだ知らないから

 行ってみよっか?ライブもやる店みたいだよ」

そして店のドアを開けた。

深夜だったから客がいなくて店員は映像見ながら

ギターを弾いたりして暇つぶししていた。

そのライブ映像は「ジョニールイス&チャー 金子マリ」で

突然本物が来店した従業員は驚き硬直した。

マリさんは映像観ながら「ここ。チャーの音程悪いんだな」とか

言いながら店員に「あんたギター弾けるの?1曲聴かせて」と。

戸惑いながらも青年は弾き語る。

聴き終わるとマリさんは「ダメ出し」を始める。

そのアドバイスは有効で的確なんだけれど

ものすごい早口で話すから青年はフリーズ状態。

 

そんなこんなでオレのアルバム「Down Road」に

コーラスとして参加してくれることになった。無料で。

オレは誇らしかったし純粋に嬉しかった。

レコーディング当日マリさんを迎えに行った。

普段でも部屋着はジャージなどはなく

綺麗な柄のワンピースとかなんだけど

その日は黒いドレスでドレスで正装していた。

純銀製の外国映画に出てくるようなティーポットで

紅茶を飲みタバコを吸いながらオレを待ってくれていた。

ノーギャラのレコーディングなのにその姿勢は

やはり「百戦錬磨のプロだな」と改めて思った。

 

元旦那であるドラマーのジョニーさんが他界した時に

お別れのイベントをやった。

その参列者にマリさんはお礼状を書いていた。

巻物のような半紙に筆で丁寧に。文末には落款を押した。

その数は数百枚だった。「疲れるな」と言いながらも

真剣に黙々と1枚1枚書き続けていた。

 

マリさんは「カオルちゃんとは長い付き合いになると思う」と

言ってくれたけれどオレはドラッグ中毒になり引きこもり

自然と会わなくなった。「会えなかった」のかな。

息子のKenKenが逮捕された時に

オレはマリさんがなんとなく心配で電話をした。

「KenKenならウチにいるよ。あたしも全然平気だよ」

それがマリさんと最後の関わりだった。

マリさんはオレの「断酒記念日のTwitterの投稿」にはいいね

してくれていたがそのアカウントになぜかログインできなった。

先のことはわからないけれどなんとなくオレは

「もうマリさんとはずっと会えないかもな」と思っている。

そう思うとなんというか寂しいような悲しいような

裏切ってしまったような不思議な気持ちになる。

 

今回のライブ映像は「個人的な記録」として

公開するつもりはなかったんだけど

マリさんマニアや他界したギタリストの岩田さんのファンが

喜んでくれたらいいなと思い発表した。

この映像には続きがある。

マリさんがオレの「ラブレター」をライブで

コーラスしてくれることになって曲を教えてる映像だ。

いつか公開するかもしれない。

マリさんと当時やりとりしていたメールには

とても大切なことも書かれていたから保存してたんだけど

パソコンがクラッシュしてすべて消えた。

マリさんとの物理的な思い出はこの映像だけ。

 

マリさんが教えてくれた言葉で印象的だったもの。

「唄は台詞のように唄う。セリフは唄のように話す」

いまだにオレはそれがよくわからないまま唄っている。

 

おしまい。

 

ゆうべもいつものように23時ごろ睡眠薬を飲んだ。

効果が出て眠りに落ちるまで40分〜1時間ぐらい。

逆に薬を飲んでから2時間ぐらい経っても

睡眠薬の効果が出ないと結局眠れずに徹夜することになる。

昨夜はそんな夜だった。慣れたとは言えやはり疲れる。

だから布団から出てレインと一緒に夜明けを待っている。

 

中学生の時に読んだ「眠れぬ夜のために」という本を

思い出した。外国の作品で著者名は忘れた。

その本の内容はエッセイのような感じ。

日々の出来事などを書いているのだけれど

「オチ」やあまり遭遇することがない希少で面白い体験や

その体験を基にした作者の主張・伝えたいことなどもなくて

作者独特の比喩・フレーズ・言い回しなどもない文体で

ただ淡々と盛り上がりもなくありふれた日常の

どうでもいいことをずっと書いているものだ。

それは読んでいて本当に退屈であまりにもつまらないから

読者は飽きていつの間にか「眠ってしまう」ことになる。

それが目的で書かれた本だから

「眠れぬ夜のために」というタイトルになる。

なるほど。

 

