幽霊の恩返し。幽霊が見える母 7 | Talking with Angels 天使像と石棺仏と古典文献: 写真家、作家 岩谷薫

幽霊の恩返し。幽霊が見える母 7

 幽霊ブログにはしたくないのだが…、興味深い現象が起こるとツイ書きたくなるのよ…笑
 この前、「お菓子くれ」の子供幽霊、居たじゃない…

 この子、興味深くてさぁぁ…
 ある日、両手イッパイのお菓子を持って、母の前に現れました!
 要は、「沢山のお菓子をもらえたヨ! ありがとう!!!」と我々に言いたいのだそうです。

 でも、私がこの子らにあげたのは、お兄ちゃんと弟の分の、2個のブラックサンダーだけです。
 決して、両手イッパイのお菓子ではありません…

 でも私、知ってるのよ…。霊界では物品を増幅できる事実を…(実は、現世でもですが)
 『亡くなる心得』P176 P194 で解説しています。

 その増幅の根幹になるのは、我々、母、息子の「困っている、子供の幽霊達を助けてあげよう…」という想い、ハート、つまり愛の数です…… (遠くはムリですが、近くに誠実なハートで困っている人々がいれば、自分のできる範囲で極力、力になってあげたいと私や母は思います…)

 それが、幽霊が見える母の証言で、実例になっているので、我ながら、この「お菓子くれ」の幽霊の証言は興味深いなぁ〜 と予々思っていました。

 「お菓子くれ」の幽霊は、さらに、興味深い行動をするのよ……

 ある日などは、「もう、沢山、お菓子もらったから、もう、あなた達の前には出ないよ…」と母に言った事もありました。 私や母的には「おぉ、成仏してくれたかぁ!良かったね!!」って想いでした…

 でも、一昨日、興味深いことに、その「お菓子くれの男の子」 再び母の前に(夜の歩行訓練中に)現れたそうで、母曰く…

 「あの子は、賢い子ヤぁぁ〜。 お菓子、沢山貰い過ぎたから、お礼にそのお菓子、お返しします!と言って、さっき、私のポケットに、お礼のお菓子を詰め込んで、消えたヨ…」

 と言ってました。 (実は、とても、キッチリしている子なのです…涙)

 当たり前ですが、勿論、母が指定する右ポケットに、ブラックサンダーなんてありませんヨ…
 (本当に、ブラックサンダーが存在すれば、さすがの私も超ビビリますが…爆!)

 でも、母には、その右ポケットに、男の子がお菓子を入れた感触があったそうです!驚


 (註:芥川龍之介さんも、こうした困った児童への同情が一切無かったのが、今の私には実に、ヒッカカッタ事実でした……もっとも、当時、彼はもう、自分の事で手一杯だったのも解りますし…時代的に奉公などは普通の現象だったのでしょう…)
  
 我々、母子は、この「お菓子くれ」の可哀想な子供の幽霊の、誠実で律儀な気持ちだけで、「モ、充分過ぎるほど、ハートが温まる、スバラシイ贈り物!! 」 でした……
 これだけで、母子の気持ちは「ホッと」し、星空の元 「ヨカッタね……」と二人で想いめぐらしているのでございました……

 『亡くなる心得』でも書きましたが、あくまで「現幽一致」なのです。助け合いです…

 こうした展開だけで、充分、短編小説は書けそうですが… 私は、小説は書かない…
 情や業の話など、もう充分で、疲れている…… 疲れ果てている……

 漱石さんも気付き始めていた……… 開高さんも気付き始めていた……
 
 とは言え、小説を全否定するつもりは一切ございません… 『亡くなる心得』でも小説から、人生の真意が垣間見えるのは、紛れもない事実です。
 例えば、『亡くなる心得』で解説した、ソラリスは、小説、映画も含め、トンデモナク偉大な作品です……

 そう。 この『亡くなる心得』は、この、情や業のクダラン「五蘊」を、極力廃し、人生に最重要な、本質的な事だけを、解説した重要な書です…

 それにお気づきなのは、『亡くなる心得』の帯を書いていただいた、日置俊次教授かもしれません…… 

 実は、この五蘊内で、みんなが いつも 堂々巡りで迷っているのです……小説の多くはこの五蘊内の話が主で、ウダウダ話で迷っており、私は、聞く耳持たずで、シンドイのです………
 
 例えば、私が、ここしばらく、「気になる」と何度も書いていた『偉人たちとの夏』を考えてみよう………

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 私は、ここしばらく紹介している、小説としての『偉人たちとの夏』を、実は、あまり評価していません……
 ここでも書いています。学生時代の記憶だけですが「ちょっとヤリスギだな…」

 聞き逃し配信でもあります…

 特に、私が、イラっとするのはこの28話です。

 今まで、最高の味方であったハズの桂(ケイ)が、実は敵になる、このマヌケな展開……トンデモナイ裏切り……嘆……

 霊界的な視点でも、「これは、絶対に、アリエン………!!! 嘆……」という印象……
 (我々の事象のように、子供の幽霊でも、ちゃんと律儀に、お礼するんだぞ!と言いたい…)

 20代の頃に見た映画の時から、この小説の違和感はこのシーンにありました………

 作者の山田太一さんに、霊界への認識が、マダマダ浅い事が判明します………

 あくまで「現幽一致」です。

 山田太一さんの霊界知識は、あくまで「牡丹灯籠」止まりなのが判明します………

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 私自身が、『異人たちとの夏』で気になるのは、「あくまで、父との再会、また、両親との再会のシーン」だけです。
 この視点、場面に注目したのは作者、山田太一さんの有能な才能ではございますますが、桂(ケイ)の扱いが、イケナイ…… 
 「とても、イケナイ」……そういう小説です……

 私と母は、毎日が『異人たちとの日々』ですので、余計に、その理由がとても解るのです…。
 当たり前なのですが、「お菓子くれ」の子供の幽霊に、ここまで関わっても、我々、親子共々、「健康を害する」なんて事象は一切ございませんから…」
 実のところ、当たり前です………

 特に私は、『Talking with Angels』や『笑とる仏』などで、異人達のメッセージを常に聞いてきた人間なので、それがスゴク解ります……
 これが『異人たちとの夏』 の決定的な違和感……… 幽霊など、イッサイ怖がる対象ではあり得ません………… 普通に、アナタの側に居ます!  『亡くなる心得』で解説したように、普通の人は「気付かないダケなのです…」

 ただし、映画での鶴太郎さんの怪演は、私の目では、スゴカッタ…
 そういう、小説というよりは、「映画」でした。



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