ブイーン

 

最近オレはTwitterがとても楽しい。

特に「なんとなくいい事言ってる風の実用性のない文章」に

いちゃもんをつけることが楽しくて

「引用リツート」というTwitterの機能を利用してやっている。

Twitterの投稿にはオレの感性では「どうでもいいこと」

「そんなこと書いてどんな意味があるのか」「意味不明」

そんなタイプのツイートも多いけどそれらは読み流している。

でもオレがいちゃもんをつけているのは(つけたくなる)

一般人・素人の自発的な自由なツイートではなく

具体的には「加藤諦三という心理学者・精神科医」の

「なんかいいこと言ってるみたいだけどよく読むと

 結論もなく無駄に難解で実用性のないプロの文章」だ。

 

具体例。

 

加藤諦三bot @心理学@katotaizobot

「劣等感に苦しむ人は、自分が社会的に有能で立派でなければ重んじられないと思っていることがある。社会的に有能であること、立派であることが、重んじられるための条件であると思っている。これは、恐ろしい錯覚である。」

 

加藤カオル(kaoru)チンピラ詩人@kaoxman

ん?オレには難解な文章でよくわからんが。

 結局「劣等感に苦しむ人」は具体的に「どうすればいいのか」「どう救えばいいのか」が書かれていないぞ。

そもそも「有能・立派」の定義は?

オレはこういう「なんかいいこと言ってる風」の

実用性のない文章が嫌いで見つけるといちゃもんつけたくなるんだ。立派な人間じゃないから。

 

こんな風にいちゃもんをつけている。

Twitterには文字数制限があるからこれしか書けないけれど

せっかくだからこの場を借りて上記のオレの文章に加筆する。

 

「劣等感」と言ってもそれは個人差がある。

容姿やスタイル・同僚より給料が安い・他人より運動が下手など

同じ劣等感(コンプレックス)でもその内容は違う。

しかし「なぜ劣等感を感じるのか」の理由はほぼ共通していて

それは「他者との比較」かなとオレには思える。

文字数制限のあるTwitterだから

「一般論」しか語れないのは仕方がない。

それなら「一般的な劣等感の解決方法」を

ざっくりとでも記載するべきじゃないかなとオレは思う。

 

こんな感じ。

 

他の具体例。

 

加藤諦三bot @心理学@katotaizobot

「自分の適性に合っていて、仲間がいて、やりがいがあって、時間的、経済的に恵まれていて、気楽な仕事、そんな仕事は世の中にはない。」

 

加藤カオル(kaoru)チンピラ詩人@kaoxman

このツイートにも彼の特徴である「結論」がない。仮に彼の言う通り「そんな仕事はこの世にはない」として「だから?どうすればいいの?我慢して働き続けろとか言いたいのかな?」と疑問に思うしなぜ断言できるのかその根拠も不明。オレはJokere Dでライブをやっている。オレの適正に合い理解してくれる仲間がいてやりがいもある。ギャラも貰えて自分のペースでやれる。

だから「そんな仕事もあるよ」と伝えたい。

 

まだまだある。

 

加藤諦三bot @心理学@katotaizobot

「人生は幸せが幸せを呼ぶ好循環か、不幸が不幸を呼ぶ悪循環なのである。」

 

加藤カオル(kaoru)チンピラ詩人@kaoxman

人生にはその2択しかないの?例えば「不幸のどん底にいて誰かに優しくされて幸福になってその幸福になった人が別の不幸な人を救う循環」とかないのかな?仮にその2択しかないとして。そんでオレたちはどう生きればいいのか特に「不幸が不幸を呼ぶ悪循環から抜け出す方法」を書いてくれないと困るだけなのだが。。。

 

こんな感じで彼のツイートを見つけるとイチャモンしている。

しかしそれを続けているうちに気がついたことがある。

彼はこのような感じの書籍をずいぶん前から発売している。

彼の書籍を出版しているのは

PHP文庫という自己啓発本的な本を中心に扱っている出版社だ。

どれぐらいの実売数があるのかは知らないけど

現在まで売れ続けているのは確かだ。

 

だから加藤諦三の「結論のないツイート」は

「結論や具体的な解決方法など知りたければ本を買ってね」が

目的なのではないだろうか?とオレは思うようになった。

そして実際にオレのいちゃもんにコメントしてきた人は

「本買って読めばわかるのかな?」と書いていたし。

 

オレのいちゃもんに「いいね」してくれる少数派もいるから

書いていて楽しいし継続してもいいんだけれど

オレのいちゃもんが結果的に「加藤諦三の書籍の宣伝」に

成り下がってしまうかもと思うと悩ましいところである。

 

オレのいちゃもんにも目的がある。

彼のツイートを利用してオレの持論を述べた「作品」に仕上げ

その文章に興味を持ってくれた人がオレのブログの読者に

なってくれる可能性を考慮してやっている。

オレのブログは無料だしね。

そしてオレの性格というか特質は

彼のような「新興宗教的とも言える導いてあげる風の文章」を

見つけるとイライラして反射的に行動してしまう傾向にある。

その「衝動」をセルフコントロールするのはやや難しい。

どうしたもんかな。

 

オレのいちゃもんを見るためにTwitterアカウントを作成し

自分は投稿しないでこの不毛な戦いを見届けてくれてもいい。

このやりとりはTwitterでしか読めないから。

ちなみに「加藤諦三bot」の「bot」とは

「コンピューターが自動的に投稿し続けるシステム」のことで

オレのいちゃもんが加藤諦三本人に届く可能性はかなり低い。

 

しかし加藤諦三のツイートに「いいね」している人も

数多くいる。オレには難解で実用性のない文章に思えるけど

その文章を理解しいいねと思い彼の書籍を購入し

自分の人生に役立てている人もいるんだなあと思うと

やはりオレの感性は少数派なんだと再認識する。

 

結論。

加藤諦三は心理学者で精神科医でもある。

もしオレの主治医が彼だったらオレの病気は悪化確実だ。

 

いちゃもんを続けるかどうかは改めて検討するとして

このいちゃもんが「ブログのネタ」になったから

とりあえず「まあいいかな」と納得しおしまいにする。

 

じゃ。

またね。

 

 

 

オレはずいぶん昔から常々思っていることがある。

それは「風」だ。

風は吹く。ただ吹き荒れる。

その風を感じて人は思う。

「とても気持ちのいい風だ」

「髪が乱れて迷惑。嫌な風だ」

 

「サーカスの来ない街」の歌詞に

「風の気持ちなどわかりゃしないけれど

 憧れてしまうのさ 飛べない夜には」というフレーズがある。

これはオレの「本音」のようなものだ。

オレは風のように自由気ままに吹き荒れたい。

そしてそれを「気持ちよく感じてくれる人」とだけ

関わっていければそれでいいと思っている。

 

クリスマスライブの冒頭で正確な記憶はないけど

「こんな夜にライブ来るなんてクリぼっちというやつか」と

オレは言った。

それは受け手によっては「失礼な暴言」にも感じるだろうし

逆に「カオル的なユーモア・照れ隠し」のように

受け取ってくれる人もいる。

同じライブを同じ会場で観たりリアルタイム配信で観ても

みんな「同じ感想」になることはほぼない。

多くのお客さんが「いいライブだった」と言っても

「どこがいいと感じたのか」は人それぞれだ。

あの曲が聴けて嬉しかった・話が楽しかった・衣装が好き

今夜の声がよかったなど個人差がある。

 

だからオレは意図的にみんなが楽しくなるようなライブを

やりたくてもそれぞれの「ツボ」が違うから無理だ。

それにそういう発想は「媚びること」にもなりかねない。

結論を言えば「自分の思う通りにやるしかない。

自分で選んだ曲を懸命に唄い吹き荒れるしかない」と。

 

そんなことを今日はずっと考えていた。

そしてほんの少し「オレはあまり人と積極的に関わらず

身を潜め世間から隠れるように暮らした方がいいのかな」と

思ったりもした。

「人と関わらなければ人と関わることによる喜びもないけれど

 人と関わることによるストレスや傷つけあうこともない」

こういう考え方は「うつ病の特徴」でもあり

その傾向が加速し強くなると長期間引きこもるようになる。

だから毎週精神科に通い薬を処方してもらっている。

 

でも「長髪のロッカーとして生きていこう」と決めたから

結局「毎月Joker Dでライブをする」ことにしたんだ。

 

最後にお知らせ。

去年はライブのたびに「ライブタイトル」を決めていた。

その作業はオレには負担も多いしタイトルに沿って

相応しい選曲ができる場合もあるけれど

タイトルに振り回され肝心の選曲がおろそかになることもある。

だから今年から生涯通してひとつのタイトルにすることにした。

毎月のJoker Dのライブタイトルは「最後のアジト」だ。

文字通りオレにとってジョーカーは最後のアジトだし

ジェネレーションズの歌詞にもあるフレーズだ。

 

「この店は隠れ家 仲間しかいないさ」

 

そんな感じだ。

 

よろしくね。

また新曲が突然できた。

実際にピアノ弾いて唄ってみないとわからないけど

なかなかいい感じの曲だ。

今月30日の(日曜日)Joker Dでのライヴで披露する。

なんというのかな。好調というかトンネル抜けた感じ。

自覚はないけどこんな歌詞が「カオル節」ってやつなのかな。

まだ音源はないから歌詞だけ読んで想像してくれ。

 

 

ライフスタイル   カオル

 

裏切られて捨てられた 子猫たちが鳴いている

腹をすかせた浮浪者が 今夜のパンを食べさせる

 

都会の路地裏 誰にも気づかれず

子猫は浮浪者の胸で眠り出す

 

疲れ果てた真夜中に 相応しい唄にしがみつき

こぼれ落ちた涙なら オレは愛しく思うだろう

 

理屈じゃないのさ 揺れ動く心は 

風に吹かれりゃ 踊る雲のように

 

 

激しく胸が痛むほどの 恋に落ちることもある

ときめいたり泣き出したり いつか笑い話になるだろう

 

季節が過ぎるたび 歳をとっていく

未来は減り続け過去が増えていく

 

かなり広い家で暮らしても 棺のサイズは皆同じ

どんなに豪華な食事でも 必ずトイレに流れてく

 

オレは唄っている 長い髪を揺らし

時々レインのことを思いながら

 

 

やはり気に入った曲ができると早く聴いてもらいたくなる。

すると自動的にライブが楽しみになる。

そして「オレは長髪のロッカーとして生きていくんだな」と

想いそれがオレの「ライフスタイル」なんだと実感する。

 

オレは毎日フラフラと適当マシーンで暮らしているように

思う人もいるだろうけどやる時はやる。

でもやれない時はやれない。

どんなに疲れ果てていてもレインの世話だけはするけどね。

 

おしまい。

あちょー

 

 

おとといのブログアクセス数は300を越えた。

このブログはコロナが流行り出した頃に書き始めた。

過去最高のアクセス数は390だったから300越えは多い方だ。

連休の中日でみんなヒマだったのかもしれないけれど

こんなにたくさんの人が読んでくれるのはちょー嬉しい。

もしかしたらカゲキヨイラストがきっかけで

最近オレを知った人たちが読んでくれてるのかもしれない。

読者にはそれぞれ「読む理由」があるんだろうけれど

恐らく「無理してイヤイヤ読む人はいない」と推測している。

とにかくオレは「書き続けるモチベーション」が高まった。

 

カゲキヨ作品。カオルイラスト。

 

オレはこのイラストの「背景」がいいなと思った。

一般的な絵描きならオレの背景はライブハウスや

ロック的に廃れた街角の風景なんかにする気がする。

カゲキヨがどんな想いでこんな独特の色使いの背景にしたのかは

わからないけど「70年代サイケデリック風アート」のようで

いい作品だなと。

オレのだらしない座り方やネックレスもいい感じだなと。

先日公開したimuseのカオルイラストもそうだけれど

「描きたい時に描きたいものを自由に描き続ければいい」と

思った。その描きたいものが「カオル」ならありがたい。

音楽でも文章も同じで「描きたい・つくりたいという衝動」が

最も大切だと思う。技術的なことは後から学べばいい。

作品を見ていろんな人がいろんな意見を言うだろうけれど

それらは参考程度にして意見に左右されず自由にやればいい。

 

またオレの朗読曲の言葉に興味を持ってくれた人が

丁寧な感想メールを送ってくれた。

オレは音楽家というより「チンピラ詩人」と呼ばれてるように

「言葉・文章」を書くのが好きだからほめらると嬉しい。

感想と共に送られてきた「短編小説」はまだ時間がなくて

読んでいないけれど拝読したら感想を送ろうと思っている。

 

このブログにはわりと頻繁に「フォロワー」がつく。

以前はそのままにしていたが最近「どんな人かな?」と

フォローしてくれた人の作品をチェックするのだけれど

大半が「短期間で稼げる副収入」「流行りのコスメ」など

商売目的のものでそういうのはフォロー解除している。

Twitterなんかでも「割り切りのセックスフレンド募集」など

怪しいフォロワーがダイレクトメッセージを送ってくる。

メッセージにはいろんなパターンがあるけれど

最終的には必ず「詳しくはこのLINEに連絡して」とある。

オレはLINEがめんどくさそうで大嫌いだからやってない。

返信する必要はないんだけど「オレはLINEやってない。

それに女抱くのに金を1円でも払うつもりはないんだ」と返す。

Facebookでもその類の友達リクエストも多い。もちろん無視。

 

Twitterで人の投稿記事を読んでいると

たまに「うつ病・迷い猫・アルコール依存症」などで

悩んでいる人がいる。オレはそういう深刻な状況の人には

自分の体験を踏まえてコメントやメッセージを自発的に送る。

それが相手にとって有効なアドバイスになるのかは

わからないけれどそうせずにはいられない性分なんだ。

オレの投稿にいいねしてくれた人には基本的にフォローする。

ダイレクトメッセージには返信するようにしている。

 

インスタグラムも一応やっているけどパソコンからは

投稿が面倒で携帯を「電話」としか使ってないオレには

投稿自体できないしできたとしも投稿するものがない。

だから「イタル作品」を観るためだけに使用している。

たまにダイレクトメッセージで外国人から

恐らくはなにかしらの勧誘目的のメッセージが届く。

先日は「私はアフガニスタンで平和維持活動のために

活動している兵士です」みたいなものが

彼女の軍服風写真と共に送られてきた。

翻訳ソフトを使い「あなたはなぜ私にコンタクトしてきたのか?」と送ると「友達になりたい・貧困に苦しむ人を救いたい」などの返信がくる。暇つぶしに適当マシーンでやりとりして

最終的に「あなたの所属部隊の正式名称は?直属の上官の

階級とフルネームは?具体的な任期と活動内容は?」と

英文に翻訳して送るとモゴモゴとしたごまかしの返信が来て

いつの間にか消えてしまう。

また男性から「あなたの家族は?私はあなたと仲良くなりたい」とかのメッセージもくる。彼の投稿は犬の写真がほとんど。

会話していると金儲けのための勧誘ではないらしいが

新興宗教への誘導っぽい感じにの流れになる。

「あなたと友達になりたい」としつこく言うから

「オレはひとりが好きだ。友達なぞいらん。

 それと全ての神と宗教が大嫌いだ。厭世家の猫好きだ。

 そもそもなぜオレに連絡してきたのか?

 オレの作品を聴いたことがあるのか?

 友達になりたいのならまず曲を聴け。ボケ」と英文で返す。

すると彼はめげずに「あなたにますます興味が沸いた」と。

「オレはお前に1ミリの興味もない。

 だいたいさっきの質問答えてない。

 なぜオレと友達になりたいのか意味がわからん。

 その理由を具体的に教えてくれ」

そう返信するとやはり消滅する。

中にはアダルトサイトへの勧誘目的の強気な女性は

「それなら私はあなたをブロックします。いいですか?とくる。

オレは「ぜひブロックしてくれ。あなたの詐欺手口は古い」と

返信する。

オレはこういう「不毛な戦い」がわりと好きだ。

こんなやりとりは時間とエネルギーの無駄だけど

「ブログのネタ」になるからまあいいかと思っている。

 

おしまい。

また毎週。

あちょー

 

 

 

7年間の引きこもりを経て音楽活動最高後に作った曲の中で

オレがいちばん納得できた曲。ぜひ聴いてください。

ライブを重ねていく間の歌詞の細部やアレンジは

変更する可能性あり。ギターは片島大輔。

 

感想などはメールしてね。

kaoxrain@gmail.com

 

この日のライブは声がぜんぜんダメだったんだけど

「戯言」だけはなぜか悪くない感じで唄えた。謎。

 

昨日のブログにも書いたけれど

最近オレの存在や作品がちびちびと広がっているんだ。

新しくオレを知った人が他の誰かに勧めてくれる可能性もあり。

オレが20代中頃作った「Carpenter Jr.」という曲を

ニュアンスというデビュー前のアイドルグループが

カバーしてくれたりもしている。

彼女たちがどんなアレンジで唄ってるのか知らないけれど

原曲はギターサウンドのいわゆるロックだ。

それを聴いてみたい人はyoutubeにタイトル入れて

検索すれば聴けるはず。

コロナの状況次第なんだけど新結成するアイドルグループが

「リンダ」を唄う予定だからひょっとするとそれが売れて

大金が転がり込んでくる場合もあるかもしれないけれど

オレは狭いレインハウスで満足しているから引っ越ししない。

貴金属や最新家電などを買ったりもせず

Joker Dでの月イチのライブをコツコツと続けるだけ。

新曲は作っていく。

もし大金をゲットしたら野良猫保護団体などに寄付するつもり。

 

今月は最終日曜日にライブをやる。

配信も恒例のトークショーもやる。

興味ある人はライブ観てください。

 

imuseという若き乙女がカオルイラストを描いてくれた。

 

よろしこ。

あちょー

引きこもっていた7年間。オレはただ生きていた。

レインのご飯の準備をする以外は

たまに映画を観たりラジオをなんとなく聴く程度で

本当に何もしなかった。「できなかった」のかな?

未来になんの希望も持てずに「レインが死んだらオレも死のう」

と考え「部屋に目貼りして煉炭10個ぐらいドンキで買ってきて

燃やせば死ねるかも」と思っていた。

いいことも悪いことも起きず「動き出すきっかけ」も

アクシデントもなかった。

ごくたまに友達がドトールでコーヒーでもと誘ってくれたけど

話題も愚痴もなくほとんど黙っていた。

毎日同じような変化のない暮らしだったから

当時の記憶は曖昧でよく覚えていない。

 

「生きていればいいことがある」という言葉を信じられず

喜怒哀楽の感情も薄れ無感覚になり好奇心のカケラもなくした。

時間は淡々と流れていつの間にか7年過ぎていた。

 

新レインハウスに引っ越してからも同じような暮らしだった。

でも「コロナ」が流行り出してから

なぜかオレはブログを書き出しノロノロと動き出した。

そしていつの間にか曲を作るようになり

それに呼応するように人と関わるようになり

昨年4月の誕生会をきっかけにライブを再開した。

すると新たな出逢いがありだんだん活動的になっていった。

 

昨年はいろんな人がオレのブログ・絵本・楽曲などに触れ

オレに興味を持ちファンになったりして

それぞれの個性・特質に合ったやり方で具体的な支援など

応援・広報活動を自由意志でしてくれるようになった。

 

最近では15歳少女カゲキヨの描いてくれたイラストをきっかけに

オレの作品を好きになった人から感想メールが届いたり

女子高生からオレのイラストを描かせてくださいと連絡がきたり

配信チケットを買う予定ですとか

〇〇さんに勧められてカオルさんの曲が好きになりましたと

CDを大人買いしてくれる男性客が現れたり動き出した。

ライブにはライヴハウスで働いてた時の少年が観に来てくれ

「あの頃カオルさんに教わったやり方でバンドやってます」など

嬉しい出来事が増え毎日が楽しく感じられるようになった。

精神状態も安定し納得できる新曲も作れた。

ブログを書くこともとても楽しくて読んでくれる人も増えた。

なんとなく未来に希望を持つようになり

へアードネーションをやめて長髪のロッカーとして

死ぬまで生きていこうと決意した。

 

いまは「生きていればいいことがある」を体感している。

そして思った。

「動き出すときは自分の意思とは無関係に自然に動き出す。

 動かない時はジタバタしても何をしてもまったく動かない。

 だからいつか風が吹いた時のために

 すぐに飛び立てるように翼の手入れだけをしておけばいい」

7年間の引きこもり期間を経ていま感じた「教訓」だ。

 

最後にカゲキヨ作品を載せておしまいにする。

ベーシスト満園庄太郎とオレのイラストだ。

実物より若く描かれているが雰囲気はこんな感じだ。

実際の映像を観て確認したい人は下記URLをクリック。

「神と羊とガソリンスタンド」というタイトルの

朗読曲のライヴ動画だ。